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「自画像」のひみつ

藤原 えりみ

美術ジャーナリスト

「自画像」にはこんなひみつがあった! 自画像をめぐるさまざまエピソードとその見方をご紹介。

藤原えりみ(ふじはら・えりみ)

1956年山梨県生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了(専攻/美学)。女子美術大学・國學院大學非常勤講師。著書に『西洋絵画のひみつ』(朝日出版社)。雑誌『和楽』(小学館),『婦人公論』(中央公論新社)で,美術に関するコラムを連載中。光村図書高等学校『美術』教科書の著作者でもある。

第1回 「自画像」のはじまり

2015.03.31

今や絵画表現の形式の一つとしてすっかりおなじみとなった自画像だが,紀元前にまでさかのぼる人類の造形史においてはさほど長い歴史をもっているわけではない。単独の自画像が描かれるようになるのは15世紀頃のことと言われている。

もちろん,それ以前にも作例はあったかもしれない。だが具体的なものは伝わっておらず,また,ある著名な彫刻家が自分に似た像を女神像の盾に刻んだところ,不敬罪に問われたという古代ギリシャの言い伝えが示すように,作り手が自らの姿を残す習慣は根付かなかったようだ。ましてキリスト教が社会に浸透した中世では,正面向きの肖像はキリストや聖人のみに許された形式であった。

だが,15世紀頃になると,イタリアを中心に,宗教主題などの大画面に画家が自らの姿を描き込む作例が見受けられるようになる。〈芸術家〉という概念も社会的地位も確立していなかった当時,画家や彫刻家は一介の手仕事職人に過ぎなかったわけで,彼らが独断で自らの姿を作品内に埋め込んだとは思えない。当然,注文主の了解を得ているはずである。祭壇画に,注文主やその家族が描き込まれるようになった時代でもあり,個人の存在を宗教主題のうちに刻印するという行為が,社会的にも認知され始めたと考えることもできるだろう。

「参列型自画像」と呼ばれるこの形式の作例のひとつに,初期イタリア・ルネサンスを代表する画家,サンドロ・ボッティチェリの「東方三博士の礼拝」<※1>がある。救世主の誕生を知った東方の三博士(占星術師ともいわれる)がベツレヘムを訪れ,生まれたばかりの幼子イエスを礼拝する主題で,画家は画面向かって右端に立ち,こちらに視線を投げかけている。柔らかい金髪と重たげなまぶたは繊細で物憂げな気質を感じさせるが,引き締まった口元とやや見下ろすような目つきには,画家としての自覚と自信が秘められているようにも見える。

※1 「東方三博士の礼拝」サンドロ・ボッティチェリ(ボッティチェリ展 公式サイト)

実は,この作品には注文主を含め,フィレンツェの実権を握っていたメディチ家の人々も描き込まれている。つまり,画中の人物たちは,「同時代の出来事」として再演されたこの聖なる出来事の当事者であり,またその証人なのだ。そして,画家の表情は「この絵を描いたのはこの私だ」と絵を見る人に訴えかけているようでもある。

ボッティチェリより7歳年下のレオナルド・ダ・ヴィンチも,若き日に着手した同じ主題の作品<※2>の右端に自らの姿を描き込んでいると言われる(残念ながら,未完成のままであるが)。そして,ルネサンス文化の隆盛とともに,レオナルドやミケランジェロ,ラファエロの世代になると,職人ではなく「表現者」であり「芸術家」であるという自覚は,さらに強さを増していく(ラファエロもまた「アテネの学堂」<※3>の右端に自らの肖像を描き込んでいる)。

※2 「東方三博士の礼拝」レオナルド・ダ・ヴィンチ(ウフィツィ美術館)

※3 「アテネの学堂」ラファエロ・サンティ(ヴァチカン美術館)

そうした動向の最先端に立つミケランジェロの「参列型自画像」は,今見ても戦慄を覚えるほど衝撃的だ。システィーナ礼拝堂の壁画「最後の審判」<※4>を主題とする壮大な画面のキリストの足下に,生きながら皮を剥がれて殉死した聖バルトロマイがいるのだが,彼が手にしている皮の顔はミケランジェロ自身だと言われている。

※4 「最後の審判」ミケランジェロ・ビオナローティ(ヴァチカン美術館)

また,ほぼ4半世紀前に制作した同礼拝堂の天井画には,『旧約聖書』に基づく主題で,美女ユディットに籠絡されて寝首を掻き切られる敵将の首が描かれているのだが,その死に顔も,ミケランジェロに似ているという。

自らをより偉大に(あるいはハンサムに?)美化するどころか,逆に自らをおとしめるかのようなミケランジェロの過剰な演出。ここには,どのような意図が秘められているのだろうか――。500年前の彫刻家の心情は推し測り難いが,あれこれと思いを巡らせてみるのもまた楽しいものである(半ば妄想に近いとしても,それも自由な鑑賞のありかたなのだから)。

次回は,デューラーの作品を例に,独立した作品として登場する自画像についてご紹介します。