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質問15 道徳と国語は、どんなところが違うの?

ここが知りたいQ&A

2017年10月30日 更新

35年以上にわたり道徳教育の研究を続けてきた富岡 栄先生(麗澤大学大学院准教授)が、「特別の教科 道徳」に関するよくある疑問にお答えします。

回答:富岡 栄(麗澤大学大学院准教授)

「道徳が国語のような授業になってしまった。」とか「国語と道徳の違いがよくわからない。」という悩みを聞くことがあります。おそらく、この悩みは、これまでの道徳の時間で使用してきた資料が、国語の教材と同様なものであったことに由来しているのではないかと思われます。

道徳科と国語科の違いは、それぞれの目標を確認することで理解できます。

道徳科の目標

よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため、道徳的諸価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を(広い視野から)多面的・多角的に考え、自己(人間として)の生き方についての考えを深める学習を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる。
(カッコ内は中学校)

端的にいえば、道徳性を養うことです。

国語科の目標

言葉による見方・考え方を働かせ、言語活動を通して、国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。

  1. 日常生活(社会生活)に必要な国語について、その特質を理解し適切に使うことができるようにする。
  2. 日常生活(社会生活)における人との関わりの中で伝え合う力を高め、思考力や想像力を養う。
  3. 言葉がもつよさ(価値)を認識するとともに、言語感覚を養い(豊かにし)、国語の大切さを自覚し(我が国の言語文化に関わり)、国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う。

(カッコ内は中学校)

端的にいえば、国語力を身につけ、国語を尊重する態度を育てることです。このように、道徳科と国語科の目標を照らし合わせてみれば、その違いははっきりします。

少し具体的に考えてみましょう。道徳科でも、登場人物の心情を推し量り理解に努めますが、そこにとどまっていては、国語科の授業と変わらないと見られるでしょう。これでは質の高い授業とはいえません。また、文章中に書かれている事実は大切にすべきですが、事実のみを確認するだけでは道徳科の授業とはいえません。時に、教材中に書かれている事実を一つ一つ確認するような授業を見受けることがありますが、そのような事実確認のみに終始する授業では、国語的と感じられてしまうでしょう。

道徳科で大切なことは、登場人物の言動について、自分ならそのことをどのように思うか、どのように考えるかの意見をもつことです。また、登場人物に自分自身を投影させ、自分ならどのように考え、判断するのか、また、その判断理由についての考えをもつことも大切です。

国語科では、文学作品から感銘を受けることで、道徳的心情が養われたり、論説文を読むことで道徳的判断力が高まったりすることがあります。ただ、このことは国語科の主たるねらいではなく、あくまでも副次的なものです。これに対して、道徳科は国語科と同じ教材を使用したとしても、道徳性を養うことがねらいです。このことに教師は自覚的であるべきです。この自覚こそが、道徳科と国語科の一線を画することにつながります。

富岡 栄(とみおか・さかえ)

麗澤大学大学院准教授。公立中学校教諭、管理職として、35年以上にわたり道徳教育の研究を続けてきた。平成27年3月、群馬県高崎市立第一中学校校長を定年退職。退職後は大学にて道徳教育に関する講座を担当。日本道徳教育学会、日本道徳教育方法学会の評議員を務める。平成27年一部改正「中学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編」の作成協力者の一人。

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