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質問22 「説話」って、なに?

ここが知りたいQ&A

2017年10月30日 更新

35年以上にわたり道徳教育の研究を続けてきた富岡 栄先生(麗澤大学大学院准教授)が、「特別の教科 道徳」に関するよくある疑問にお答えします。

回答:富岡 栄(麗澤大学大学院准教授)

道徳学習指導案の終末の段階に「(教師の)説話」の文言をよく見かけます。説話を辞書で調べてみると、「(1)人々の間に語り伝えられた話で、神話・伝説・民話などの総称。(2)話すこと。物語ること。」と説明されています。この説明の(2)の意味から考えると、単に「教師の話」としてもよさそうに思いますが、そこをあえて「教師の説話」として表記しています。このことについては、道徳の特質にその理由を見いだすことができます。各教科の授業の最後は「まとめ」が一般的であるのに対して、道徳の授業は「終末」となっています。他の教科であれば、教師が1時間を振り返り、学んだ内容をまとめて知識や技能の定着を図っていくことになります。しかし、道徳の授業の本質は、知識や技能を伝達することではありません。あくまでも、道徳的価値を主体的に把握すること、つまり、自分の意思で道徳的価値を獲得し身につけていくことです。

終末のねらいは、展開後段で把握した道徳的価値の実践化への意欲向上を図ることです。このねらいを、押し付けではなく自ら培ってほしいという願いが、まとめや単なる教師の話ではない「説話」に込められていると考えられます。したがって、説話は教師による説諭を意味するものではありません。ましてや説教することでもありません。

説話の具体例としては、教師自身のねらいに関わる道徳的体験談があります。ただ、毎回体験談を準備することが難しい場合や終末の多様性を考えると、本の一節やことわざなどに教師のコメントを加えて紹介することも考えられます。

説話で注意すべきことは、体験談を語る場合は、教師の思いが強いので、話が長くなりすぎないように注意することです。また、本時のねらいとずれがあったり、押し付けになったりすることがないようにしなければなりません。

ただ、説話は必ずしも毎時間必要なものではありません。あくまでも、自覚した道徳的価値を、児童生徒が実践したいと思えるような効果的な終末であればよいのです。

富岡 栄(とみおか・さかえ)

麗澤大学大学院准教授。公立中学校教諭、管理職として、35年以上にわたり道徳教育の研究を続けてきた。平成27年3月、群馬県高崎市立第一中学校校長を定年退職。退職後は大学にて道徳教育に関する講座を担当。日本道徳教育学会、日本道徳教育方法学会の評議員を務める。平成27年一部改正「中学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編」の作成協力者の一人。

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