
2023年2月10日 更新
今、話題になっているアクティブ・ラーニング。道徳の授業の中では、どう具現化し、どう実効性のあるものとしていけばいいのでしょうか。田沼茂紀先生(國學院大學教授)が、道徳科におけるアクティブ・ラーニングについてお答えします。
質問1 道徳科におけるアクティブ・ラーニングで大切なことは?
アクティブ・ラーニングに基づく学びの意図は次の3点を実現することです。
1.「主体的な学び」
学ぶ意味と自分の人生や社会の在り方を結び付ける
2.「対話的な学び」
多様な人との対話や先人の考え方から学びを広げる
3.「深い学び」
各教科で習得した見方や考え方を働かせて学習対象と深く関わったり、問題を発見・解決したり、自己の考え方を形成して表したり、思いを基に構想・創造したりする
これらを道徳科に引き寄せて考えてみたいと思います。道徳科でのアクティブ・ラーニングとその意図は、以下のようにまとめられるでしょう。
登場人物の言動と自分の経験を重ねて考えさせ、道徳的価値への理解を促す
〈活動例〉
教材中の登場人物の考え方や行動を、自分に重ねて考えさせ、主体的に学ばせる。
出会った道徳的問題を自分の視点で考えさせ、「道徳的資質・能力」を養う
〈活動例〉
複数の道徳的価値の葛藤が起こる問題について、「自分ならどうするか」という観点から、それらの価値に向き合うよう促す。
体験的な学習を通じて、道徳的行為に関する心情を意識化させる
〈活動例〉
友達と対話的に役割演技をすることによって、心情と行為をすり合わせ、道徳的行為を意識化させる。
道徳科におけるアクティブ・ラーニングは、子どもたちがよりよく生きるための基盤となる道徳性を培うことを目的としています。道徳的価値についての理解を促進したり、自分自身を見つめながら物事を広い視野から多面的・多角的に考えたり、一人の人間としての自分の生き方について考えを深めたりするための手立てとして用いられることが重要です。
つまり、子どもたちが普段の生活経験を経て「頭で分かっていること」を、「再度自分事として感得する」ための有効な手立てとなるのがアクティブ・ラーニングなのです。これは、各教科等でも共通して語られるアクティブ・ラーニングの定義、「主体的・対話的な深い学び」と少しも相反するものではありません。
アクティブ・ラーニングとは、アメリカの哲学者・教育学者であるJ.デューイの名言「為すことによって学ぶ(Learning by Doing)」ことそのものなのです。
質問2 どんな視点から道徳の授業を改善すればいいの?
アクティブ・ラーニングの視点を取り入れた道徳科授業の具現化は、明日からでも可能です。ここでは、3つの視点から授業を見つめ直してみましょう。
子どもたちの学習課題は明確ですか?
なぜか、道徳の授業では子どもたちの学習課題や学習のめあては不要と考えられていることが少なくありません。しかし、学習課題や学習のめあては、日常的な道徳的体験や教材を通して、子どもたちが受け止めたり感じ取ったりしたことを、クラスで協同して考えていくために必要なのです。また、課題やめあてが設定されているほうが、子どもたちの主体的な学びを引き出すことにつながります。国語科や社会科、算数科など、他の教科学習と同様に、子どもたちに明確な道徳的学習課題をもたせてみましょう。
話し合い活動の目的は明確ですか?
とてもあたりまえな質問ですが、道徳の授業ではどうして話し合い活動を大切にするのでしょう。友達と意見交換することで、価値に対する理解を深めることが目的であることは容易に想像できます。ただ、その理解の質をきちんと問うべきだと思います。
子どもたちにとって、道徳的価値の大切さは、おおよそ学ぶ前から分かっていることなのです。だからこそ、自分では想定していなかった異なる考え方や、自信がもてないでいたことを後押ししてくれるような考え方など、多様な考え方があることに気づくことが大切です。他者との対話や、自己内対話を重ねることでそれを実現し、自らの道徳的なものの見方、感じ方、考え方を吟味・軌道修正していくところに道徳的な学び、話し合い活動の目的があるのです。
何のために話し合い活動をするのか、その活動を通じて子どもたちにどんなことを学んでほしいのかという学びのゴールを意識すれば、おのずと道徳の授業はアクティブ・ラーニングを取り入れたものになっていきます。
子どもたちの学びは「共通解」から「納得解」まで高まっていますか?
多くの実践で、ねらいとする道徳的価値についての理解を深めるだけの授業となっているケースを見受けます。それは、本時の主題として設定したねらいに対して、みんなで一生懸命思考し、みんなが納得できる共通の考え方「共通解」を確認するだけで終えてしまうという授業です。もちろん、「共通解」を導くことは道徳の授業において大切なことです。しかし、それだけでは「頭で分かったこと」に留まってしまいます。
自分なりに発展させて考えたり解決したりした、自分なりの結論「納得解」の段階まで子ども自身の道徳的価値の自覚を紡いでいくためには、「共通解」をどう自分事として受け止め、どう明日から生かしていけばよいのだろうと考えることが必要です。切実な自分事としての道徳的問題と子ども自身が真正面から向き合うことができる授業、それがアクティブ・ラーニングによる道徳科の授業なのです。
頭が働き心が動く道徳科アクティブ・ラーニングに向けて
道徳の時間が道徳「科」授業に高まることの本来的な意味は、ただ「心で感じる授業」から、「頭が働き心が動く授業」へと転換することです。その際の「目的指向性をもった道徳的学び活動の手立て」がアクティブ・ラーニングです。
道徳科授業におけるアクティブ・ラーニングは、決して難しいことではありません。子どもたちが道徳的学びをする必然性を学習課題として自覚し、課題追究のために他者対話を進め、自分自身と対話し、みんなとの協同思考で導き出した「共通解」を超えて、道徳的実践の主体者として自ら「納得解」を紡いでいく——。そんな学びができるように学びの場を設定したり、活動の場を構成したりしていけば、それは自ずとアクティブ・ラーニングによる道徳科の授業に転換しているということなのです。
さあ、子どもたちがよりよい明日を生きるために、実効性ある道徳性の育成を目指して、まずその一歩を踏み出しましょう。
田沼 茂紀(たぬま・しげき)
國學院大學教授。新潟県生まれ。川崎市公立小学校教諭を経て、高知大学教育学部助教授、教授。その間、同学部附属教育実践総合センター長を5年間にわたり併任。2009年より現職。専門は、道徳教育、教育カリキュラム論。