マスク越しでも、ディスタンスをとっても、笑顔の交流! 〜「動き」のある授業で実現〜(4)再現後の対話で、より深い学びへ

2020年7月28日公開

札幌市立あやめ野中学校教諭 近野秀樹

第3回で触れた、文部科学省発行の「私たちの道徳 中学校」に掲載されている教材「誰かのために」(p184~185)を活用した授業実践について、今回は、場面再現の「動き」の後の対話の様子を紹介したい。

【参考】 私たちの道徳 中学校 (文部科学省)

―最後のおむすびを渡す動きの後、「自分なら学校に行けないかもしれない」という意見に対しての対話―

先生 みんなどう? そもそも、この子よく学校行ったなぁ、と先生も思う。(お母さんは)もうかなり具合も悪くて、次の外泊は、あるかわからないわけだし。

生徒 a 行けないかも。お母さんといっしょにいたい。
(うなずく生徒多数)

先生 (首をかしげる生徒に向かって)kさんは、どう?

生徒 k (お母さんが)明日死ぬと決まったわけじゃないから、なんか、いつもどおり、学校は行く。

先生 お母さんといっしょにいたくないの?

生徒 k う~ん、いたい。行けないかも。でも、お母さんは学校でいつもどおりがんばってほしいと(考えていると)思う。だから、やっぱり、学校行く。

先生 そうか。深いですね。

―「お母さんが娘にバトンタッチした大切なものとは?」という問いに対して、生徒たちがホワイトボードに書いたものを紹介した後の対話―

(「おむすびの日、母は『これが最後』とわかっていたか?」という話題になり、「わかっていた」の意見が多いという授業の流れの中で)

先生 sさん、「生きることを諦めない」って、「これで最後だとわかっている」という意見も多いけど。詳しく教えて?

生徒 s もう立てないくらいだし、でも、諦めなければもう一度おむすび作れるかもしれないから、最後かもしれないと思っていても、でももう1回作りたい。

先生 なるほど。みんなどう?
 (一同うなずく)

(mの書いた、「量より質」というホワイトボードの意見について詳しく聞きたいと言われて)

生徒 m 100年生きて、薄っぺらな人生とかだったら、40歳で死んでも、充実した人生のほうがいいな、っていうこと。

先生 それを娘に伝えたかった?

生徒 m 誰だっていつかは死ぬから、いつ死ぬかわからないから、濃く生きてねっていう。

先生 なるほど。

授業後の感想では、23人中8人もの生徒が、ワークシートの「印象に残った友達の言葉」で、mの「量より質」に共感したと記述していた。mの感想には、「量より質とは書いたけれど、でも本当にお母さんがそんな状態だったら、長生きしてくれるほうが、私はうれしいです」と書かれていた。

最後に、3年生の別の授業の様子も紹介したい。文部科学省発行教材「中学校道徳 読み物資料集」に掲載されている教材「帰郷」(p36~41)を活用した授業である。

【参考】 中学校道徳 読み物資料集 (文部科学省)

場面再現の「動き」で、老夫婦から「チャーハン」を押しいただく様子を再現した。一言も声を出さず再現の演技をする代わりに、マスクを外して演じる、という条件で行った。動きの後、マスクを付けて「考えたこと」を説明させると、「うまそう」「あ、チャーハン!」「懐かしい匂い」などの意見が出された。

「本物の岡持ち」「本物のチャーハン」などの小道具を活用することで、ウィズコロナのさまざまな制限の中でも、生徒は自我関与し、笑顔で対話を重ねながら授業を進めることができた。

長引いた自粛生活で友人との生身の交流が絶たれ、以前のような学校生活での活発さが見られない生徒も多い。しかし、道徳科の授業では、コロナ禍をただの障壁ではなく、貴重な人生経験という教材に変え、成長につなげている、たくましい子供たちの姿が感じられる。

そういった子供たちの姿に支えられ、元気をもらいながら、感染流行の第3波到来による再々休校に備え、自学自習が適さない特性をもつ「特別の教科」についても、オンラインでの学習法などを検討・準備しているところである。

本連載は、今回が最終回です。ご愛読、ありがとうございました。


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