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藤原 えりみ

美術ジャーナリスト

いま話題の展覧会を一つ取り上げ,その見どころをご紹介します。

藤原えりみ(ふじはら・えりみ)

1956年山梨県生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了(専攻/美学)。女子美術大学・國學院大學非常勤講師。著書に『西洋絵画のひみつ』(朝日出版社)。雑誌『和楽』(小学館)で,美術に関するコラムを連載中。光村図書高等学校『美術』教科書の著作者でもある。

第10回 レアンドロ・エルリッヒ展:見ることのリアル

2018.01.29

レアンドロ・エルリッヒ展:見ることのリアル

森美術館 2017年11月18日(土)~2018年4月1日(日)

この展覧会の見どころ

(1) 見えているものが必ずしも「実在している」とは限らないという体験

(2) 仕掛けは単純明快なのに感覚はだまされる。その驚きと仕掛け発見の楽しさ

(3) 騙し絵的な視覚効果を超える,現実体験とは何かという哲学的な問いかけ

アルゼンチン出身のアーティスト,レアンドロ・エルリッヒといえば,金沢21世紀美術館の中庭に設置された作品《スイミング・プール》(2004年)が有名だ。上からのぞき込むと普通のプールに見えるが,実際の水深は10cmほど。しかもしばらくすると水面下に普通の服装の人々が現れてこちらを見上げたり,手を振ってくれたりする。彼らは,水を張った強化ガラスの下に設置された青く塗られた展示室に入ってきた観客たちだ。思いがけない仕掛けと,想定外のコミュニケーションのおもしろさの両方を体験できるこの作品は,今や金沢21世紀美術館のシンボル的な存在となっている。

彼の作品の特徴は,「見えているものやこと」が必ずしも「実在する」あるいは「真実である」とは限らないということ。例えば,今回,最初の展示室に設置されている《反射する港》※1。一見すると何艘(そう)かのボートがゆらゆらと水に浮かんでいるように見えるのだが……(《スイミング・プール》とは逆に,実際にはここには「水」は存在しない。ではどうなっているかというと,それは見てのお楽しみ)。

画像,レアンドロの作品

※1 レアンドロ・エルリッヒ 《反射する港》 2014年
ガラス繊維,金属フレーム,駆動装置,木材,アクリル板サイズ可変
撮影:長谷川健太 写真提供:森美術館 Courtesy:Art Front Gallery and GalleriaContinua

また《教室》※2では,ガラスの向こう側に廃校となった学校の寂れた教室の空間がある。観客がそのガラスの手前に置かれた椅子に座ると,あたかも亡霊のように教室空間に観客の姿が浮かび上がる。そこにないはずのものが,こつ然と姿を現す驚き。しかも,それは他ならぬ自分自身となれば,イメージを媒介として「ここ」と「あちら」の相関が脳内を駆け巡る……。

画像,レアンドロの作品

※2 レアンドロ・エルリッヒ 《教室》 2017年
木材,窓,机,椅子,ドア,ガラス,照明 1220 × 550 × 430 cm
撮影:長谷川健太 写真提供:森美術館

エルリッヒの作品はこのように「見ること」を通して,視覚の情報とその情報をどのように解釈しているのか,という私たちが無意識に行っている日常生活での常識的な判断を揺さぶる。そして,それだけでなく,「見ること」を通して,作品そのものの中に入り込み,視覚から得られた情報と身体的感覚で察知していく情報との揺らぎもまた体験させてくれる。例えば,まったく同じカーテン,鏡,スツールを配置した30の小部屋が連なっている《試着室》※3。一見鏡と見えるのに,実は鏡は入っておらず,通り抜けできる箇所があるかと思えば,逆にそのまま直進しようとして,鏡に自分の姿が映っていることに気づき「あれ?」と思うものの,時すでに遅し。ゴン! と自分自身と衝突するという極めて珍奇な体験(?)すら可能にしてくれる。

