みつむら web magazine

英語をめぐる冒険 第8回

英語をめぐる冒険

2015年10月27日 更新

金原 瑞人 翻訳家・法政大学教授

翻訳家として、大学教授として、日々英語との関わりの中で感じるおもしろさ、難しさを綴ります。

金原瑞人(かねはら・みずひと)

1954年岡山県生まれ。翻訳家、法政大学社会学部教授。法政大学文学部英文学科卒業後、同大学院修了。訳書は児童書、一般書、ノンフィクションなど400点以上。日本にヤングアダルト(Y.A.)というジャンルを紹介。訳書に、ペック著『豚の死なない日』(白水社)、ヴォネガット著『国のない男』(NHK出版)など多数。エッセイに、『サリンジャーに、マティーニを教わった』(潮出版社)など。光村図書中学校英語教科書「COLUMBUS 21 ENGLISH COURSE」の編集委員を務める。

第8回 中国の場合

前回はヘボン先生といっしょに上海にいった岸田吟香の名前を出したところで終わっていたので、その続きを。

岸田吟香は1833年、現在の岡山県久米郡の出身で、19歳のとき学問修業のために江戸に行ったのだが、まあ、いろいろあって岡山にもどったり、大阪に行ったり、また江戸にもどったりしたのち、31歳のとき眼病をわずらって、横浜のヘボン先生を訪ねて、治してもらう。これがきっかけで、ヘボン先生のところにとどまり、『和英語林集成』の編集を手伝うことになる。ちなみに、この和英辞典のタイトルを付けたのも、この題字を書いたのも吟香である。

ところで、明治時代を代表する和英辞典であったこの『和英語林集成』(なにしろ、明治43年にも第9版が出版されている)は上海で印刷された。なぜ日本で印刷しなかったかというと、活版印刷の技術が遅れていて、とても無理だったからだ。
逆に、なぜそれが上海では可能だったかというと、中国でのキリスト教の布教活動が活発で、上海や澳門(マカオ)にはそれ専門の印刷所があったからだ。『和英語林集成』を印刷したのは美華書館といって、これはアメリカ長老会の作った印刷所だ。

挿絵、猫と翻訳家

前回、左から右に書く横書きはヨーロッパのアルファベットの影響で、それを日本で始めたうちのひとりがヘボン先生だと書いた。

しかし、中国で左から右に書く横書きが登場したのは、それより50年以上早い。そのひとつの例として、『Dictionary of the Chinese Language』がある。これは漢字を英語で説明した字典で、全6巻。『和英語林集成』の約6倍の分量。編纂したのはロバート・モリソンというイギリス人。ロンドン伝道教会(London Missionary Society)の宣教師として中国に渡り、聖書の一部を中国で出版したのち、この字典を1815年から数年にわたって出版している。印刷したのは、マカオにある東インド会社印刷所。

この字典に引用されている中国文は英語と同じ、左から右に書く横書き。これが最も古い例と思われる。もし、これよりさらに古い例があったら、教えてほしい。

なんと今から200年前に、中国ではすでにこの手の横書きが誕生していた。ただ、これがすぐに定着しなかったのは日本と同じで、たとえば『通常応用英語会話』という英会話の本は、英文があって、その下には漢字で発音、その上には、単語それぞれの意味が書かれている。これらはすべて左から右の横書き。ところが、その上に中国語訳が漢字で添えられているのだが、なんと、これは右から左の横書きなのだ。
Do you wish go to Japan next week? という英文のJapanという単語の上にはその意味が「日本」と書かれているのだが、上に添えられた文の意味のところでは「本日」と表記されている。

『通常応用英語会話』の該当箇所

この本がいつ頃出版されたのかは不明なのだが、1815年以降であるのは間違いない。
また、1905年に出版された『Commercial Press English and Chinese Dictionary』も本文の表記は「Chinese, a. or n. 中國的、華人、中國語」という具合に現代と同じなのだが、内表紙には横書きで「典字英華館書務商」と書かれている。

日本も中国も、かなりの時間、横書きの表記が混乱していたらしい。
それにしても、ヘボン先生といい、ロバート・モリソンといい、当時の宣教師の活躍ぶりは目を見張るばかりだ。

Illustration: Sander Studio

関連記事

記事を探す

カテゴリ別

学校区分

教科別

対象

特集