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2013年夏 長谷川義史 「僕の世界をつくるもの」

絵本作家の長谷川義史さんに,漫画「さんぱつやきょうこさん」の制作にまつわること,絵本づくりのもとになっていること,絵本を読んでくれる子どもたちとの関わりなどについてお聞きしました。

Story2 大阪が育んだ「人情味のある笑い」

小さい頃は,どんな子だったのでしょうか。
長谷川義史

 小さい頃から絵を描くことが好きでした。覚えているのは,テレビで見たウルトラマンの怪獣とか,ウルトラマンと怪獣が戦っているところとか,そんなものを一生懸命描いていたことかな。それから,漫画のまねをして描くこともあったなあ。一人で絵を描いていることは多かったですね。
 友達とは,外で,ボール遊びやら野球やらをして遊んでいました。周りに田んぼがいっぱいある地域だったので,あっちとこっちのあぜ道に分かれて泥だんごを投げ合って戦争ごっこをしたり,空き地に基地づくりをしたりとか。それから,そろばん教室に通っていたんですが,その行き帰りも遊びです。道中,「この線からはみ出したら死ぬ」とか,わけの分からへん妄想のルールを作ったり,駄菓子屋に寄ったりしていましたね。

 絵は,気づいたら描いていた感じだけど,幼稚園に通うようになって初めて,絵の具を筆に付けて描いたっていうのを覚えています。それまでは,鉛筆とかボールペンとかみたいなもので描いていたので,液体のものを付けて画面に描くというのは衝撃でした。筆にたっぷり絵の具を付けて描くっていうのと,いろんな色があってカラフルっていうのが,インパクトが強かったですね。

長谷川さんの絵は,小さな頃から,ものをとてもよく見てきたからこそ描ける絵なのではないかと感じたのですが。

 そうなんかな。ただ手を動かして絵を描くという行為が好きだったから,観察していたという感じはあんまりないんですけどね。一つ,小さいときの思い出で記憶に残っているのは……。
 小学校2年生ぐらいの頃だったか,大阪の街中に出たときに,道頓堀の橋の上を,きれいなお姉さんたちが膝まであるブーツを履いて歩いているのを見たんです。当時は,ブーツというものがはやり始めたばかりで,とても珍しかった。僕の家は大阪の片田舎だったから,都会のお姉さんがみんなそれを履いて歩いている光景はすごい衝撃でした。それで,そのことをどうしても絵に描きたくなって,次の図画工作の時間に描いたんですよ。道頓堀の橋の上を,ブーツ履いたお姉さんがいっぱい歩いていて,人がいっぱいおる風景の絵を。もう,見てきた衝撃を描きたくてしょうがなかったんです。
 そういう思いが強くて描いた絵だったからだと思うんですけど,その絵は大阪府下の何かの一番の賞みたいなものをもらったんですよ。それで,親にも褒められたし,受賞作品が展示されている遠くの学校まで,自分の絵を見に行ったのをよく覚えています。

長谷川義史
ほかに,絵を描くうえで影響を受けたものはありますか。

 大きな影響を受けたのは,小学校5,6年生のときの担任の先生かな。どんな教科も熱心に教えてくれるし,何より,人間として,毎日子どもと本気で接してくれるというような先生で,そのなかで,図画工作も一生懸命やってくれた。先生の教え方は,「写実的に器用にこぎれいに絵を描くということは,必要じゃない」というもの。筆は子どもにしてはものすごい太い筆1本だけで,パレットの代わりに下敷きを1枚渡されて,「絵の具をたっぷり付けて描きなさい」と言われました。それから,「色が汚れるから,水入れの水はしょっちゅう換えなさい」とも。僕なりに,「画面に『気持ち』を乗せろ」「テクニックではなく,『気持ち』で細かく描け」と言うてはるんだなと受け止めていました。
 よく写生会の絵なんかを校内で貼り出したりするでしょう。そうしたら,よそのクラスで,鉛筆で細かくアウトラインを描いて,きれいに色を塗って,写実的に描かれた絵っていうのがあるわけです。形が捉えられているものがうまいというのは分かるんですけど,僕らのクラスでは,「あれはあれ。あれがいいわけではないんや」と,たぶん全員が思っていたと思うんですよ。そういうことを子どものときに教えてもらったというのは,すごく大きな財産ですよね。

「気持ちを乗せる」というのは,どういうことだと思われますか。
長谷川義史

 うーん,そういうふうに教えてもらったとは思っているんですけど,どうしたらできるのかというのは……できない。一生追究する作業なんでしょう。きっと,そこに「到達しよう,しよう」と思ってやっていくんでしょうね。「テクニックじゃない」というのはそういうことで,「こう描く」という技を覚えてやっていったらええというものじゃない。先生にとって,それをいちばん分かりやすく伝える方法が,太い筆だったんでしょう。
 絵って,幼稚園のときぐらいというのは,大きく大きく,思いっきり描きますけど,小学校高学年ぐらいになると,どうしてもだんだんつまらなく小さいものになっていきますよ。腕から先で絵を描くことを覚えていくんです。「花はこういうふうに描いたらいいんだな」というのを覚えてしまって,その頭の中のイメージを描いていくようになる。そんなときに,もう一度,根底にある人間力というか,野性の部分を呼び覚ますための,太い筆だったのかなと思います。

 それから,「よく見て描け」というふうにも指導されましたね。「光がこちらから当たっているから色はこうなる」という理論じゃなくて,そんなこと分からへんかっても,一生懸命描いていたら,勝手にそれを表現しようとするじゃないですか。だから,「一生懸命,もっとよく見て描け」と。肌色の絵の具を使っていたら,「おまえに見えている肌の色は,ほんまにこんなんか。もっとよく見ろ」って言わはる。だから,「あそこは青い。ここはもっと赤い」とか見て描くと,できあがったものはきれいな肌色じゃなくて,武骨なものになっているんだけど,先生は「気持ちが入っているからオーケー」とされました。あの頃,先生に教わったことに,僕が一生の影響を受けていることは確かですね。

