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Story 3 「身体の同調」で信頼感を取り戻す

――「身体性」とは,具体的にはどのようなことなのでしょうか。

これは動物と比較すればよくわかるでしょう。動物は言葉をもちませんが,ジャングルのなかではゴリラどうし,あるいはゴリラとゾウ,ゴリラと虫,ゴリラと鳥,みんながなんとなく理解し合って,問題を起こしません。動物は互いを深く分析せず,曖昧なものは曖昧なままに付き合おうとする。これが身体を通した共存であり,自然界にしっかりと存在する互いへの了解のしかたです。

画像,山極寿一

私自身,調査の過程でゴリラと向かい合っていると,言葉に惑わされないからこそゴリラの内面が見えてくる。今どういうつもりで,どういう気持ちだということが了解し合えてくるんですよ。人間どうしだと,こうはいかない。なぜならば,どうしても言葉がなければ不安になり,言葉に頼って説明をしたくなるからです。そしてその言葉がまた,自分自身の気持ちとぴったり一致していないということがままある。表情,しぐさや態度から得られる印象と,言葉から受ける印象には常にずれがあり,そのギャップが人間を不安にさせる。言葉に重きを置きすぎると,相手の内面が見えにくくなってしまうのです。

かつては人間も動物と同じように,互いの身体の共在や,身体的なつながりを通して了解を取り合っていました。しかし言葉を使うようになってから,人間のコミュニケーションは,脳と脳のつながりに置き換わってしまった。電話やパソコンがある現代においてはその状況は加速していて,今や我々のコミュニケーションは身体から遊離してしまっています。言葉に依存しすぎる状態に,現代人はあるのです。しかし,言葉は決して完全なツールではないのだということを強調しておきたいと思います。

――身体性が欠如していると,どのような問題があるのでしょうか。

互いへの信頼感が担保できなくなります。本来,信頼感というものは「身体の同調」でしか作られないものだからです。身体の同調とは,具体的にいえば,誰かと一緒に同じものを見る,聞く,食べる,共同で作業をする,といった五感を使った身体的な共感や,同じ経験の共有のことです。これには当然,時間がかかります。その代わり,言葉のやり取りだけではとうてい得られない強い信頼を互いの間に築き上げることができる。

画像,山極寿一

私はアフリカでゴリラの調査をするとき,よく狩猟採集民のピグミーの人たちとともに仕事をしてきました。彼らは質素な家に住み,個人の所有物をあまり持たない暮らしをしています。少ない個人所有物のなかで彼らが大事にしているのが,狩りに使う弓や網です。男性たちは狩猟に行くとき,あえて自分の道具を使わずに,共に狩に行く仲間の物を借りて使います。

なぜわざわざ貸し借りを行うかというと,道具と経験を共有したいからです。自分の持ち物を使うほうが簡単に思えるかもしれないけれども,そうすると自分一人で狩りができてしまうことになる。彼らはあえてこのような手続きを踏むことで,互いへの信頼を築いています。ピグミーの女性たちもまた,食事の支度をわざわざみんなで行います。共に何かをすることの実践がここに見られる。個人所有をなるべく顕在化しないで,みんなで共有する状態をピグミーの人たちは作り出し,身体性に基づいた信頼を担保する共同体を維持するのです。

現代社会においてますます失われつつある人間の身体性をいかにして取り戻すかは,これからの課題であると思います。共に食べ,歌い,働き……,そういった身体の同調を,時間をかけて繰り返していくことで,人間どうしが本来備えていた互いへの信頼をも取り戻せるはずです。

Text: 濱野ちひろ Photo: 伊東俊介


画像,山極寿一

山極 寿一 [やまぎわ・じゅいち]

1952年,東京生まれ。人類学,霊長類学者。京都大学総長。京都大学理学部卒,同大学院理学研究科博士課程単位取得退学。理学博士。カリソケ研究センター客員研究員,(財)日本モンキーセンター・リサーチフェロー,京都大学霊長類研究所助手,同大学大学院理学研究科助教授、教授を経て,2014年より現職。30年以上にわたり,アフリカの各地でゴリラの野外研究に従事。ゴリラ研究の第一人者。著書に,『暴力はどこからきたか』(NHK出版),『家族進化論』(東京大学出版会),『ゴリラは語る』(講談社),『「サル化」する人間社会』(集英社インターナショナル)など。