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伊坂幸太郎、新作「ヒューマノイド」を語る

授業に役立つ

2024年4月17日 更新

伊坂幸太郎 小説家

令和7年度版 中学校教科書「国語2」に、新作「ヒューマノイド」を書きおろしてくださった小説家・伊坂幸太郎さんに、担当編集がインタビューしました。
※このインタビューは、2023年8月に収録されたものです。

目次

小説「ヒューマノイド」が生まれるまで 小説「ヒューマノイド」を読み解くヒント 作者の言い分、読者の言い分 小説家・伊坂幸太郎のルール 小説とは何か

小説「ヒューマノイド」が生まれるまで

挑戦、チャレンジだと思って引き受けたけれど……

最初に「教科書に作品を書きおろす」という依頼が来たとき、どう思われましたか?

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

うれしかったですね。光栄だと思いました。教科書に掲載されるなんて、なかなかないことですから。ただ僕、てっきり既存の作品を引用してもらえるのかと思ったんですよ。自分は新たに何もやらなくていいのかな、と(笑)。ただ、依頼を読むと、新作を書きおろすんだとわかって。どうしようと悩みました。新規の仕事はスケジュール的にも厳しいので、最初の段階では、断るしかないかなと。そもそも、その時点でアイデアが全く浮かんでいなかったですし。

でも、最終的には受けてくださいました。

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

挑戦、チャレンジという意味で受けました。締め切りまで1年あるから、何か思いつくことに賭けようと思ったんです。後で、めちゃくちゃ後悔しましたけどね!(笑) こんなことなら、引き受けなければよかったって、何度も、本当に何度も思いました。

具体的に、どんなところが大変でしたか?

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

編集部のオーダーは、「いつもどおりの作風で」でしたよね。でも、話を聞いていくと、教科書って、まったくもって、「いつもどおり」じゃないんですよ(笑)。

僕の小説は、事件とか、暴力とか、たいてい何か「よくないこと」が発端になっているんです。ただ、そういうことは、教科書には載せられないと聞いて。教科書に掲載できて、かつ、僕らしくて、おもしろいものとなると、かなり難しいなと思いました。

それに、教科書って、小説が好きじゃない人も「読まなきゃいけない」じゃないですか。もちろん、僕の小説が好きじゃない人も「読まなきゃいけない」。今までは、僕の小説が好きな人が自分の意思で読んでくれていたんだけど、教科書はそこが決定的に違いますよね。

あと、編集部に言われて、確かにそうだなと思ったのは、犯罪はもちろん、個人の境遇や能力による劣等感やコンプレックスを題材にするのは避けたほうがいい、ということです。教室で、自分に似た境遇の子の話が出てくると、やっぱりドキッとしますからね、読む側は。

前に小学生が出てくる小説を書いたことがあったんですが、それも、不満やコンプレックスが原動力となるお話だったので、あの小説でも難しいのか、と考えるともう八方塞がりで。家族旅行に行っても、ずっと考えていました。そのうち、そもそもどうして僕に依頼したんだろう、僕の持ち味はそこなのに……って悩み始めてしまって。あれは本当につらかったです。

その節は、ご無理をお願いして、誠に申し訳ありませんでした!

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

いやいや、結果的には、納得のいくものができたので! 本当に笑い話になってよかったです(笑)。

中学生が相手でも、子供扱いはしたくない

教科書特有の制約だけでなく、伊坂さんのこだわりもあったんですよね。

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

もともと小説を書くときって、「こうはしたくない」「こういうのは嫌だ」というのが、なんとなくあるんですよね。まず、中学生が読むから、中学生の生活だけで完結する小説は嫌だなと思いました。僕が中学生のときもそうでしたが、自分は大人でありたいっていう……。憧れじゃないけど、子供扱いされたくない気持ちがあると思うんですよね。「同年代の話を書けば、読みやすいでしょ」っていうのは、大人が思っているだけなのでは?という気もして(笑)。中学生が相手でも、大人の話にしたいっていうのがあったんです。ただ、それだけでは、ちょっと成立しないので、冒頭は会社のシーンから始めて、中学時代を交互に挟む構成にしました。

