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2011年秋 石井琢朗 「無限の可能性を広げる」

日本プロ野球界を代表する内野手であり,チャリティ活動や教育支援活動も積極的に行っている石井琢朗選手(2011年当時,広島東洋カープ)をゲストに迎えました。

第1回 「平面上に描いた夢を,立体的に表現する」

石井琢朗

石井選手は現在,子どもたちの夢をかなえるために,チャリティ活動や教育支援活動をされていますが,少年時代はどういう夢をもっていましたか。

 僕は小さいころからプロ野球選手になるのが夢でした。学童野球をやっている当時は,本当に漠然とした,ぼやけた感じの夢だったと思うんです。
 子どもだったので,野球を続けていれば絶対プロ野球選手になれるって信じて疑わなかった。でも,中学,高校と現実を見るたびに,だんだんその夢が遠ざかっていく感じがしました。「あ,遠いものなんだ,プロ野球の世界は」って。

 でも,「やっぱり野球をやりたい」という気持ちと,最終的にはプロ野球選手になりたいという気持ちがありました。プロの選手になるためには野球を続けていかなければなりませんから,もっと野球を勉強しなければならないし,うまくならなきゃいけない。そういう気持ちで一生懸命練習しましたね。

そういう強い気持ちが,プロ入りにつながったのですね。

とにかく,信じることと,あきらめないことだと思います。だからといって,夢がかなうかどうかは人それぞれかもしれません。やってみて,どれだけ夢に近づけたか,ということがすごく大切だと思います。

 横浜ベイスターズにいたころは,よく小学校を訪問して,子どもたちの前で夢について語りました。子どもたちには,「どんなに小さいことでもいいし,もちろん大きなことでもいいから,夢をもちなさい」と言いました。そして,その夢を実現するためにはどうしたらいいか,という過程の話をしたんです。

 夢を実現させるということは,例えば平面上に描いた絵を立体的に表現することだと思うんです。そこには二つの「ソウゾウリョク」が必要です。イメージをする「想像力」。それから,作るほうの「創造力」です。
 まず,子どもたちに,総理大臣,サッカー選手,野球選手など,自分の夢を思い浮かべさせて,「将来大きくなったときに,その夢を実現させている自分を想像してみなさい。」と言います。「想像」してもらったら,その夢をかなえるためには,今,自分はどうしたらいいのだろうと,逆算させるんです。つまり,夢をかなえるまでの過程を,具体的に「創造」する。身近な目標をひとつひとつ立ててクリアすることによって,夢がより近くなってくると思うんです。

石井琢朗

僕の場合は,中学生になったとき,自分の可能性を信じながらも,どこかで自分を認めていない部分がありました。そういう葛藤の中で,「どうしたらプロ野球選手になれるのかな」と考えてみました。

石井琢朗
 まず,プロ野球チームにいるスカウトたちに認められなければいけない。
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 そのためには,ある程度,名前を売らなければいけない,目立たなければいけない。
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 目立つためにいちばん早いのは,甲子園に出場すること。
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 甲子園に出場するためには,その可能性のある高校を絞る。
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 その高校に行くためには,野球も勉強も一生懸命やらなければいけない。

 このように考えたら,おのずと,今,自分が何をするべきかが見えてきたんです。

石井琢朗[いしい・たくろう]

石井琢朗

1970年栃木県生まれ。プロ野球選手。足利工高では,エースとして甲子園に出場。88年ドラフト外で投手として横浜大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)に入団。1年目に初勝利を挙げる。4年目から野手に転向し,98年にはチームの38年ぶり日本一に貢献。ゴールデングラブ賞4回,盗塁王4回,ベストナイン5回,最多安打2回,オールスター出場6回,日本シリーズ優秀選手賞1回など,球界を代表する内野手として活躍。2006年には史上34人目の2000本安打を達成し,名球会入りを果たした。08年オフに広島東洋カープへ移籍。遊撃手としての最多出場記録保持者。
 現役選手を続けながら,チャリティ活動や教育支援活動も積極的に行っている。著書に『疾走!琢朗主義』(ベースボールマガジン社)がある。