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Story 1 「藤右衛門」という名前

鈴木 2011年からこちらに何度もお邪魔してインタビューさせていただき,『桜守三代 佐野藤右衛門口伝』(平凡社新書,2012年)と教科書の文章をまとめました。そのなかでも触れていますが,改めて「佐野藤右衛門」というお名前と,その十六代目を襲名したことについてお聞きしたいと思います。
十六代目の佐野藤右衛門は,53歳のときに継がれたんですよね。ほぼ同時期に「桜守」としての活動も受け継がれて,ちょうど35年になります。ある日いきなり,もともとの名前の輝一さんから藤右衛門さんに変わって,どんな感じがしましたか。

佐野 親父がこの名を継いだときは,「ああそうか」と納得しました。しかし,親父が亡くなって自分が継ぐときは「やらなしゃあない」と襲名したんやけど,しばらくの間は嫌でしたわ。どうしても先代,先々代と比較されてしまいますやろ(笑)。

鈴木 いつごろからなじんできましたか。

佐野 10年ぐらいはかかりましたな。親父を追い越そうという気は全然ありませんでしたが,親父の線まではたどり着かなければいかんなと思いましたわ。

鈴木 歌舞伎の世界もそうですが,名前を継ぐと必ず先代と比較されますよね。そういう宿命的なものがあるんでしょうね。

佐野 歌舞伎の世界は,わしらと違って戸籍まで変わるわけではないですやろ。芸名を継ぐだけですな。わしから見ると,楽やと思いますわ。極端な話,嫌やったら名乗るのをやめたらええんや。わしはやめるわけにはいかなかったんですわ。

鈴木 先代も50歳を過ぎて襲名されましたが,もっと若いころに継がなければいけなかったら,藤右衛門という名前は古風で,嫌だったんでしょうか。

佐野 いや,幼いころから「藤右衛門はんの子や」と呼ばれていました。そういうふうに聞き慣れているから,若かろうが、あんまり抵抗ないんですわ。京都の古い商家などはそういう呼び方をすることが多いんです。茶道や陶芸の家もそうですわな。

Photo: Shunsuke Suzuki


佐野 藤右衛門[さの・とうえもん]

1928年,京都市生まれ。造園家。植藤造園会長。天保時代から京都の仁和寺に仕えてきた佐野藤右衛門の十六代目。十四代目から三代にわたる「桜守」として,全国各地の名桜の保存に努めている。彫刻家のイサム・ノグチとともにパリのユネスコ本部で日本庭園を造った功績などで,1997年にユネスコから「ピカソ・メダル」を贈られる。京都迎賓館の作庭では棟梁を務め,日本造園学会賞などを受けた。著書は『さくら大観』『京の桜』(いずれも紫紅社),『桜のいのち庭のこころ』(草思社)など。

鈴木 嘉一[すずき・よしかず]

1952年,千葉県生まれ。ジャーナリスト・放送評論家。読売新聞社で文化部主任,解説部次長,編集委員を務め,2012年に退社。1985年から放送界を取材し続け,現在,放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会委員,日本民間放送連盟賞審査員,放送批評懇談会理事などを兼ねる。著書は『大河ドラマの50年』(中央公論新社),『桜守三代 佐野藤右衛門口伝』『わが街再生――コミュニティ文化の新潮流』(いずれも平凡社新書),『テレビは男子一生の仕事 ドキュメンタリスト牛山純一』(平凡社)など。