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通常学級での特別支援教育 第50回

通常学級での特別支援教育

2020年10月12日 更新

川上 康則 東京都立矢口特別支援学校主任教諭

通常学級で特に気をつけたい特別支援教育のポイントを、新任・若手の先生方に向けて解説します。

川上康則(かわかみ・やすのり)

1974年、東京都生まれ。東京都立矢口特別支援学校主任教諭。公認心理師、臨床発達心理士、特別支援教育士スーパーバイザー。立教大学卒業、筑波大学大学院修了。肢体不自由、知的障害、自閉症、ADHDやLDなどの障害のある子に対する教育実践を積むとともに、地域の学校現場や保護者などからの「ちょっと気になる子」への相談支援にも携わる。著書に、『通常の学級の特別支援教育 ライブ講義 発達につまずきがある子どもの輝かせ方』(明治図書出版)、『こんなときどうする? ストーリーでわかる特別支援教育の実践』(学研プラス)など。

第50回 学校現場に必要な「余白」

今日のポイント

  • 教師の関わりの失敗のほとんどは、「マイナスを早く埋めたい」という大人の焦りから生まれる。大人の描く「こうあってほしい」という理想的な姿を一気に求めようとすると、かえって子どもの混乱が大きくなってしまうため、時間や気持ちに「余白」をもって関わることが大切である。
  • 子どもの育ちは「マニュアル通り」にはいかない。また、手っ取り早く「ハウツー」で済ませられるものでもない。学校現場では、「空白を無理に埋めようとせず、不安であったとしてもすぐに答えを求めない」という意識をもった関わりが不可欠である。

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コロナがもたらした「空白」と「余白」

学校の「これまで」を一変させた新型コロナウィルス。長く続いた臨時休校やその後の分散登校の期間は、皆さんにとって「空白」でしたか?それとも「余白」でしたか?

「空白」はマイナス面が強調されます。「空白を埋める」という言い方があるように、早く元の形に戻したくなります。

一方、「余白」はプラス面が強調されます。「余白をとっておく」という言い方があるように、大切にしたいものという意味合いが強くなります。

これまでの子どもたちを取り巻く学校生活は、かなりギチギチに詰め込まれていたような印象があります。

時間に追い立てられる毎日ではありませんでしたか?
行事に急き立てられる思いをしていませんでしたか?

不謹慎な言い方かもしれませんが、もしかしたら、新型コロナウィルスは、「これまでの当たり前」に風穴をあけ、学校に「余白」をもたらそうとするものだったのかもしれません。

子どもが生き生きと育つためにも「余白」が必要

子どもの発達のつまずきに対するアプローチも同じで、「余白」が大切です。

「集団参加が苦手」、「自分のペースでないと感情が抑えられなくなる」、「身勝手なふるまいが多い」などといった姿が見られたとしても、いきなりその姿を「直そう」とか「正そう」としても大抵はうまくいきません。

大人の描く「こうあってほしい」という理想的な姿を一気に求めようとすると、かえって子どもの混乱が大きくなってしまいます。

教室での関わりの失敗のほとんどは、「マイナスを早く埋めたい」という大人の焦りから生まれます。

問題の本質は、実は子ども側にあるのではなく、大人側が子どものつまずきを「空白」と捉えてしまっていることにあるのではないでしょうか。

子どもが生き生きと育つためには「余白」が不可欠です。

多少の凸凹した姿であっても、「新たに発見した一面から、余白や伸びしろを育てる」というプラス思考に立てる大人がその場にいるだけで、不思議と子どもの心は安定します。

まるで、金平糖(こんぺいとう)が大きくなっていくのと同じように、じっくり時間をかけながら。

子どもの育ちに関わる人に必要な「空白に耐える力」

「空白」を埋めたくなるのは、人の本能なのかもしれません。

人は、目の前に訳の分からない物や手の施しようのない状態が放置されていると、不快で落ち着けなくなるものです。

今回の感染症に関する報道や人々の意識が、まさにそのことを実感させてくれました。「分からない」状態が続くと、不安が大きくなります。なんとかして「早く分かろう」「早く幕引きしよう」とする傾向が強くなります。

世の中に溢れる「マニュアル化」や「ハウツーもの」は、早く分かりたいという多くの人のニーズに応えたものと言えます。

しかし、子どもの育ちは「マニュアル通り」にはいきませんし、手っ取り早く「ハウツー」で済ませられるものでもありません。

指導者・支援者にはことさらに「分からないままの状態を受け入れる能力」、つまり「空白に耐える能力」が必要です。

帚木蓬生氏(2017)は、こうした「答えの出ない、どうにも対処のしようのない事態に耐える能力」ないしは「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」をネガティブ・ケイパビリティと呼び、これからの世の中を生きていく人たちに欠いてはならない能力だと看破しています。

まずは、私たち教師自身が「空白を無理に埋めようとせず、不安であったとしてもすぐに答えを求めない」という意識を強くもつことが大切です。

そして、未来を担う子どもたちにも「世の中には、実はまだまだ分からないことがたくさんあるよ」と折にふれて伝え、これからの世界の「余白」を共に作っていきたいものです。

連載をお読みくださり、ありがとうございました

さて、この連載も節目の50回を迎えました。

そして、今回が最終回になります。ここまで、本当にありがとうございました。

読者の皆さんの心の「余白」を広げることにつながる連載であったならば、これほどうれしいことはありません。

なお、第1回~第40回までの記事は、光村図書から『子どもの心の受け止め方 発達につまずきのある子を伸ばすヒント』として書籍化していただいています。こちらも併せてお読みいただければうれしく思います。

それでは、またどこかでお会いできる日を楽しみにしています。


〈参考文献〉
帚木蓬生(2017)『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』、朝日新聞出版

Illustration: Jin Kitamura

『子どもの心の受け止め方』 川上康則 著

詳細はこちらからご覧いただけます。

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