国語のおもしろさを学校からご家庭へ①

国語のおもしろさを学校からご家庭へ
 ――授業のユニバーサルデザインをヒントにして ①

2020年6月18日公開

星槎大学大学院教育実践研究科 教授 阿部利彦
日本授業UD学会湘南支部顧問

1.授業のユニバーサルデザインで気づいた「国語のおもしろさ」

私は、通常学級の「発達が気になる子どもたち」の支援の研究をしています。そして、わかりやすく楽しい授業だと発達が気になる子も前向きに授業に参加でき、問題行動が目立たなくなるため、授業の重要性を感じるようになりました。そんな折に出会ったのが、日本授業ユニバーサルデザイン学会の桂 聖理事長でした。桂先生が各地で行う飛び込み授業を見て、国語の授業のおもしろさを初めて実感し、授業の手法についても研究するようになったのです。

ご存じの先生も多いかと思いますが、この「授業のユニバーサルデザイン(以下授業UD)」というのは「特別な支援が必要な子を含めて、通常学級の全員の子が、楽しく学び合い『わかる・できる』ことを目指す授業デザイン」のことをいいます。
授業UDと聞くと、先生方は「焦点化」「視覚化」「共有化」という3つのキーワードが思い浮かぶのではないでしょうか? この3点に加え、桂先生は授業UDのさまざまな「しかけ」を提案しています。

*【引用文献】『教材に「しかけ」をつくる国語授業10の方法』桂聖編著、東洋館出版社、2013

これらのしかけによって、子どもたちは授業を楽しみながらポイントをつかむことができるのです。

新型コロナウィルスの影響を受け、教育のあり方は大きく変わってきました。学校が再開されてきたとはいえ、まだまだ制約の多い中で授業を行わなくてはなりません。先生方はこれまでの教室での学びに加え、オンラインと家庭学習による学びにおいてもさまざまな工夫を迫られています。
これからは、以前に増して学校と家庭が連携して子どもの学習を進めていかなければならないでしょう。家庭学習について、予定表や課題を保護者にお渡ししている学校や、「家でやってもらうこと」をかなり工夫してまとめてくださっている先生方も多いようです。
でも、もし保護者が「国語はおもしろくない」のに教えなければならないと考えていたら、家庭学習が保護者と子どもにとって辛い時間になってしまいます。
ですから、保護者の方々にもなるべく「教えるおもしろさ」を伝えられればと思うのです。もちろん、文章に触れる機会が少ない保護者の方もいらっしゃいますので、全ての保護者にというわけにはいきませんが、国語の家庭学習を子どもと保護者が一緒に楽しんでできたなら、学習面でも家族の交流面でもよい効果が得られるのではないでしょうか。そのために、授業UD的な手法を取り入れることはたいへん有効であると私は考えています。

2.授業UDが引き出す「教科書のおもしろさ」

桂先生との出会いによる、私のもう一つの発見は「国語の教科書はおもしろい」ということでした。こうやって光村図書さんで書かせていただいている私ですが、正直、国語の教科書は、保護者として子どもに手渡しこそすれ自分で熟読することはありませんでした。支援の仕事をしているというのに、です。
『スイミー』や『たぬきの糸車』、『お手紙』、『ごんぎつね』、などは私が小学生の頃からありましたが、授業UDのおかげで、この年になって初めてこれらの物語に隠されたおもしろさを再発見することができました。
学年を追って教科書をみていくと、子どもの発達を意識してうまくスモールステップ化されていることに改めて感心させられます。また、例えば『お手紙』であれば、冒頭の「ああ」と後半の「ああ」、あるいは冒頭の「ふたりとも」と後半の「ふたりとも」の対比に気づくと登場人物の気持ちの変化を読み取りやすくなるのですが、このように教科書に選ばれた作品には、「よくできているなあ」と大人を感心させるような筆者のしかけが巧みに盛り込まれています。学びの場でそれをより効果的に子どもに演出するのが、授業UDというわけです。
できればこの機会に、家庭学習を通じて他の保護者の皆さんにも私と同じように国語の教科書のおもしろさに気づいてもらいたい、と最近感じているところです。

さて保護者にとって、「国語で何を教えたらいいのか」が一番わかりにくいかもしれません。算数のように具体的ではないからです。教科書を読ませ、言葉調べをさせ、新出漢字を練習させる。ここまではルーティンでなんとかできるでしょうが、扱いにくいのは物語の本文についてです。ここでは、国語の中でも保護者がとくに苦手と感じてしまう「物語文」の家庭学習について考えてみたいと思います。
保護者である自分たちの子ども時代を振り返ってみると、そういえば私たちはよく本文を暗記させられました。昔のように物語を暗記させればよいのか、あるいは情感を込めて読ませたり、感想をたくさん言わせたりすればよいのか、悩むところです。
それに、例えば子どもが本文の内容とずれた感想を書いてしまったら、それを算数の間違いのように修正すべきなのでしょうか。もしかして正しい感想(そういうものがあるなら)に導く必要があるのか、それともありのままにしておけばよいのか、判断に迷います。
保護者は先生方のように「国語の教え方」を学んできていませんし、学習指導要領も持っていません。また、保護者ご自身が学校や勉強が嫌いだった家庭もあるかもしれません。ですから、「先生の代わり」を保護者に求めると無理が生じてしまうでしょう。


阿部利彦(あべ・としひこ)

星槎大学大学院教育実践研究科教授

星槎大学大学院教育実践研究科教授。専門は教育相談、学校コンサルテーション。東京障害者職業センター生活支援パートナー(現・ジョブコーチ)、東京都足立区教育研究所教育相談員、埼玉県所沢市教育委員会健やか輝き支援室支援委員などを経て、現職。星槎大学附属発達支援臨床センター長、日本授業UD学会理事、日本授業UD学会湘南支部顧問を務める。

Illustration: 夏野なえ

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