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Story 3 走ることの楽しさを伝えていきたい

――高野さんにとって「走ること」とは何ですか。

高野 進(元五輪代表選手)

わたしの人生では400メートルをやめても,他の選択肢がなかった。「どっちにしようかな」なんていうものがない。400メートルをやめた瞬間に,自分のアイデンティティーがなくなるというような感じでしたね。今もそうですが,自分の人生はこれをやるしかないという,常にハングリーな状態です。

必死に自分を探し求めていく中で,苦しいけれどもこれをやることで自分自身を確認できることを見つけたんです。だから,けがをしたり,惨敗したりしながらも,不思議なことに一度もやめたいなんて考えたことはありませんでした。

わたしにとって,陸上競技は仕事でもないが趣味でもない。 趣味だったらこんな苦しいことはしませんよ。あえていうなら,芸術に近いものがあるかもしれません。好きで描いていた絵が人の目に留まるようになって,それが売れて,生活できるようになったようなものでしょうか。最近では「自分に課せられたミッション」と感じるようになっています。

――現役を引退されてからは,東海大学で教鞭を執りながら末續選手などのアスリートを育て上げておられますが,コーチとしては,どんなことに気をつけていらっしゃいますか。

わたしの原点は「教えてやる」ではなく,「いっしょにやろうぜ」です。まず私自身が走りたいので「いっしょに探していこう」というスタンスを常に保っています。

自分自身が思い描いているものを,みんなと共有して新しいものを生み出していきたい。共に目ざすというスタイルを作ることが大事だと思うのです。だから,あんまり計算もしないし,「こういうときにはこういう言葉がけを」というような指導上の技術も意識していません。要するに素直になるというだけのこと。

本気,本音で選手たちと付き合っていくと,人間どうしですからときどきはどうしても気持ちが通じなくて,壁ができてしまうときもあります。ただ,そんなときに,こちらが先に心を閉ざしてはだめで,根気よく解きほぐすことを心がけています。

――最近では市民ランナーの裾野を広げる活動も熱心に行っていらっしゃいます。これから,どんなことに取り組んでいかれますか。

高野 進(元五輪代表選手)

アスレティクスアカデミーの出前授業で,小学生を指導する高野さん

NPO法人「日本アスレティクスアカデミー」を立ち上げて,長年携わってきた陸上競技活動の経験を生かし,体を動かすことの楽しさと,すばらしさを体感できる機会を多くの子どもたちに与えたいと考えています。また,ルールのあるスポーツを通じて人間社会のマナーやエチケットを学ぶことのできる環境も同時につくっていきたいと思います。

それから,メタボリックシンドロームや高齢化社会が深刻な社会問題となっていますが,一般市民向けのプログラムも提供していきたいと考えています。

ただ速く走ることだけを考えるのではなくて,これからは「走る意味」「走る環境づくり」「指導法」「リーダー育成のシステム化」をしっかり考えながら,できるだけ多くの人に走る楽しさを伝えていければいいなと思っています。


高野 進 [たかの・すすむ]

1961年,静岡県富士宮市生まれ。東海大学体育学部教授。陸上400メートル競技で,82年インドアジア大会優勝。84年ロサンゼルス五輪と88年ソウル五輪ではベスト16,92年バルセロナ五輪で8位に入賞する。日本記録保持者(44秒78)。大学で教鞭を執るかたわら,陸上競技部短距離コーチとして学生を指導。財団法人日本陸上競技連盟理事・強化委員長として国際競技会等で活躍する選手の育成にも努めている。また,特定非営利活動法人日本アスレティクスアカデミー理事長として,陸上競技の普及活動を進めている。主な著書に『高野進流 日本人のための二軸走法』(スキージャーナル),『走れ!ニッポン人 一億三千万総アスリート計画』(文藝春秋),『陸上 短距離走 パーフェクトマスター』(新星出版社)などがある。