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本を読んで、考える練習をしよう 第12回

本を読んで、考える練習をしよう

2016年3月24日 更新

堀部 篤史 誠光社 店長

本のスペシャリストが、小・中学生に読んでほしい、とっておきの本をご紹介。

堀部篤史(ほりべ・あつし)

1977年京都府生まれ。立命館大学文学部在学中から、京都の人気書店・恵文社一乗寺店でアルバイトを始め、2004年から2015年8月まで店長を務める。2015年11月、京都市内に新しい書店「誠光社」を立ち上げる。著書に『本屋の窓からのぞいた京都』(マイナビ)、『街を変える小さな店』(京阪神Lマガジン)など。フリーペーパーや雑誌への連載も行う。

第12回 本を読むということ

画像、犬と猫の本の表紙

『黄色い本』 著:高野文子/講談社
『本を読むわたし―My Book Report』 著:華恵/筑摩書房
『ぼくが一番望むこと』 文: マリー・ブラッドビー 絵:クリス・K・スーンピート 訳:斉藤規/新日本出版社

この連載もいよいよ今回で最終回。これまでさまざまなテーマで本をご紹介させていただきましたが、最後は「読書」そのものについて考えるきっかけとなる本を。街を歩けば広告が目に入り、電車に乗っていてもスマホでニュースをチェックしてしまう情報過多のいま、大人にとっても子どもにとっても、小説作品を1冊読みきるのは相当の根気がいる作業なのかもしれません。しかし、時間など忘れて本に没頭する読者たちはどんな時代にも存在します。彼らの言葉によって読書の喜びを疑似体験することで、その魅力に目を開かれることもあるはずです。

バスの中で、寝床に入ってから、騒がしい食卓で……さまざまな状況で読書に没頭する少女の姿を描いた『黄色い本』は、あらゆる角度から「読む」という体験を読者に共有させんとする実験作にして傑作です。ロジェ・マルタン・デュ・ガールの大長編『チボー家の人々』を図書館で借り、読み終えるまでの時間を描くというシンプルな設定ながら、あらゆる状況で本を読む姿勢、物語と現実が混濁していくかのような入れ込み方、ストーリーが終わってしまった後、読者はどのように現実へと戻っていくのか。そんな読書に伴う時間が巧みに描かれ、読者に本を読むことそのものの身体感覚が伝わります。本を読むとはかくのごとく情熱的でフィジカルな行為なのです。

モデルの華恵さんによる『本を読むわたし』は、15歳とは思えぬ巧みな筆致と、思春期を前にした少女ならではのみずみずしい感性が同居した素晴らしい読書エッセイです。幼年期の回想、クラスメートとのやりとり、作中の人物と現実の重なり。ただただ読書が楽しく、批評性や情報とは関わりなく心動かされる著者の姿に、年輪を重ねた読書人は姿勢を正され、若い読者はおもわず本を手に取りたくなることでしょう。

『ぼくが一番望むこと』は、アメリカの教育者、ブッカー・トラバ・ワシントンの幼少期を描いた絵本です。日が昇る前から暮れるまで岩塩の精製工場にて過酷な労働に明け暮れる9歳の少年にとって、文字を読み、本の中の物語に入り込むことは、日々の苦労をひととき忘れる手段であり、砂漠で水を渇望するかのごとく根源的な欲求でした。土の上に文字を描き、その読み方を教わった時の喜びようといったら!

ここに挙げた3冊の書き手や登場人物同様、子どもも大人も、人種も性別も区別なく、水を欲するような知的渇望と、そこに本があれば、自ずと私たちは熱心な読書家へと変貌するはずです。

本連載は、今回が最終回です。ご愛読、ありがとうございました。

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