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質問16 道徳と特別活動は、どんなところが違うの?

ここが知りたいQ&A

2017年10月30日 更新

35年以上にわたり道徳教育の研究を続けてきた富岡 栄先生(麗澤大学大学院准教授)が、「特別の教科 道徳」に関するよくある疑問にお答えします。

回答:富岡 栄(麗澤大学大学院准教授)

道徳の授業後の検討会で、「今日の道徳の授業は学活的だった」や「特活みたいな授業だった」というような形容で授業が評価されることがあります。では、この「学活的」あるいは「特活みたい」とは、何をもっていっているのでしょうか。それを解くヒントは、それぞれの目標を確認することで得られます。

道徳科の目標

よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため、道徳的諸価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を(広い視野から)多面的・多角的に考え、自己(人間として)の生き方についての考えを深める学習を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる。
(カッコ内は中学校)

道徳科の最終的なねらいは道徳性の育成です。

特別活動の目標

集団や社会の形成者としての見方・考え方を働かせ、様々な集団活動に自主的、実践的に取り組み、互いのよさや可能性を発揮しながら集団や自己の生活上の課題を解決することを通して、次のとおり資質・能力を育成することを目指す。

  1. 多様な他者と協働する様々な集団活動の意義や活動を行う上で必要となることについて理解し、行動の仕方を身に付けるようにする。
  2. 集団や自己の生活、人間関係の課題を見いだし、解決するために話し合い、合意形成を図ったり、意思決定したりすることができるようにする。
  3. 自主的、実践的な集団活動を通して身に付けたことを生かして、集団や社会における生活及び人間関係をよりよく形成するとともに、自己の(人間としての)生き方についての考えを深め、自己実現を図ろうとする態度を養う。

(カッコ内は中学校)

特別活動は、自主的、実践的な態度を育て、自己を生かす能力を養うことを目指しています。

この二つの目標を照らし合わせると、確かに「自己(人間として)の生き方についての考えを深め」と、全く同一の文言が使われているので、一部では、道徳科と特別活動は同質の教育活動といえるでしょう。しかし、ねらいは異なるので、同じ教育活動とはいえません。

言い換えれば、特別活動は、道徳と同質的な活動の部分があるため、ねらいに道徳的価値を含む場合がありますが、全てのねらいに道徳的価値を含んでいるわけではありません。例えば、学校行事の運動会のねらいには、友情、協力などの道徳的価値を含む場合もありますが、「体力向上」のように道徳とは直接関わりのないねらいもあります。また、運動会での係り決めも道徳的問題ではなく、学校生活上の諸問題といえます。このように、特別活動では、道徳的価値を含む場合もあるし、含まない場合もあります。これに対し、道徳科は、道徳的な問題について考え、道徳性の育成を目指します。よって、道徳科で、ある問題について考え議論したとしても、その問題が道徳的な内容を含んでいなければ、道徳科の授業とはいえません。そのような場合、「特活みたいな授業」と評価されることになります。

さらに、道徳科と特別活動における学級活動(学活)では、以下のような違いを見いだすことができます。道徳科も学活も話し合いを通して学ぶことを基本としています。道徳科の目標は道徳性の育成ですから、学級での深まりのある充実した話し合いを通して、最終的に一人一人の児童生徒の道徳性を育んでいくことを目ざします。これに対し、学活では、個々の問題として考え、個に帰着させる場合もありますが、集団決議をすることも多々あります。学活で、十分に話し合いをした末に、ある問題に対してクラスとして集団決議したとします。すると、それまでは反対意見を唱えていた人も決まった内容に従い、生活を送ることになります。道徳科は、一人一人に着目して道徳性の育成を目指す「個の視点」であり、学活は、集団決議をして、その決められたことに則って行動する「集団の視点」であることも異なる点でしょう。

富岡 栄(とみおか・さかえ)

麗澤大学大学院准教授。公立中学校教諭、管理職として、35年以上にわたり道徳教育の研究を続けてきた。平成27年3月、群馬県高崎市立第一中学校校長を定年退職。退職後は大学にて道徳教育に関する講座を担当。日本道徳教育学会、日本道徳教育方法学会の評議員を務める。平成27年一部改正「中学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編」の作成協力者の一人。

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