絵本づくりに興味をもつようになったのは,いつ頃なのでしょうか。

 「絵を描く人になりたい」というのは,小学校1年生のときからずっと思っていました。大人になって,絵を描くのにいちばん手っ取り早いのはイラストレーターだっていうことで,イラストレーターとして,ちっちゃい仕事をもらってやっていた。当時,バブル景気が始まる前ぐらいのときで,世の中にはまだコンピュータもないから,下手くそなやつでも,「やりたいんです」っていうのを示していれば,ありがたいことにちっちゃい仕事がこぼれてきたんですよ。それで,デザインの仕事もしながら,ちょっとずつ絵を描いてはギャラリーを借りて個展をして,「絵を描きたい」っていうことを人にアピールすることを続けていた。イラストレーターとして一流の人になりたいと思いながら,なんとかやっていたんです。

 でも,イラストレーターって,すごく高いクリエイティブさが求められるけど,基本的には何か依頼があって描く仕事でしょう。本の表紙だったら,物語を絵として表現するわけだし,広告の仕事だったら,商品のイメージづくりで絵を描くわけでしょう。必ず,「こういう絵を」っていうクライアントの意思があるじゃないですか。それを自分の絵で表現するのが腕の見せ所になる。だけど,それもようせえへんくせに,人の意思や求めているものじゃなくて,自分で考えたことを1冊の本にできる絵本というのが,かっこよくて魅力的に思えてね。えらそうに(笑)。それで,細々とイラストレーターの仕事をしながら,いつか絵本をやりたいなと思うようになっていました。

長谷川義史
絵本は,絵に加えて,言葉も自分で考えることになります。言葉のセンスはどのように磨かれたのでしょうか。

 言葉を考えるのは苦労しますね。原稿を書くのは嫌いですけど,でも基本的に文章を書くのは嫌いじゃないと思うんです。子どものときから,作文や短い詩を書くのはわりと好きやった。本を読むのはそんなに好きじゃないんですけどね。
 言葉については,大阪というところで育ちながらインプットしてきたものが大きいでしょうね。僕らが子どものときは,今のお笑いとはまた質が違った,もうちょっと間のゆっくりした「人情味のある笑い」というのがあふれている町やったから。大阪の人って,全国的に「怖い」とか「押しが強い」とかっていうイメージをもたれているけど,本当は違って,商売の町やから,基本的にはわりとシャイで,一歩引いて「自分はあほなんです」という立場で人と接するんですよ。そういう環境で育ったのは大きいと思う。だから,絵にも言葉にも,どこか必ず,そういう人情味のある笑いやおもしろいところを入れておきたいな,という気持ちはありますね。

ご自身が見たり吸収したりしてきたものが,絵本づくりに大きく関わっているのでしょうね。

 大きいですね。自分のこれまでやってきたことは,そうごまかしがきかへんから。経験したこと,出会った人,記憶の中にある場面,そういうものがもとになって,絵や言葉として出てくる。
 ただ,全てが実話じゃなくて,自分の思い出と創作とが入り交じっているので,1冊の絵本にしてみると,「あれ,あのときこんなことがあったけど,ほんまにそうだったんかな」と,分からなくなってくるんです(笑)。絵本に移してしまうと,その話のほうが強くなってしまって,記憶があいまいになってくる。だから,自分の絵本を読んで「あれ」と思うことはよくあるかな。

子どもたちに伝えたいメッセージが初めにあって,そこからつくっていくというわけではないのですね。
長谷川義史

 子どもたちに何か伝えたくてつくっているわけじゃないと思いますね。テーマありきでつくるんじゃなくて,自分がそのときに表現したいこと,おもしろいと思っていることを形にするんです。それで,読んでくれた子が,そこから何かを見つけ感じてくれればうれしいし,それが,あえて言えばテーマなのかなという,後付けのやり方ですね。子どもたちに「こう思った」とか言われて初めて気づくことがよくある。「そんなところまで考えてないよ」と思うこともあるけど,「そう言われればそうかも」って教えられることばかりです。
 ただ,文章の言い回しや言葉の選び方は,子どもたちでも分かるようにちょっと意識しますよ。それは,絵本をつくり始めて,お手紙をもらったり,「絵本ライブ」なんかでじかに接したりすることがだんだん増えていって,「全国の知らんところで,絵本というものでこの子たちとつながっている」と気づくようになったから。読んでくれる子どもたちに直接会える機会があるというのは,すごくうれしいし大きいことです。


長谷川義史 [はせがわ・よしふみ]

長谷川義史

1961年,大阪府生まれ。絵本作家。絵本『おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん』『シバ犬のチャイ』(以上,BL出版),『スモウマン』(講談社),『うえへまいりまぁす』(PHP研究所),『がまの油』(ほるぷ出版),『串かつやよしこさん』(アリス館)など多数。
『おたまさんのおかいさん』(解放出版社)で,第34回講談社出版文化賞絵本賞受賞。『かあちゃんかいじゅう』(ひかりのくに)で,第14回けんぶち絵本の里大賞受賞。『ぼくがラーメンたべてるとき』(教育画劇)で,日本絵本賞と第57回小学館児童出版文化賞を受賞。『いいからいいから 3』(絵本館)で,第19回けんぶち絵本の里大賞受賞。児童文学総合誌『飛ぶ教室』(光村図書)で,漫画「さんぱつやきょうこさん」を連載中。

Photo: Shunsuke Ito