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Story 3 桜から学んだたくさんのこと

鈴木 先代,先々代は全国各地の名桜を訪ねていますが,藤右衛門さんもほとんど回られたんですか。

佐野 大体は行っています。中にはもうなくなってしまった桜もあります。太平洋戦争中に無茶苦茶になった桜の木がだいぶあるんです。もう元に戻しようがないところもありましたな。
ただ,どうしてそういうことになったのかを探ってみると,生態系や植物の分布,気象条件,地形,地質といったいろんな要素が関わっているのがわかってくるんです。そうすると,桜に限らず,そういった全てのものにも興味がわいてきますんや。

鈴木 なるほど。桜だけではなく,その土地や世の中がどう変わってきたかが見えてくるわけですね。

佐野 そうそう。そういうことがわかると,桜がもっとおもしろくなってくる。

鈴木 そういう気持ちは先代,先々代にもあったんでしょうね。

佐野 おじいや親父は,雪と桜の関係に興味をもっていたようですわ。今は温暖化の影響で雪が少なくなり,北海道ではこれまでにない太り方をしている桜が出ているように,妙なことになっています。そうした変化が桜にどのように影響しているかを考えるようになりますな。
何百年たった古木が切られたとき,年輪を見る癖が出てきたのも同じような理由からですわ。年輪の幅が詰まっているときは寒い年とか,その木の一生を逆算して見ていきながら,当時の人間の暮らしはどうだったのか,いろんなことを想像できる。そうすると,なおおもしろくなってきて,はまってしまうんですわ。
今の人は,目の前で起こった現象からしか前に進んでいきませんやろ。なぜそうなったんかを振り返って考えません。わしらは常に振り返って原因を調べていかなければ,仕事にならないんですわ。

鈴木 桜がさまざまなことを教えてくれるんですね。

佐野 桜は,自然との付き合い方も教えてくれます。今でも東北地方に行くと,「籾蒔(もみま)き桜」「種蒔き桜」などとよばれて,農作業の指標になるような桜がいっぱい残っています。その年々で早かったり遅かったりする開花に合わせて,農作業を始めるんですわ。自然の移り変わりは,年によってみな違います。それが今では,気象庁の情報に合わせてやるんで,局地的に異常気象が起こったら対処できなくなってしまいますんや。結局,自然に対してちゃんと向き合わず,人間だけの事情を優先させるところにいろんな問題があるんでしょうな。

鈴木 藤右衛門さんは以前,京都府庁旧本館の中庭で珍しい品種を発見されました。そこが幕末に京都守護職を務めた会津藩主・松平容保(まつだいら・かたもり)の上屋敷跡だったことから「容保桜」と命名されました。

容保桜は,花柄(かへい)が長く一文字状に咲き,通常のヤマザクラよりも大きな花をつける

佐野 桜には,そうした歴史を教わることもあるんです。商売として桜を扱っていましたが,それを取り巻くさまざまなことがおもしろく思えるようになったのは,藤右衛門の名前と桜守を継いでからですな。

鈴木 容保桜の種から育てた苗木を,ゆかりのある福島県会津若松市に寄贈する話はどうなりましたか。

佐野 東日本大震災の影響で2年遅れましたが,会津若松の鶴ヶ城公園に植えることができました。桜が結ぶ縁ですな。

Photo: Shunsuke Suzuki


佐野 藤右衛門[さの・とうえもん]

1928年,京都市生まれ。造園家。植藤造園会長。天保時代から京都の仁和寺に仕えてきた佐野藤右衛門の十六代目。十四代目から三代にわたる「桜守」として,全国各地の名桜の保存に努めている。彫刻家のイサム・ノグチとともにパリのユネスコ本部で日本庭園を造った功績などで,1997年にユネスコから「ピカソ・メダル」を贈られる。京都迎賓館の作庭では棟梁を務め,日本造園学会賞などを受けた。著書は『さくら大観』『京の桜』(いずれも紫紅社),『桜のいのち庭のこころ』(草思社)など。

鈴木 嘉一[すずき・よしかず]

1952年,千葉県生まれ。ジャーナリスト・放送評論家。読売新聞社で文化部主任,解説部次長,編集委員を務め,2012年に退社。1985年から放送界を取材し続け,現在,放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会委員,日本民間放送連盟賞審査員,放送批評懇談会理事などを兼ねる。著書は『大河ドラマの50年』(中央公論新社),『桜守三代 佐野藤右衛門口伝』『わが街再生――コミュニティ文化の新潮流』(いずれも平凡社新書),『テレビは男子一生の仕事 ドキュメンタリスト牛山純一』(平凡社)など。