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2010年夏 松谷みよ子 「語り継いでいきたい言葉・心」

童話作家の松谷みよ子さんに,民話の魅力,子どもたちに語り伝えたい日本の心などについてお聞きしました。

第2回 「作品が生まれるとき」

そういう採訪の旅の中から,今回の教科書に掲載された作品が生み出されてきたのですね。

『茂吉のねこ』は,秋田での聞き書きから作ったお話です。わたしは,そのとき,おなかに子どもがいて行けませんでしたが,瀬川による聞き書きがもとになっています。
 もとの話をお読みいただければ,筋が違っていることに気がつかれると思いますが,これは純粋な民話ではなくて,私の創作民話といったほうがいいかもしれません。
 もとの話では,年とった猫が,茂吉を殺すようにそそのかされてお膳の上を飛ぶ。でも,茂吉は前の晩それを聞いていたから食べなかった。その地方では,今でもねこが跨いだ飯は食わないといわれている…という筋です。
 これを書いたころ,うちでねこを飼っていまして,よくなついていたんです。だから,最後の,
「おらやんだ,おら,茂吉すきだもの」
という言葉。どうしてもこの言葉を書かずにいられなかったんです。
 私は,この話がとっても好きですね。人形劇にもなってるんですよ。

松谷みよ子

『ばけくらべ』もそうですが,昔話の中で幅を利かせているのは,きつねとたぬきですね。人間が化かされた話はとても多いんですが,これはきつねとたぬきの化かし合いの話です。私が30代の終わりごろ書いたものです。すごく楽しんで書いたのを覚えています。

『雪女』は信州の話です。いろいろな雪女にまつわるお話が残っていますが,きれいな話を取り上げました。朝倉摂さんが描かれた教科書の挿絵は,ほんとうにお話にぴったりでいいですね。
 この中に出てくる「ののさま どちら」という子守歌には,曲がついているんですよ。もちろん,わらべ歌としてこのとおりの歌が残っているのではありませんけど。
 『モモちゃんとアカネちゃんの本(5)アカネちゃんとお客さんのパパ』の中でもこの歌を登場させています。実際の子育ての中でも,いつも歌っていましたからね。

昔話がストレートな形で作品になっているのではなく,『茂吉のねこ』のように,松谷さんの心がそこここに表れているところに読み手は魅力を感じます。

民話の採訪を通じていちばん強く感じたことは,民話ってこんなに人生を反映して深いものかっていうことです。
 ですから,語り手の人生に入っていくような,採訪が大事になってきます。
 原話から作品への間には,人生が入ってこなければいけないと思っています。私の師匠である坪田譲治先生(※3)は,「人生をお書きなさい」と,いつもおっしゃっていました。それが私の道しるべなのです。
 私自身の人生が反映されるのもそうだし,お話をおうかがいした相手の方の人生もしっかり聞き取ることができなければなりません。それが血の通ったお話として作品によみがえらせるということですね。

松谷みよ子
来年度から使われる光村図書の小学校国語教科書では,語り継がれてきた民話や昔話を聞いて楽しむ教材や,日本の文化に触れて言葉の響きやリズムに親しむ教材をたくさん掲載しています。

いいことですよね。民話は語り聞かせに最適ですね。子どもも喜んでお話を聞きますし,自分で話したりする。うちの子も小さいころには「むかし,あったと」なんて,かわいい声で語りのまねをしていましたよ。
 また,わたし自身も,作品を書くときにはもちろん,語り口を大事にしています。

それから,わたしたち「民話の研究会」は「語りの会」というものを開いています。自分たち一人ひとりが語り手になろうという方向でやっていますから,語りの勉強もやっているんです。わたしの作品を朗読することもありますし,自分の出身の方言を使って民話を語ったりなど,それぞれみんな自分の個性を生かした語りをやっていますよ。

教室で,先生方が語られるときにも,自分の個性が生きるようにすれば,子どもたちは自然にひきつけられ,民話の世界が好きになるのではないでしょうか。
 子どもたちも,誰かが話してくれるのを待つのではなく,「お話聞かせて」って,自分から身近な人に話をせがむように導いてあげたいですね。

     

※3 坪田譲治(1890−1982)小説家,童話作家。主な作品に『お化けの世界』など。

松谷みよ子[まつたに・みよこ]

松谷みよ子

1926年,東京生まれ。童話作家。

『龍の子太郎』(講談社)で国際アンデルセン賞優良賞受賞。『ちいさいモモちゃん』(講談社)で野間児童文芸賞,『あの世からの火』(偕成社)で小学館文学賞,『私のアンネ=フランク』(偕成社)で日本児童文学者協会賞。
  民話に関する著作に『現代民話考(全12巻)』(ちくま文庫),『現代の民話』(中公新書),『民話の世界』(PHP)など多数。2015年2月逝去。