冒頭が会社の会議室から始まる作品。教科書教材としては、画期的です。

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

中学生に対して、「子供扱いしないよ」という意思表示というか、そこはこだわったんですよね。それが正解なのかどうかはわからないのですが(笑)。それから、いい話、教訓っぽく終わるのは嫌だなと思ったんですよね。僕が嫌っていうよりは、中学生が嫌だろうと思っちゃって。「はいはい、大人はこういういい話を読ませたいんでしょ」って思われたら、悔しいという(笑)。その二つは大きかったですね。

読者として想定するのは、中学生だったときの「自分」ですか?

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

教科書に限らず、「中学生向け」や、道徳めいた話は苦手でしたね。道徳って、とても大事なものだけど、「どうぞ召しあがれ」って言われると、「いやいや、知っているし」と思っちゃうじゃないですか。押し付けられるのは嫌だな、というのが最初からあって、それが自分で課した枷でした。

あとは、それらの条件を満たした上で僕らしい話が書きたくて。僕のこれまでの読者が読んでも、ちゃんと伊坂幸太郎の小説だと思ってもらえるものにしたかったんです。

書き終えてから1年経って、いかがですか?

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

解放感がすごいです(笑)。達成感もありますね。僕が書く教科書のための書きおろし小説としては、これが最適解としか思えない、という納得のいくものが書けた気がしています。

小説「ヒューマノイド」を読み解くヒント

「恥ずかしさ」というテーマはどこから来たのか

ここからは、作品「ヒューマノイド」のお話を伺っていきたいと思います。作品のキーワードに「恥ずかしさ」がありますが、このテーマは、どこから出てきたのでしょうか。

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

思春期のことを思い出すと、やっぱり「恥ずかしさ」が全てというか……。「恥をかくこと」が「社会的な死」に直結するような、そんな気持ちがあったんですよね。僕だけなのかな。振り返れば、学校でいちばん起きてほしくないことが、「恥をかくこと」でした。 恥をかいたことって、ずっと覚えている。みんなの前で怒られたこととか……。そして、「ヒューマノイド」のタクジのせりふにもありますけど、恥ずかしい目に遭ったとき、泣く人もいれば、カッとして暴力に出る人もいる。どちらも、「恥ずかしさ」を処理するためなんですよね。「俺は、弱くないぞ」と示したいのかな、と想像しているんですが。

だから、昔から、学校の先生とか大人が、生徒を叱ったり何かを教えたりするときは、恥をかかせないことがいちばん大事かな、と思っていました。「プライド」や「恥をかかないこと」が、子供たちにとっては、本当に大きいことですから。

今回、教科書の仕事をもらったときに、それを書きたくて。「恥ずかしさ」は、人間の基本プログラムなんだとわかると、ちょっと「メタ的」に、というか、客観的に見られるような気もして(笑)。道徳とも、アドバイスとも違うんですが、ただ、ちょっと楽になる部分があればいいなと思って、それで、「恥ずかしさ」をテーマにしたいって思ったんですね。

「恥ずかしさ」のメカニズム。おもしろいですね。いつも、そうやって分析しているんですか?

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

いちいち、いろいろ考えちゃうだけなんですよね。「人はなぜ、こういうことを言うのかな」とか……。いや、どちらかというと反省ばかりです。「僕がこう言ったのは、根底にこういう気持ちがあったからかな」とか。他人を分析するというよりは、自分ですね。分析好きなんですよ。当たっているかどうかはわかりませんが、そうですね。何か理由があるはずだと思ってしまう。

小説家って、そんなに自分を見つめるお仕事なんですか。

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

見つめるとか、そんなたいそうなものじゃないんですよね(笑)。小説とは関係なく、原因を辿りたくなっちゃうんですよ。「なんでそうなったのかな」とか、「相手がなんでこうだったのかな」とか……。想像、いや、結局、妄想好きなんじゃないですか?

