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道徳科の充実を支える学級づくり

2023年2月10日 更新

「考え、議論する」授業の基盤となる「学級づくり」について、水登伸子先生(元広島市立広島中等教育学校教諭)がお伝えします。

なぜ学級づくりが大切なのか

道徳の教科化にあたり、「考え、議論する」がキーワードになっています。「今まで『考え』はやってきたけれど『議論する』はちょっと・・・」と思われる先生方も多いのではないでしょうか。国語の授業で「話し合いのしかた」は学習しますが、だからといって生徒がちゃんと話し合えるようになるわけではありません。(私も国語科です。すみません。)以前説明文の授業をやっているとき、数学の先生に「それをやったら数学の文章問題もきちんと読めるようになるの?」と聞かれて言葉につまったことがあります。現実はそううまくはいかないんだなあ。

というのも、人は自分に何かせっぱつまったものがなければ、あるいは「このメンバーで話し合うと、きっとおもしろいぞ」と思わなければ、なかなか話し合う気にはならないからです。「話す」という行為には、この「~する気になる」が大いに影響を与えます。何回か議論するうちに「話し合うと今までの自分とは別の視点を発見できる」ということに気づくかもしれませんが、その段階に到達するのは大人でも難しいかも。たとえば6人くらいの飲み会なのに、気づくと二人きりで話し込んでいる人っていますよね。その日は、集まった6人で話すことに意義や楽しさがあるのに!

最近の研修会では、研究協議の際に、小グループで話し合って発表するという活動がよく取り入れられています。私、これ、得意なんですよ。全く知らないメンバーでも話し合いの口火を切ったり、適当にツッコミを入れて笑いをとったり。でも、自分が講師かなんかで前にいて全部の様子を見ていると、「むすっ」「しーん」みたいなグループが必ずあるのです。まずその表情をなんとかして!

問題意識があるはずの教員の集まりでさえそうなのに、生徒にいきなり心を開いて話し合えっていうのが無理。しかも道徳なんて自分の心の奥の方に関連することを「このメンバーと話す気にならない」と思ったら、そりゃあ話し合いも盛り上がらないですよね。「でも教員の研修会は、知らない人相手だけど、クラスの生徒どうしはよく知っているのに?」と思った先生は「本当にうちのクラスの生徒は、お互いのことをよく知っているのか?」と考えてみましょう。「よく知っているのは一部の友人間だけで、1年が終わってもろくに話したこともない子がいる」という実態はないですか? スター選手がすべての行事で活躍するだけで、自分や他人の存在意義を感じられない生徒が結構いたりしませんか?

自分の心のうちを、このメンバーなら話してもいいかな…と思える環境(=クラス)を作っていくのが、まず担任の仕事。次はそのために教師が心掛けたいことについてお話します。

学級づくりで教師が心掛けたいこと

昔、大学の先生に「すごく真面目で努力をしても、中学生と全くうまくいかない人はどうすればいいのだろうか。」と聞かれたことがあります。そのときは若かったので、「向いていない人はどうにもならない」としか思えなかったのですが、何十年もいろんな先生に接してみると、何かしら変えられる部分はある(のに変えないから失敗する)ような気がします。

まず「自分は先生だ!」と肩肘を張らないこと。生徒に威厳を見せようとして、逆に失敗するのはよくあるパターンで、常に大きな声で品のない言葉で怒鳴ったりしていると、威厳を感じるどころかクラス自体の雰囲気がすさんできて、そんな人が道徳の授業をやったって、生徒の正直な気持ちを引き出すことはできません。また、「女だからバカにされるのかも」「若いからなめられるのかも」などと思うのもやめましょう。生徒が先生を好きになったり尊敬したりする理由は、そんなところにはありません。

ただ、考え方や生き方のセンスは関係してくると思うので、そこを磨くことは大切。何かとアンテナを張って生活をする必要はあります。また、先生が努力している姿を見せるのも大切。先生だってできないことはたくさんあるわけですが「先生も頑張る!」という姿勢を生徒は見ています。そんな先生に「一緒に頑張ろう!」と言われたら「まあ先生も頑張っているからやろうか・・・」と思えるけど、高いところから腕組みをして「頑張れ」と言われても、そんな気にはなれないと思います。(カリスマ部活顧問ならともかく)

