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「自画像」のひみつ 第9回

「自画像」のひみつ

2016年2月19日 更新

藤原 えりみ 美術ジャーナリスト

「自画像」にはこんなひみつがあった! 自画像をめぐるさまざまエピソードとその見方をご紹介。

藤原えりみ(ふじはら・えりみ)

1956年山梨県生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了(専攻/美学)。女子美術大学・國學院大學非常勤講師。著書に『西洋絵画のひみつ』(朝日出版社)。雑誌『和楽』(小学館)、『婦人公論』(中央公論新社)で、美術に関するコラムを連載中。光村図書高等学校『美術』教科書の著作者でもある。

第9回 自画像にみる時代の変遷 
―藝大生の自画像制作(3)―

20歳代から63歳で亡くなるまで数十点の油彩と32点のエッチング、7点の素描による自画像を描いたというレンブラントや、33歳からの数年間に40点ほどの自画像を描いたゴッホほど数多くの自画像を制作しないアーティストでも、若い頃と年齢を経た時点の自画像を比較してみると、表現者としての見識の深まりや経験の蓄積、そして作品の展開の消息をうかがうことができるだろう。

「若い頃の自画像」となれば、やはり東京藝大生の自画像。今回紹介するO JUNと山口晃は油画科、村上隆は日本画科の卒業生で、それぞれの若い頃の自画像と壮年期を迎えつつある比較的最近の自画像を掲載してみたい。

日本の漫画やアニメと江戸中期の日本絵画の特性を結びつけ、DOB君などのキャラクターを活用した作品で知られる村上隆(昭和61年卒業)だが、修士課程までは日本画の制作に専念していた。やや横長の画面に横向きのポーズで、本人像より背景の占める面積の方が広いといういささか変わった構図が目を引く。痩せた身体と渋い色彩、茫洋(ぼうよう)とした背景の広がりには、そこはかとない寂寥感さえ漂う。遠くに向けたまなざしは、約30年後の自らの姿を映し出していたのかどうか。「円相 隣に居る。」は6点からなる「円相」シリーズのうちの一点で2015年に制作されたものである。ブラックホールのように見える謎めいた円形を背景に、画家は無数のどくろでできた球体の上に立っている。アニメキャラクターのように様式化された姿ながら、その表情には、この世界に対する憤然たる思いを抱えつつ、生と死、そして虚無と向き合う表現者としての意志が込められているようだ。

【左】「自画像」村上隆、【右】「円相 隣に居る。」村上隆

【左】 「自画像」 村上隆
1986年 東京藝術大学大学美術館蔵

【右】 「円相 隣に居る。」 村上隆
2015年 アクリル絵具、金箔、プラチナ箔、キャンヴァス、アルミニウムフレームにマウント 170×144.7×5.8cm
©2015 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

山口晃(平成6年卒業)は、油画科出身ながら、日本絵画の伝統的な大和絵の形式の枠組みに近現代の日本社会の風俗を織り込むという、ややこしくも魅力的な作風で知られる画家である。学部卒業時に、大和絵ふうの今の作風の原点を思わせる作品を制作。それだけでなく、自画像もまた、自らを『伝源頼朝像』(京都、神護寺蔵)になぞらえるという、なんとも意表を突く仕掛け。実際よりもいささか老けて見える(失礼!)表情と、こちらに向けたまなざしからは、絵を見る人に対する疑念、あるいは「頼朝だけど、何か不満ある?」とでも言いたげなユーモアがにじみ出ているように思うのだが、いかがだろうか。2014年に制作された自画像も、制作中の姿を画布の裏側から透かし見るという凝った構図で、しかも異時同図法よろしく手前と奥に一心不乱で制作中の二人の山口晃がいる。その一人は片方の足には革靴を、もう片方の足には草履を履くなど、細部に至るまで仕掛け満載で見る人を引き込んでいく。

【左】 「自画像」 山口晃、【右】 「前に下がる 下を仰ぐ」 山口晃

【左】 「自画像」 山口晃
1994年 油彩 東京藝術大学大学美術館蔵

【右】 「前に下がる 下を仰ぐ」 山口晃
2014年 紙に鉛筆、ペン、水彩、墨 36.6 x 28.9 cm ©YAMAGUCHI Akira, Courtesy Mizuma Art Gallery

同じく油画科出身のO JUN(昭和55年卒業)の若い頃の自画像は、彼が東京藝術大学に入学して間もない頃に描いたものだ。暗い赤と青で構成された画面の雰囲気や斜め横向きのポーズなどは、青木繁が東京美術学校在学中に描いた「自画像」(1903年、久留米市、石橋財団石橋美術館蔵)を思い起こさせもする(※)。「顔の角度や周囲の暗色の背景に、19歳の自分の気負いや自惚れが見え隠れする」とはご本人の弁。それに対して、2001年のものは〈自画像とは一体何を写し描くのか〉という問いから生まれた自画像で、自嘲や諧謔(かいぎゃく)も含めて〈表面〉だけを写そうという意識で制作したという。笑顔を浮かべた眼鏡姿で、なんと金歯がキラリとのぞく。「寫」というタイトルは岸田劉生の自画像タイトルを借りたものだとも。意味が発生する前のモチーフをとらえたいというO JUNの作品は、さまざまな解釈の可能性を感じさせる軽快さをたたえている。もちろんただ快いだけではない。軽やかな諦観さえ感じられるこの自画像のように、画面の余白には多層的な心理の綾が織り込まれている。

【左】 「自画像」 O JUN 、【右】 「自寫像」 O JUN

【左】 「自画像」 O JUN
1976年 油彩、キャンヴァス 45.5×38cm ©O JUN, Courtesy Mizuma Art Gallery

【右】 「自寫像」 O JUN
2001年 グアッシュ、紙 44×36.5cm ©O JUN, Courtesy Mizuma Art Gallery

現在活躍中のアーティストだけに、若い頃の自画像との対比によって、彼らの秘められた創作の襞の内側に入り込んだような気持ちになってくる。過去の巨匠ではない、現存アーティストだからこそ感じ取れるリアリティだろうか。

 

※ 青木繁 「自画像」(1903年)については、以下のサイトに作品が掲載されている。
青木繁と坂本繁二郎(久留米観光サイト)

【参考】
村上隆の「円相 隣に居る。」 は、現在開催中の「村上隆の五百羅漢図展」で観ることができる。
村上隆の五百羅漢図展(森美術館)

山口晃の「前に下がる 下を仰ぐ」は、下記の作品集でも紹介されている。
『前に下がる 下を仰ぐ』(青幻舎)

次回は、森村泰昌の自画像をご紹介します。


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