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Story 4 教育にも求められる身体性の回復

山極 寿一(人類学・霊長類学者)

2017年9月15日 更新

山極 寿一 人類学・霊長類学者

中学校『国語』教科書3年の論説「作られた『物語』を超えて」の筆者、山極寿一さんに、この文章に込めた思い、これからの教育に願うことなどについて、5回に分けてお話をうかがいました。

現在の教育について考えをお聞かせください。

今、世の中では「自己実現」という言葉がもてはやされています。この言葉は生涯の目標をもち、自分にしかできない何かを達成する、という意味で使われています。中学校、高校で成績が重視されたり、芸術の英才教育が人気だったりするのも、背景には自己実現への希求があると思います。しかしそれは真の意味で使われているのでしょうか。

現代流の自己実現を突きつめていくと、それは周囲と競合し他者を押しのけて自分がトップに立つ、ということになってしまう。この「物語」の裏側を見てみれば、自己実現とは、その人が達成した成果を他者に認めさせるものだということがわかります。競争が前提としてある以上、誰かによって価値が認められない限りその人の努力は報われないことになる。

画像、山極寿一

他者に評価を強制してなされる自己実現の「物語」は、価値の一元化の「物語」とも言い換えられるでしょう。多様性を重んじ、創造性を育む世界では、そのようなことはあってはいけない。特に学問の世界では避けられるべきですし、私の考えでは、学問においては一芸に秀でる必要もありません。むしろ雑多な知識や多様な価値観が必要とされる。一元的な価値基準のもと利益追求型の研究を行うばかりでは、常識をひっくり返すことも、真に革新的なアイデアを生み出すこともできません。学術の世界は新たな知識が次々に生み出され、ある時は時代を変革する創造的理論やムーブメントが生まれる場所です。そのような環境を維持するためには、競争原理だけにおもねってはいけないわけです。

現在の日本の学校教育は、到達点を決めて段階的に達成していくシステムになっています。もちろんどんな教科にも基礎知識が必要ですから、この教育方法は間違っていません。しかし、基礎の上で自分なりの考えを発展させるほうが本来は重要で、そういった力は到達度を競う環境では育ちにくい。いくらでも横道にそれながら自由に発想を積み重ねていくことのほうが本来は大事なのです。

思考力や発想力を育むにはどのような方法が有効でしょうか。

考えるという行為は、頭を使うことだけを指すのではありません。考えるとは、身体を使う行為でもあります。そして生きた知識とは、人々の頭の中、あるいは身体の中にあるものです。

画像、山極寿一

ですから人々と共に何かを体験したり、個人的な体験を直接教えてもらったりすることが、生きた知識を積むためには大切です。インターネットでキーワードを検索して得られる知識と、実際に自分で体験して得られる知識の間には応用力の部分で非常に大きな差があります。教育の現場にも身体性の回復が求められているのです。野外での学習や異文化体験といった予想外のことが起きうる環境や、演劇など自分たちで創作できる場、身体で考えるきっかけを得られる場が必要とされているのではないかと思います。

Text: 濱野ちひろ Photo: 伊東俊介

画像、山極寿一

山極 寿一 [やまぎわ・じゅいち]

1952年、東京生まれ。人類学、霊長類学者。京都大学総長。京都大学理学部卒、同大学院理学研究科博士課程単位取得退学。理学博士。カリソケ研究センター客員研究員、(財)日本モンキーセンター・リサーチフェロー、京都大学霊長類研究所助手、同大学大学院理学研究科助教授、教授を経て、2014年より現職。30年以上にわたり、アフリカの各地でゴリラの野外研究に従事。ゴリラ研究の第一人者。著書に、『暴力はどこからきたか』(NHK出版)、『家族進化論』(東京大学出版会)、『ゴリラは語る』(講談社)、『「サル化」する人間社会』(集英社インターナショナル)など。

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