でも、いちばん大事なのは「中学生って可愛い」・・・が無理なら「中学生って面白い」と心の底から思うことかな。たとえば、職員室で教員どうしが生徒の話題をするとき、マイナスの部分ばかり話す人がいますよね。誰かが生徒の微笑ましいエピソードや、「なんと△△がこんなに頑張っていた!」という話を紹介しているのに「どうせ長続きはしない」「でも他の場面では全くダメだ」などと否定方向に持って行く先生は、絶対に良い学級はつくれないと思います。

学級は「学級」というものが元々あるわけではなく、一人一人の生徒が集まって「学級」になっているのだから、担任は、一人一人の生徒に興味をもち、少しでも成長が見えたら感心し、「私は君に感心しているのだ」ということをちゃんと伝えないと。生徒を褒めようと思って褒めるのではなく、本気で感心したとき、すぐ口に出すことです。そして、他の生徒にも「○○君がすごい」「△△さんは面白い」ということを知ってもらいたいし、素直にお互いを認める癖をつけてほしい。そうやって日々生活している集団は、必ずあたたかい学級になるはずです。次はその方法の一端を紹介します。

道徳の授業ができる学級づくりの具体的実践例

「素晴らしい学級」って、たぶん日本にいくつもあるのだと思いますが、ここでは「道徳の授業をする上で」ということで、「素直に自分の考えが言い合える場としての学級づくり」に焦点を当ててみたいと思います。

私が大切にしているのは、手書きの学級通信です。最初は「保護者に学校の様子を知ってもらおう」というだけの気持ちで始めました。マスコミは学校の荒れをことさら取り上げるけれど、うちのクラスの日常は笑いがいっぱいだということを伝えて安心してもらいたかったのです。

そのうち、生徒を一人ずつ紹介していくシリーズや、道徳の時間に書いた生徒の考えを載せ始めると、学級通信を生徒も保護者も楽しみにしてくれるようになりました。また、他学年の先生が「学級通信に載っていた○○君ってどの子?」と自分のクラスの生徒を気に掛けてくださるようになったし、夏休みの三者懇談のとき、保護者がえらくフレンドリーに接してくださる。というのも、4月からの毎週の学級通信で、担任がどんな人間で何を考えているのかがよく分かっているから。もちろん生徒も。

でも、担任の考えばかり載せている通信では、生徒がお互いを知ることにはなりません。どんどん生徒の考えていることを載せなければ。そのネタ元になるのが「お題日記」です。

私は、終学活で毎日「お題」を出して、文章を書かせます。次の日までに「お返事」を書いてまた終学活で返す。それだけですが、単純な日記ではなく「お題」があるのがポイント。「我が家の暑さ対策」「お弁当の楽しみ」などなど、「ほほー」「うぷぷ」「かわいい!」が満載です。それを学級通信に載せると「みんなこんなこと考えているのか」と思って、互いの距離が近づきます。

そしてときどきは、道徳の授業で書いたことを載せてみましょう。「うちの生徒はきれいごとばかり書いて」と言う先生がいるけれど、それは発問がきれいごとを書くように誘導してしまっているから。「え?」と思わず自分を振り返るような発問なら、キラッと光る言葉をすくいあげることが必ずできるはず。そうやって、楽しいことも真面目なこともみんなで共有していけば、クラスの雰囲気というか、「世論」ができあがります。このクラスでは、肩肘張ったり、意地悪したりするより、普通に話す方が楽だと分かればいいのです。人をけなして笑いをとるより、もっと楽しい笑いがあると分かればいいのです。「学級づくり」というと、リーダーを育てて、仕掛けをして・・・などと思いがちですが、私はそういうのが苦手なので、地道な活動がボディブローのように効いてくると信じています。

水登 伸子(みずと・のぶこ)

広島市立広島中等教育学校教諭。広島市中学校教育研究会道徳部会部長を10年以上にわたって務めた。35年にわたる教師生活の経験から、明るく温かい学級づくりや、それに基づく道徳の授業づくりについて研究している。著書に、『中学校「特別の教科 道徳」の授業づくり 集中講義』『学級づくりがうまくいく!中学校「お題日記&学級通信」』(共に明治図書)などがある。

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