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「自画像」のひみつ 第4回

「自画像」のひみつ

2015年7月6日 更新

藤原 えりみ 美術ジャーナリスト

「自画像」にはこんなひみつがあった! 自画像をめぐるさまざまエピソードとその見方をご紹介。

藤原えりみ(ふじはら・えりみ)

1956年山梨県生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了(専攻/美学)。女子美術大学・國學院大學非常勤講師。著書に『西洋絵画のひみつ』(朝日出版社)。雑誌『和楽』(小学館)、『婦人公論』(中央公論新社)で、美術に関するコラムを連載中。光村図書高等学校『美術』教科書の著作者でもある。

第4回 ゴッホの実験 ―造形的探究としての自画像―

生涯にわたって自画像を描き続けた画家といえば、まず思い浮かべるのはレンブラント、そしてゴッホだろうか。オランダ生まれという共通点はあるが、画家としての人生は対照的だ。レンブラントは晩年には困窮生活に陥るものの、17世紀のアムステルダムで一世を風靡した人気画家であった。一方のゴッホは、弟テオの援助により画業に専念することはできたものの、画家としての社会的な評価を生前に得ることはなかった。

その二人が延々と描き続けた自画像とは一体何なのだろう……。レンブラントの場合は、自分自身を客観視し自己確認しようとする画家自身の創作姿勢と同時に、人気画家ゆえに自画像ですら作品収集の対象になった可能性も否めないようだ(連載第2回を参照のこと)。ゴッホの自画像にも確かに自己確認しようとするまなざしは感じられる。とはいえ、彼の場合、それだけが自画像制作のモチベーションではなかったようだ。

例えば、1887年に制作された「灰色のフェルト帽の自画像」(※1)を見てみよう。

※1 「灰色のフェルト帽の自画像」(ファン・ゴッホ美術館)

ゴッホがパリにやってきたのは、その前年1886年のこと。この年、最後の印象派展が開催され、ゴッホは印象派の画家や、スーラとシニャックの点描画法(新印象派)など、最先端の絵画の洗礼を受けた。ミレーなどバルビゾン派の影響を受けていたオランダ時代の彼の絵は、褐色を主体とする明暗で構成された暗い画面だったが、陰影にさえ色を見出す印象派の色遣いを採用した結果、画面は一気に明るさを増す。

それだけでなく、筆のタッチで色を並べて描く印象派の筆触分割の手法や、さらに細かい色の点によって画面を構成する点描画法にも積極的に取り組んだ。「灰色のフェルト帽の自画像」は、それやこれやの新体験を自らのものとすべく、色や形の実験を試みた結果生まれたものだ。陰の部分の赤の使い方やオレンジと緑の補色並置などの色遣い、また、顔の凹凸や背景、衣服など、画面の部分に従ってタッチの方向性に変化をもたせるなど、筆遣いにもさまざまな工夫がみられる。

彼の自画像のなかでも有名な「坊主としての自画像」について、テオに送った手紙でゴッホはこう語っている。「自分の頭部を元に色遣いよく描くことができれば、……(中略)……男性でも女性でもきっとうまく肖像画を描けるようになるはずなんだ。」(注)。自分自身をモデルにすれば、誰の意見も気にせずに、大胆な造形的実験に専念することができる。そうした観点で、ゴッホの自画像(※2)を見ていくと、それぞれの自画像の実験的な課題が何であるか見えてくるようだ。

※2 ゴッホの自画像の数々(ファン・ゴッホ美術館)

例えば「坊主としての自画像」(※3)の場合は、孔雀石のような色合いの背景に対して、衣服の褐色と紫、襟元を縁取る青が強調され、日本人ふうにつり上がった彼の目にも背景の薄緑が反映している。寒色系でまとめられた画面には、日本文化に彼が思い描いた静謐な精神性への憧れが込められているかのようだ。ちなみにこの自画像は共同生活を送ることになるゴーギャンにプレゼントするために描かれたもの。実験的な表現もまた日本文化に関わる内容も、ゴッホの芸術的信念の証(あかし)としての自画像といえるだろうか。

※3 「坊主としての自画像」フィンセント・ファン・ゴッホ(ハーバード大学フォッグ美術館蔵)

ゴッホの耳切り事件後に描かれた2点の自画像には、衝撃的な事件後の自分自身を省察する目的があったのだろう。だが、赤い背景の「包帯をしてパイプをくわえた自画像」(個人蔵)では、ちょうど耳のあたりでオレンジ色と赤とに二分割された背景に対して、青みを帯びた帽子と緑の衣服とが強烈な対比を構成していて、色面による色彩対比の効果が意識的に採用されているのは確かだ。

そうした視覚的対比の強烈さのゆえか、「情熱の人」というイメージで語られることの多いゴッホだが、感情や本能のおもむくままに制作していたわけではない。自画像だけでなく他の作品にも見られる、渦巻くようなタッチや補色対比などにしても、色彩と形の効果を模索する過程で生まれた、丹念な実験と造形的探求の痕跡なのである。

(注) Manuel Gasser “Self-Portraits, from the fifteen century to the present day”, trans. by Angus Malcolm, APPLETON-CENTURY, New York, 1963.

次回は、フリーダの作品を例に、「自己演出としての自画像」をご紹介します。


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