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「自画像」のひみつ

藤原 えりみ

美術ジャーナリスト

「自画像」にはこんなひみつがあった! 自画像をめぐるさまざまエピソードとその見方をご紹介。

藤原えりみ(ふじはら・えりみ)

1956年山梨県生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了(専攻/美学)。女子美術大学・國學院大學非常勤講師。著書に『西洋絵画のひみつ』(朝日出版社)。雑誌『和楽』(小学館),『婦人公論』(中央公論新社)で,美術に関するコラムを連載中。光村図書高等学校『美術』教科書の著作者でもある。

第2回 デューラーの挑戦 ―自己を見つめる自画像―

2015.04.30

ドイツ・ルネサンスを代表する画家アルブレヒト・デューラー(1471-1528年)は,独立した作品として自画像を描いた最初の画家と言われている。もちろん,デューラー以前にも,例えば,レオナルド・ダ・ヴィンチやヒエロニムス・ボスなどが自画像と思しき素描を残してはいる。だが,当時の考え方に従えば,素描はあくまでも習作であって,本格的な作品とは受け止められてはいなかった。さらに,15世紀から16世紀にかけて絵画に求められていたのは,祭壇画などの礼拝の対象か,教養としてのギリシャ神話などの古典文学などを主題とする作品,ないしは注文主の社会的地位を顕彰する肖像画であって,たとえ画家が本格的な自画像を描いたとしても,それに「芸術的」価値を認めて購入する顧客などほとんどいなかったことだろう。

そのような時代に,群衆の中の一人としてではなく(連載 第1回「自画像のはじまり」参照),1枚の画面に,自らの姿のみを描くのだから,かなり特殊な試みと言えるのではないだろうか。そして,デューラーといえば,野の草やうさぎの素描などで知られるように,空恐ろしいほどの卓越した描写力の持ち主である。デューラーの描写力は〈そこ〉に存在する〈もの(描く対象)〉の根源にまで迫る強靱な探究心を感じさせる。

その手段となる鋭利なまなざしを自らに向けるというのだから,よくよく考えてみれば,これもなんとも空恐ろしい行為のような気もしないではない。だが,常に注文主の意向を気に掛けねばならならない通常の制作と違って,他者に見せることを前提としない自画像ならば,どんな大胆な実験も可能である。実際に,デューラーは生涯に3点の自画像を残しているが,そのいずれもが,彼の人生におけるなんらかの節目に描かれたようなのだ。

13歳のときに描いた素描自画像は別として(これ自体がすでに相当なハイレベルな作品なのだが),最初の自画像は21歳頃の「アザミを持った自画像」(※1)。これは結婚に際して描かれたものと考えられている。

※1 「アザミを持った自画像」アルブレヒト・デューラー(ルーヴル美術館)

結婚後間もなくデューラーはイタリアに旅立ち,ルネサンス芸術の盛期を迎えつつあるヴェネツィアで約1年間絵画修行に励んだ。ここに紹介する「自画像」(※2)はイタリアから帰国後の27歳の頃に制作されたもので,画家は白と黒でコーディネートされた当時のイタリアの最先端ファッションに身を包んでいる。

※2 「自画像」アルブレヒト・デューラー(プラド美術館)

イタリアの洗練された芸術文化を体験してきた者の自負と気概が満ちているが,ヴェネツィアと比べると,彼の故国では画家の社会的地位はいまだに低く,「芸術家」という概念も確立していなかった。周囲と相容れない芸術家としての自覚に目覚めた自らを,しかと確認するかのような精密な筆さばきには,最初の自画像には見られない気迫さえ宿っているようだ。

そして「1500年の自画像」と呼ばれる3枚目の自画像(※3)。デューラーの自画像としてもっともよく知られている作品だろう。それ以前の2点との大きな違いは,画家が正面をまっすぐに見つめていること。正面を向いた顔の画像は,イエス・キリストや聖母マリアなどの礼拝画像のみに許された形式であったことを考えると,デューラーの大胆さに驚く。

※3 「1500年の自画像」アルブレヒト・デューラー(アルテ・ピナコテーク)

デューラーが亡くなるのは16世紀前半のこと。それから約1世紀後,青年期から晩年に至るまで,数多くの自画像を制作したレンブラント(1606-1669年)が登場する。「自己を見つめる」という行為が広く浸透し,画家たちはさまざま意味をこめて自画像を制作するようになっていた(※4)。

※4  レンブラントの作品の数々(アムステルダム国立美術館)

レンブラントのケースでは,大人気画家ゆえ生前から贋作が出回っていたため,「自画像なら贋作ではないだろう」と考える顧客が数多くいたというエピソードも伝わっている。画家の自画像が美術品として市場価値をもつようになったのだろうか。デューラーの時代からすれば隔世の感ありである。

次回は,鏡の中に描かれた自画像についてご紹介します。