みつむら web magazine

Story 2 うそ、友だち、生きる「しあわせ」と「自分」

道徳って、なんだろう

2018年1月29日 更新

ヨシタケシンスケ 絵本作家

「物事を多面的・多角的に考える」ことが、「特別の教科」となった道徳で重視されています。それを端的に示す教材として、小学校の教科書では、「なんだろう なんだろう」というコラムを設けました。今回は、その作者である絵本作家のヨシタケシンスケさんに、教材に込めた思いを語っていただきました。(取材日:2017年10月25日)

今回描いていただいたのは、
3年生「うそ」って、なんだろう。
4年生「友だち」って、なんだろう。
5年生 生きる「しあわせ」って、なんだろう。
6年生「自分」って、なんだろう。
という4作品(※)ですが、順番にお話を伺わせてもらえればと思います。
まず、3年生は「うそ」がテーマですが、ヨシタケさん自身のうその経験が表れているのでしょうか。
※インタビュー(2017年10月25日)後、1・2年生についても追加で描いていただいています。

 

『りゆうがあります』(PHP研究所)という絵本は、「クセ」とうそをキーワードに作ったものですが、クセは大人にだってあるし、そんなに目くじらを立てる必要もないんじゃないか、ということがテーマになっています。うそというのは特に人間らしいクセの一つで、うそのお陰で世の中が回っている部分もある。でも、うそについて一言で言いなさいと言われたら、やはり、「うそはつかないほうがいい」となっちゃうんですよ。だめはだめなんだけど、よくよく考えると、だめじゃないのもあるよね、という、そこにある段階みたいなものをうまく表現できたらいいな、と思いましたね。

ヨシタケシンスケ

教科「道徳」には「正直・誠実」という指導項目があるのですが、正直で誠実であることの大切さをただ考えるのは難しい。でも相反する「うそ」というキーワードが出てきて「ついていいうそってあるんだっけ」と投げかけることで、子どもたちは考え始めます。

 

どんなに難しいクイズでも「じゃあ、ヒント」と言われると、つい聞いてしまうもので、人はヒントを出されると、ついつい考えちゃうんですね。

「考える」という行動を促すためにもう一つ大切なのは具体例です。「人をたたいちゃだめ」ではなく「あなたがたたかれたらどう?」ときくことで、問題の身近さが変わってくる。だから、何かを考えさせるときには「つまりこういうこと」「例えばこういうこと」というのをどう忍ばせるかというのが鍵だと思うんです。

まだまだ知識の総量が少ない子どもたちが、自分たちのもっている知識でなんとか世の中、つまり大人の世界の概念や大人の事情を考えようとしているわけですから、“子ども語に翻訳する”というか、子どもにとっての身近な話題に置き換えて伝えるという翻訳的な作業は少なからず必要なんだろうと思います。

 

4年生「友だちって、なんだろう。」でも、「いいことも わるいことも 友だちとなら できてしまう。」などとドキリとする言葉が投げかけられるのですが、まさに子ども目線の問いですね。

 

四つのテーマの中でいちばん難しかったのがこの「友だち」なんですよ。というのは、僕は友達があまりいなくて、友情についての経験値があまりにも少ないので掘り下げられなくて。ファンタジーで補っています(笑)。

ここに出てくる「自分には友達は あいつしかいないけど、あいつにはほかにも いっぱい友だちがいる。」というのは、まさに僕自身が感じていたことです。「大好きな友達がいるけど、友達なのは僕がスゴイからじゃなくて、彼が僕とも友達になれるぐらい器が大きいからで、その証拠にあいつはすごくたくさん友達がいて、僕にも優しくしてくれるだけなんだ……」という、「付き合ってもらっている感」みたいなものは昔から感じていました。

