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「自画像」のひみつ 第3回

「自画像」のひみつ

2015年6月11日 更新

藤原 えりみ 美術ジャーナリスト

「自画像」にはこんなひみつがあった! 自画像をめぐるさまざまエピソードとその見方をご紹介。

藤原えりみ(ふじはら・えりみ)

1956年山梨県生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了(専攻/美学)。女子美術大学・國學院大學非常勤講師。著書に『西洋絵画のひみつ』(朝日出版社)。雑誌『和楽』(小学館)、『婦人公論』(中央公論新社)で、美術に関するコラムを連載中。光村図書高等学校『美術』教科書の著作者でもある。

第3回 鏡の魔術 ―凸面鏡が映し出す「自画像」―

現在のような透明度の高い平面鏡が一般に市販されるようになるのはそれほど昔のことではなく、ゆがみの少ない薄い板ガラス製の平面鏡以前には、吹きガラス製法による凹面鏡や凸面鏡が一般的であったようだ。

たとえば、ヤン・ファン・エイクの「アルノルフィーニ夫妻の肖像」(※1)の壁面に掛けられているのも凸面鏡である。15世紀フランドル絵画を代表する肖像画の一つであるこの作品は、緻密な描写による事物の象徴的な意味、鏡に映り込んだ人物像、そして鏡の上の壁の画家自身の署名(「ヤン・ファン・エイク、ここにありき。1434年」)をめぐって、さまざまな解釈がなされてきた。

※1 「アルノルフィーニ夫妻の肖像」ヤン・ファン・エイク(ナショナル・ギャラリー)

毛皮付きの豪華な衣装や、窓からの光を反射する数珠やシャンデリアの質感など、神がかり的な超絶技巧が、見る人の眼を画面の隅々にまで吸い寄せる。だが、この絵の魅力を高めているのは、鑑賞者の視線を誘導するように、重ね合わされた二人の手の上方に描かれた鏡の存在にあるといってもよいだろう。

この凸面鏡には、部屋の戸口に立って夫妻を見つめる二人の男性が映り込んでいる。一人は青いターバンと衣装、もう一人は赤いターバンを身につけている。この作品と同じくロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されている、赤いターバンをかぶった男性の肖像画がヤン・ファン・エイクの自画像と考えられてきたことから(確証はないのだが)、この赤いターバンの男性は画家自身であり、彼の署名は、この男女の婚約(あるいは結婚)の立会人を務めたことの証であるという説が唱えられている。そして、鏡の仕掛けによって、この絵の鑑賞者もまた二人の男性の位置にいることになるのだ。謎めいた鏡の存在が絵画空間と現実空間を交差させ、鑑賞者は否応なく絵画の中へと引き込まれていく。

鏡を通しての絵画空間と現実空間との往還という点では、ベラスケスの「ラス・メニーナス」(※2)もよく知られている作品だ。画面には大きなキャンバスに向かうベラスケスと侍女に囲まれた王女マルガリータが描かれているが、彼らの背後の壁に掛けられた鏡にはぼんやりと男女が映し出されている。この男女を王と王妃と解釈することによって、国王夫妻の肖像を制作中のベラスケスのアトリエを王女が訪れた場面という解釈がなされている。そして、ここでもまた、絵を見る人は、王と王妃の位置に立つことになる。哲学者ミシェル・フーコーが分析したように、「見ること/見られること」が複層的に展開する仕掛けなのだ。

※2 「ラス・メニーナス」ディエゴ・ベラスケス(プラド美術館) 

そして、ベラスケスは、王族の遺産相続によって16世紀後半にはスペイン王家の所蔵となっていた、ヤン・ファン・エイクの「アルノルフィーニ夫妻の肖像」を見ていた可能性があるという。もしそうだとするなら……。「アルノルフィーニ」を見たときのベラスケスの驚き、そして過去の巨匠に挑む、というよりは、過去の巨匠に対する敬意を込めた応答として、「ラス・メニーナス」へと至るベラスケスの構想と遊び心――。などなど、あれこれ想像力が刺激されてしまう。
そして、ベラスケス作品の仕掛けは、18世紀から19世紀にかけて生きたゴヤに引き継がれ、権力者の虚栄を暴き出した稀代の王族肖像画「カルロス4世の家族」(※3)を生むことになるのだ。

※3 「カルロス4世の家族」フランシスコ・デ・ゴヤ(プラド美術館)

最後に、凸面鏡が映し出す歪んだイメージを生かした自画像作品を紹介しておきたい。ひとつは16世紀イタリアの画家パルミジャニーノ(※4)、もう一つは20世紀のグラフィック・アーティスト、マウリッツ・コルネリウス・エッシャーによるもの(※5)。板ガラスの質の向上や裏箔素材の工夫によって鮮明な鏡像が得られる平面鏡が一般化するとともに、逆に画家たちはゆがんだ鏡像のおもしろさを視覚の遊びとして再発見したのかもしれない。

※4 「凸面鏡の自画像」パルミジャニーノ (in quiete Il Sito di Gianfranco Bertagni)
※5 「反射する球体を持つ手」マウリッツ・コルネリウス・エッシャー(M.C. Escher公式サイト)

次回は、ゴッホの作品を例に、「造形的な実験の場」としての自画像をご紹介します。


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