画像,レアンドロの作品

※3 レアンドロ・エルリッヒ 《試着室》 2008年
パネル,フレーム,鏡,スツール,カーテン,照明 サイズ可変
撮影:長谷川健太 写真提供:森美術館 Courtesy: Luciana Brito Galeria

鏡はエルリッヒ作品の本質に深く関わる素材だ。人は「鏡には必ず何かが映る」と想定するだろう。この「常識」を彼はものの見事に覆す。ずらりと並んだ美容院の椅子の前に坐るのだが,その前の鏡に自分の姿が映らない。あるいは,全くの赤の他人が映っていたりする(※4)。つまり,実際にはここには「鏡」は存在せず,完璧に対象的に作られた均質な空間が鏡の枠のこちらとあちらに広がっているのだ。それに気づいた瞬間,思わず笑いが浮かんでくるだろう。「あ,だまされた。でもおもしろいじゃないか!」と。

画像,レアンドロの作品

※4 レアンドロ・エルリッヒ 《美容院》 2008/2017年
木材,鏡,椅子,アルミサッシ,照明 980 × 684 × 280 cm
撮影:御厨慎一郎 写真提供:森美術館

このように彼の作品は,たとえ見知らぬ者どうしであったとしても,鑑賞者の間に共感の波が広がり,気脈が通じているような感覚を与えてくれる。その極めつきが本展のメインヴィジュアルとしてポスターなどにもなっている《建物》※5だろう。西洋風建築のファサードの窓枠やドア枠にぶらさがったり,坐ったりしている人々は皆,重力からすっかり解放されている。現実には起こりえないことがイメージのなかでは可能となっているのだが,その仕掛けはこれまた単純明快。無重力イメージは,床面に水平に設置された建物のファサードの上に,約45度の角度で設営された巨大な鏡に映り込んだものなのだ。作品内に入り込んでいる観客も,それを外から眺めている観客も,この単純な仕掛けが与えてくれる想定外のイメージの飛躍を楽しんでいる空気が伝わってくる。なにせ皆ニコニコしているのだから,従来の「現代美術展」とは,いささか趣を異にする。

画像,レアンドロの作品

※5 レアンドロ・エルリッヒ 《建物》 2004/2017年
インクジェット出力シート,アルミニウム製トラス・フレーム,木材,照明,鏡面シート
600 × 900 × 550 cm
撮影:長谷川健太 写真提供:森美術館 Courtesy: Galleria Continua

とはいえ,ただただおもしろく楽しいだけではない。「現実とは何か」という深い問いかけが,次第に心理の裡(うち)に埋め込まれていく。「見えているものの向こう側を察知し,そこに何が広がっているのか想像せよ」と促されていることに気づくだろう。精緻に設計された作品群の体験は,まるで夢の中の出来事のような摩訶不思議なリアリティを獲得していて,目覚めた後も夢のイメージの断片が頭から離れないように,体験の記憶が身体から消え去らないかのようなのだ。「こことあちら」「現実と非現実」「事実と虚構」「実在と架空」等々の境界が揺らいでいく。彼の作品は私たちの知覚を解放し,非日常的な角度から世界を眺め,新しい体験として生の時間を再構築していく,その喜ばしい手がかりとなるはずである。

※ART FRONT GALLERY(東京都渋谷区)でも, エルリッヒの個展が開催中。森美術館の展覧会とあわせて訪れたい。

レアンドロ・エルリッヒ - Cosmic & Domestic(ART FRONT GALLERY)

本連載は,今回が最終回です。ご愛読,ありがとうございました。

レアンドロ・エルリッヒ展:見ることのリアル

【会場】森美術館
【会期】2017年11月18日(土)~2018年4月1日(日)会期中無休
【開館時間】10:00~22:00(最終入館 21:30)
※火曜日のみ17:00まで(最終入館 16:30)

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