今にして思うと、仮にそのとおりだったとしても、そんなに卑下する必要はないし、それはそれで一つの友達の形なので、それを子どもたちに伝えたいと思ったんです。

ヨシタケシンスケ

小学校4年生ぐらいになったら、みんながみんな、友達に囲まれた「真ん中の男の子」にはなれないわけで、子どもたちも共感できると思います。

 

この絵のような「相関図」的な考え方は、昔からよくしていた気がします。「お互いに同等な立場で肩を組んで」というのは、僕の経験からもなかなかないんですよね。最近では、「スクールカースト」という言葉もありますが、子どもにとって学校の中での地位はすごく大事なんですよ。誰が上で誰が下かみたいなものは動物としての本能で、群れの中で生きていくために、良くも悪くも働いてしまう。この絵を通して、僕にとっての新しい「友達観」が出せたんじゃないかという達成感はありますね。

 

5年生の「しあわせ」もまた素晴らしくて、最後に「しあわせは、自分の考え方しだいで いつでもつくることが できるんじゃないかしら。」とあるのですが、それが、けがをした指に巻かれた包帯に顔を描いて「ほうたいくん」と喜んでいる女の子の絵で表現されています。けがをしても前向きに乗り越えることができる、ということが子どもにも伝わるし、大人にとっても、いい気づきになる。この考え方ができれば、どれだけ生きるのが楽になるだろうって、思いますよね。

 

そうですね。これはまさにさっきお話した「具体例」ですね。誰かに「幸せって何だろう?」と問われたとして、答えは決まって「人それぞれです」となる。それぞれがつかみ取るもの、作り上げるものです、としか言えないんですよ。だから幸せ論をしようとすると、どこどこに住んでいるだれだれ君の場合……と具体化するか、誰にでも当てはまりそうなぼんやりしたことを言わざるをえないわけです。その中でどうにか一つでも自分で幸せをつかみ取る瞬間のようなものが見せられたらいいなと思っていて、ここでは、いい着地点にできたかなと思いましたね。

「しあわせの材料は 年れいや国や 時代によって さまざまだろうし」とありますが、ここも難しかったですね。「幸せは人それぞれ」ということ自体は誰でも言えるわけで、言葉にすると本当に安っぽくなってしまうんですよ。「正しくてつまらない」からこそ、絵でおもしろがってもらうしかない。10年前だとこうした方法は見つけられなかっただろうし、そういう意味では、僕も作家としてちゃんと成長したかな、と思いますね(笑)。

ヨシタケシンスケ

そして最後の6年生で「『自分』って、なんだろう。」が来るわけですが、最初は、5年生の「生きる『しあわせ』」と逆の順で掲載する予定でした。仕上がった作品を見て、ヨシタケさんと編集部で相談して変えたんですよね。

 

この順番でよかったですね。6年生にもなると、「もう6年生なんだから」と何ごともある程度任せられるようになる。楽になる一方で、面倒臭くもあるそんな時期だからこそ、「自分って何だろう」というのがいちばん身近なテーマになってくると思います。

ただ『ぼくのニセモノをつくるには』(ブロンズ新社)という絵本を作ったときもそうだったのですが、「自分とは何か」というのは、ちょっと億劫なテーマでもあって。「『自分』って、なんだろう」と疑問を投げるのは簡単なんですが、「投げっぱなし」にならないようにしないといけない。考える具体例をどの程度入れていくのか、という点でだいぶん悩みました。

photo: Shunsuke Suzuki

ヨシタケシンスケ

1973年神奈川県生まれ。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。絵本や児童書の挿絵、イラストエッセイなど多方面で活躍。光村図書からは児童文学雑誌「飛ぶ教室」で、「日々臆測」を連載中。2019年12月には、絵本『なんだろう なんだろう』が発売された。主な絵本に、『りんごかもしれない』『ぼくのニセモノをつくるには』『もうぬげない』『このあと どうしちゃおう』『ころべばいいのに』(ブロンズ新社)、『りゆうがあります』『ふまんがあります』(PHP研究所)などがある。

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