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「語りかける」英語教育 第6回

「語りかける」英語教育

2017年8月22日 更新

達川 奎三 広島大学教授

明日の授業のスパイスとして、英語を学ぶ楽しさを「語る」「語りかける」視点から解き明かします。

達川奎三(たつかわ・けいそう)

1958年広島県生まれ。広島大学外国語教育研究センター教授。兵庫教育大学大学院修了(学校教育学修士)の後、広島大学大学院教育学研究科修了(教育学博士)。中・高等学校の英語教員研修などに数多く携わっている。著書に『COMMUNICATION STRATEGIES FOR INDEPENDENT ENGLISH USERS』(英宝社/編著)、『Global Issues Towards Peace』(南雲堂/編著)など。光村図書『COLUMBUS 21 ENGLISH COURSE』編集委員。

第6回 平和を愛し、物事の奥深さを知る若者を育てる

蝉時雨(しぐれ)の朝、職場や学校へ向かう人々が立ち止まり、頭(こうべ)を垂れます。そして、公園の方に身体を向けて手を合わせます。市内電車の中では、目をつむり祈ります。毎年8月6日の8時15分に広島のそこここで見られる光景です。平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)の様子は毎年NHKなどで8時から中継されます。広島出身者は、72年前の原爆投下時刻である8時15分になるとテレビ画面あるいは被爆地の方角に向かって「一分間の黙祷」を捧げます。
私自身、広島に生まれ、広島に育ったので、これがルーティンとして身体に染みついています。広島関係者には、人に言われなくてもこのルーティンをごく自然に行う人が多くいます。

昨年(2016年)は、アメリカのオバマ大統領(当時)の来訪だけでなく、プロ野球広島東洋カープのセ・リーグ優勝でも広島が注目を浴びました。広島人(もちろん筋金入りのカープファン)としては嬉しい限りです。25年ぶりの優勝が決まった夜、通称「本通り商店街」では祝福の「ハイタッチ行進」が自然発生し、数キロメートルの長さにわたって繰り広げられました。広島カープは、被爆地ヒロシマの復興のシンボルであり、市民の心の支えであり続けました。この行進も、そうした伝統が時代を超えて受け継がれている証かもしれません。

この土地を語る時に、「広島」「ひろしま」「ヒロシマ」という三つの表現があります。行政などで言及される時は「広島」、観光などの場合は「ひろしま」、そして被爆地の意を込める時には「ヒロシマ」となります。新聞・テレビなどの報道では、これらを話題に応じて使い分けています。ヒロシマに生まれ育った者は、「平和」、とりわけ「核問題」には敏感で、「核兵器」を認めない人が多いのです。原爆で家族や友人を失った人々や、被爆者のつらい経験を見てきた人々が多いからでしょう。

1980年、大学卒業後すぐに、私は高等学校の英語教諭となりました。兄の光男が高校野球の甲子園大会で優勝したり、カープの選手だったりしたこともあり、担当する部活動は(私の希望は一切聞かれず)野球部となり、監督や部長を務めました。野球は幼い頃から大好きでしたが、硬球を扱うのは教師になってからが初めての経験で、多くの戸惑いがありました。中でも、規定の7分間という短い時間で試合前ノックを終えることがなかなかできませんでした。また、夏休み期間の練習はまさに体力勝負で、2,000~3,000球のノックを打ち、練習後には体重が1~2kg減っていたことを懐かしく思い出します。

兄の元広島東洋カープ・達川光男(右)と私

その間、兄はこっそりと高校のグランドを訪ね、私にアドバイスをくれました。「プロ・アマ規定」があるため、プロ野球選手はアマチュア選手を直接指導できないので、兄は弟である私に気付いたことを言い、私から選手に伝えるという手法をとりました。

高校教員として勤務して10年ほどが経った頃、これからの自分は野球の指導で生きる道を究めるべきなのか、あるいは英語教育で勝負すべきなのか、悩みました。「野球」と「英語」のどちらを選ぶかについて長く自問した結果、自分が生徒にとことん付き合えるのは「英語」であるとの結論に辿り着きました。また、英語教育について一から勉強し直そうと思っていた時に、運良く内地留学の機会を得ることができました。その後、縁あって大学教員の職を得て、20余年が過ぎました。

今でも、自分はどうして英語を教えているのかを考えることがあります。学生や生徒の英語運用力を伸長させることはもちろん大切ですが、私にとっての英語教育とは、突き詰めると「寛容さ」と「平和を愛する心」を育てることではないかと思っています。いくら英語がうまくなっても、相手や周りの人への寛容な態度が備わらなければ意味がありません。また、身につけた英語力が、世界の平和や人々の幸福に結びつかなければ、空しいのではないかと思います。

兄は野球、私は英語教育を生業(なりわい)にしています。どんな仕事にも苦労はつきものですが、好きなことを職業にできることは幸せだと思います。どの仕事にも、その道を究めた者だから分かる、それぞれの難しさや奥深さがあります。私にとっても、英語を学ぶことは決して楽なことではありませんでしたが、様々な苦労や努力を経てこそわかる奥深さや、本当の楽しさがあるものです。また、そうした本当の楽しさを伝えていくことは、意義深いことだと思います。野球であれ、英語であれ、何かを好きになり、夢中で取り組むことができる児童・生徒・学生を一人でも多く育てたいものです。物事の奥深さと楽しさを知り得た彼らは、きっと平和を愛する若者になるだろうと信じています。

本連載は、今回が最終回です。ご愛読、ありがとうございました。

Illustration: 福々 ちえ


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