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通常学級での特別支援教育 特別編①

通常学級での特別支援教育

2021年2月17日 更新

川上 康則 東京都立矢口特別支援学校主任教諭

通常学級で特に気をつけたい特別支援教育のポイントを、新任・若手の先生方に向けて解説します。

川上康則(かわかみ・やすのり)

1974年、東京都生まれ。東京都立矢口特別支援学校主任教諭。公認心理師、臨床発達心理士、特別支援教育士スーパーバイザー。立教大学卒業、筑波大学大学院修了。肢体不自由、知的障害、自閉症、ADHDやLDなどの障害のある子に対する教育実践を積むとともに、地域の学校現場や保護者などからの「ちょっと気になる子」への相談支援にも携わる。著書に、『通常の学級の特別支援教育 ライブ講義 発達につまずきがある子どもの輝かせ方』(明治図書出版)、『こんなときどうする? ストーリーでわかる特別支援教育の実践』(学研プラス)など。

第51回 【特別編① 中学校 国語】
特別支援教育の視点を「生徒理解」に生かす

国語の授業の難しさの原因の一つに、「支援を要する生徒」の存在が挙げられることがあります。確かに、次のようなつまずきがある生徒への対応は時間や労力を伴うことがあります。

  • 離席や私語などの「行動」面のつまずき
  • 登場人物の気持ちの理解が難しいなどの「社会性」のつまずき
  • ノートを取ることが難しいなどの「学習」面のつまずき

そのためかもしれませんが、「特別支援教育」という言葉にネガティブな印象を抱かれる人もいるようです。しかし、本来の特別支援教育は「生徒のことをより深く理解できる」ものであり、かつ「指導や支援のレパートリーが増える」ものです。

例えば、下のイラストのような姿の生徒はいませんか。もしかしたら「学習意欲に欠ける」とか「授業態度が悪い」といった見方に陥っているかもしれません。あるいは、短絡的に「○○障害だろう」と結び付けてしまっているようなことはないでしょうか。

画像

実は、特別支援教育の視点では、それらのような捉え方はしません。もっと掘り下げて、「学習意欲の乏しさを生み出した背景に何があったのか」とつまずきの要因を分析します。そして、呼びかけても答えないような無反応な姿から「学習性無力感」や「自尊感情の乏しさ」を読み解きます。あるいは「勉強なんて意味がない」「どうせうまくいかない」「やっても無駄」といった言葉がその生徒から聞かれたら、「これまでの成功体験の少なさ」や「課題に対する警戒心」を読み解くようにするのです。

中学校における特別支援教育は、まだ「何となく、日常とかけ離れた、自分たちと無縁の世界」という印象がもたれています。しかし、実際には、多くの人が考えるよりももっと身近で、しかも目立たないところから始まっています。障害かどうかの線引きも「海岸の波打ち際」のようなもので、どこが境界なのかはなかなか決めにくい曖昧さがあります。したがって、特別支援教育の対象かどうかを区分けしようとするのではなく、特別支援教育を、全ての生徒の「わかる」「できる」を支える、いわば「標準装備」だと捉えることが大切です。上のイラストの生徒が、「僕にもできる」「授業は楽しい」と実感できるようにするための答えが「特別支援教育」の中にあります。

生徒たちの「実態の開き」を具体的に表現する

日本では、発達障害といえば「知的障害がない」ことが一つの要件になっています。知的障害と見なされる境界の目安は知能指数70です。知能指数は100が標準で、70から130の間に、大半(約95%)が含まれることになっています。大雑把な理解ですが、通常の学級にはこの範囲の生徒たちが在籍しているとします。

それを、実際の精神発達の年齢に換算してみます。知能指数70とは、70%相当の精神発達という意味です。つまり、12歳の中学校1年生でいえば、およそ8歳半ということになります。これは小学校3年生相当です。いっぽう、知能指数130であれば、およそ15歳半で高校1年生に相当します。つまり、精神発達という視点で見れば、中学1年生の通常の学級の集団には、8歳半から15歳半までの約7歳の開きが存在するということになります。

このような「実態の開き」を具体的にイメージしておくことは、指導においても非常に重要なことです。例えば、「中学1年生なのに」などの学年観に縛られた指導は効果がない、ということがわかります。また、授業を進めていく際にも、一定の割合でスローラーナー(ゆっくり学ぶ特性の生徒)がいることを想定することができます。

生徒の「学び方の多様性」を理解する

前述の「実態の開き」に加えて、生徒一人一人の「学び方の多様性」についても具体的にイメージしておく必要があります。学び方については、情報の入力・処理・出力のそれぞれの場面で、生徒一人一人の「特性」が発揮されます。ここでは、入力に関係する「知的好奇心」を「電球」に、処理から理解がつながっていくことを「回路」にたとえて図示します。

さまざまなことに知的好奇心を発揮でき、学習内容の理解がつながっていく。
(理想的な中学生像として描かれやすいが、このような生徒ばかりではない。)

知的好奇心の「灯」が小さかったり、過去の経験から学習に対して積極的になれなかったりする生徒がいる。)

特定の事象に対する知的好奇心の灯が強烈に強い(こだわり)生徒もいる。
興味・関心の幅が狭く、学習内容によって偏りが出やすい。

集中が続かなかったり、内容間の理解がつながりにくかったりする生徒の場合、授業の進め方に工夫が必要になる。

一般的に物事の理解は、「積み上げ型」や「右肩上がり型」のようなイメージがもたれています。これは、①のような、さまざまなことに知的好奇心を発揮でき、学習した内容を自分の経験や他の領域と結び付けるのが得意なタイプには適用可能です。

しかし、このような生徒ばかりではありません。②のように、知的好奇心がもともと乏しかったり、何らかの経験で弱まったりしている生徒がいます。③のように、特定の事象に対するこだわりが強く、興味・関心が広がりにくい生徒もいますし、④のように、集中が続かなかったり、学習内容間のつながりが理解しにくかったりする生徒もいるのです。

このように、クラスには「実態の開き」があり、生徒一人一人には「学び方の多様性」があるという前提に立てば、必然的に授業の合間合間で立ち止まったり、場合によってはそれ以前の内容に立ち返ったりする場面が生まれるはずです。

特別支援教育の視点を「授業改善」に生かす

中学校は、小学校と比べて「集団としての統一感」や「凝集性」を重んじる学校文化があります。実際の指導としては、全体性・画一性の高い一斉指導が中心になりがちです。また、出口となる高校入試を意識する側面も強くなります。結果的に、生徒の「実態の開き」や「学び方の多様性」には、あまり意識が向けられてきませんでした。

ところが、実際には授業の内容を理解できていないまま、どんどん先の内容に進められ、困惑した心境すらも言語化できずに、ただただそこにいるしかない、という生徒が教室にいるのです。特別支援教育の視点をもって授業を見つめ直すことで、そんな彼らを輝かせることはできないでしょうか。

例えば、言語だけの説明では通じにくい場合に、近くの生徒と内容の理解を支え合ったり、絵を描いて説明できる生徒が情報を補ったりする立ち返りの場面があれば、救われる生徒がいます。また、一方で理解がつながっていた生徒も、それをきっかけに他者の視点を知り、つながりの回路をより太くすることもできます。

特別支援教育を「障害のある生徒だけの制度」と見なす時代は、とうに終わっています。今は、生徒理解を深め、授業改善に導くための効果的な教育ツールの一つと考えてもよいのではないでしょうか。


『子どもの心の受け止め方』 川上康則 著

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