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藤原 えりみ

美術ジャーナリスト

いま話題の展覧会を一つ取り上げ,その見どころをご紹介します。

藤原えりみ(ふじはら・えりみ)

1956年山梨県生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了(専攻/美学)。女子美術大学・國學院大學非常勤講師。著書に『西洋絵画のひみつ』(朝日出版社)。雑誌『和楽』(小学館)で,美術に関するコラムを連載中。光村図書高等学校『美術』教科書の著作者でもある。

第4回 ジャコメッティ展

2017.06.29

ジャコメッティ展

国立新美術館 (東京都港区)企画展示室 1E 2017年6月14日(水)~9月4日(月)

この展覧会の見どころ

(1) 初期から晩年まで,132点が展示される大回顧展

(2) 「見えるままに表現する」ことを追究し続けた彫刻家

(3) 実現しなかった最晩年のプロジェクトのために制作された大作も展示

ジャコメッティは「見えるままに表現する」ことを生涯の課題とし続けた。その成果が,あれらの影のような(あるいは亡霊のような)肉体の実体を削ぎ落とされた細長い人物像であり,果ての無い闘争の場に残された痕跡のような素描や油彩画であるとするなら,一体彼の目には「何が」見えていたというのだろう? 謎,である。広がっているのは,私たちが知っている「写実描写」による「現実感」とはまったく無縁の世界。

画像,ジャコメッティの作品

《林間の空地,広場,9人の人物》
1950年 ブロンズ 65×52×60 cm
マルグリット&エメ・マーグ財団美術館,
サン=ポール・ド・ヴァンス
Archives Fondation Maeght, Saint Paul de Vence (France)

たとえば,私たちがリンゴを見る場合,リンゴの形や色に目を留めて,丸みや色合い,陰影等々,リンゴというものの細部まで見ようとするだろう。だが……どうもジャコメッティの目には,リンゴを取り囲む空間までも「見えて」しまっているようなのだ。彼にとってはリンゴを「取り巻く空間」も含めて「リンゴ」なのではなかろうか。だから,リンゴをもっと良く観察しようとすればするほど,周囲の空間がどんどん目に入ってきて「リンゴ」は広がりを増し,逆に物体としてのリンゴは果てしなく小さくなっていく……。

そのように想像してみると,第2次世界大戦中に高さ2cmほどまでに人物像が縮小してしまった経緯も,なんとなくだが理解できるように思う(だが,たとえ高さ2cmとはいえ,顔や体は抽象化されつつもしっかりと造形されている!)。

画像,ジャコメッティの作品

《小像》
1946/80年 ブロンズ 23.5×7×10 cm
マルグリット&エメ・マーグ財団美術館,
サン=ポール・ド・ヴァンス
Archives Fondation Maeght, Saint Paul de Vence (France)

もう一つジャコメッティ作品で気になるのは,素描や絵画では輪郭や形態を繰り返したどろうとして折り重なり合う線,彫刻においては目に見える対象の形ではなく,形の本質を指で確認するかのような粘土の小さな凸凹の集積だ。

彼の線は一本たりとも静止していない。同じ箇所を何度もたどっているかと思えば,人物の目鼻を確認するアタリのような直線が混じっていたり,目の周囲では複数の惑星軌道よろしくグルグルと渦を巻いていたり。彼は,生命の輝きを宿す「目」が重要であると考えていたというが,確かに目の部分の線は執拗なまでに強い。そうでもしなければ,動いているものを捉えきれないかのようなのだ。

画像,ジャコメッティの作品

《ディエゴ》
1949年 鉛筆,紙 53.2×37 cm
マルグリット&エメ・マーグ財団美術館,
サン=ポール・ド・ヴァンス
Photo Claude Germain Archives Fondation Maeght, Saint Paul de Vence (France)

そして,この「動いているものを捉えようとする」探究は,彫刻では粘土を盛り上げては削るという行為へと転換していく。そして,一つの彫像に何度も手を入れては,その都度,石膏で型を取るという制作方法を採用していたという(つまり一つの粘土像から複数の作品をブロンズ鋳造することが可能になる。出品作品のうちの「ヴェネツィアの女」シリーズはこのようにして制作されたといわれる)。

画像,ジャコメッティの作品

《ヴェネツィアの女Ⅰ》
1956年 ブロンズ 106×13.5×29.5 cm
マルグリット&エメ・マーグ財団美術館,
サン=ポール・ド・ヴァンス
Archives Fondation Maeght, Saint Paul de Vence (France)

おそらくジャコメッティの目には人の顔であれ姿であれ,一時たりとも静止したものとして見えていなかったのではなかろうか。素粒子がそうであるように,人を構成する細胞および全ての物質は絶えず運動を繰り返している。だから,モデルが少しでも動くと「ああっ!」と叫んでしまうのではないか。それでなくても静止していない対象が,頭や肩や眉を動かしたら,彼の目には物体の運動の痕跡しか残らなくなる……。おそらくセザンヌも同じような目をもっていたのではないか。セザンヌはモデルを務める妻にこう言ったという。「動くな。リンゴは動かない」。

画家・彫刻家の目の不思議……。そのようなことを考えながら,展示後半に向かう。彫刻最後の2部屋が印象深い。9体の「ヴェネツィアの女」の展示室と,実現しなかったニューヨークの「チェース・マンハッタン銀行のプロジェクト」のための三つの大きな彫像の展示室。そこに出現しているのは,墓標のような,神殿の神像のような,あるいは削ぎ落とされた人間の本質的な形のような,幾重にも解釈可能な名付けようのない「もの」。一人の彫刻家が生涯をかけて見極めようとした生命と世界の謎が凝縮した空間は,静かに慎ましく観客との対話の訪れの時を待っている。

次回は,「ベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット,ヤン・ファーブルまで」をご紹介します。

国立新美術館開館10周年 「ジャコメッティ展」

【会場】国立新美術館 (東京都港区)企画展示室 1E
【会期】 2017年6月14日(水)~9月4日(月)
【休館日】毎週火曜日 
【開館時間】10:00~18:00 毎週金曜日・土曜日は20:00まで/入場は閉館の30分前まで
※豊田市美術館(愛知県豊田市)に巡回。2017年10月14日(土)~12月24日(日)

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