で、「恥ずかしさ」についての話は伝えたいと思っていたんです、最初から。

ただ、そこからが難しくて。「恥をかく場面」をどう作るかで悩んでいましたね。例えば、音痴とか……、歌って恥をかくとか、僕も音痴なのでそういうのがいちばん楽なんですけど、いろんな生徒が読むから、個人の能力や身体のこと、家庭環境を恥ずかしさに結び付けるのはちょっと、という話になって。

それは難しいぞ、と頭を抱えたんですけど、最終的に、失敗、ミスなら、誰でもする!と気づいたことで、突破口が開けた。できる・できないとは別に、人は誰でも失敗するから、失敗による恥ずかしさなら条件をクリアできるぞって気づいて、もう、これしかない!と。「唯一の解を見つけたぞ」という達成感がありました(笑)。

そうでした。誰も傷つかない「恥ずかしいシチュエーション」を考えるためだけに、何度か打ち合わせをしましたね。

作者と登場人物のリアルな距離感

「恥ずかしさ」といえば、話が少しずれるんですが、ご執筆中に、何気なく、「タクジはなぜあの一回だけ、恥ずかしさを感じたんでしょうか。」と伺ったことがあるんです。そうしたら、「人に迷惑をかけたから。」と、きっぱりおっしゃって。それはもう、即答でした。伊坂さんは、そのキャラクターの気持ちを、100%わかって書かれているんですか?

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

いや、全然そんなことはないです。ただ、登場人物は全部、僕なんですよね。僕のこういう部分を、ちょっと濃くして……とか。だから、人に迷惑をかけたり、大勢の前に出たりするのが恥ずかしいと思っているのは、結局、僕なんですよ。

伊坂さんの中から出てきたタクジと「僕」は、むしろ対照的な性格に思えますが……。

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

いろいろある僕の「側面」の一つなんですかね。例えば、僕の他の作品には、邪悪な人が出てきます。僕自身はそんなに邪悪じゃないけど、やはり、それは「僕の想像できる邪悪さ」なんですよね。当たり前ですけど、想像できないものは書けない。もしかすると事前に設定書を作ったり、憑依するかのようにして書いたりする作家もいるのかもしれないけれど、僕は違う感じです。全部、自分の分身というか。

タクジと「僕」、二人の関係性も見どころですよね。

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

もともと、「昔のあの約束を守る」という話は好きで、よく書いてしまうんですよね。今回も、大人になってから会おうね、という「約束」の話じゃないですか。生徒には、今いる中学校の同級生は、今だけじゃなく、将来に関わる関係性になるかもしれないよ、と伝えたかった。売り言葉に買い言葉で、悪口を言ってしまうことはある。でも、彼らみたいに、時空を超えて会うかもしれないし、長い付き合いになるかもしれない。だから、その関係は大事にしてほしいというか。今だけじゃないんだよ、っていうのは書きたかった気がします。

逆に、時間を超えて後悔から解放される、という奇跡もありますけどね。「僕」みたいに。

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

最後の場面、タクジは、全く覚えていない感じですもんね。向こうは意外に気にしていなかった、なんてことも結構ありますよね(笑)。それもまたいいな、と。

作者の言い分、読者の言い分

作者は読者の解釈をどう思っているのか

これから「ヒューマノイド」は、いろんな生徒に、いろんな読み方をされていくことと思います。中には、伊坂さんの意図とは異なる解釈をする生徒も出てくるかもしれません。作者の想定を超えて、読者が自由に想像したり解釈したりすることは、作者にとって、どういう体験なんでしょうか?

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

優等生的な解答をするなら、「いろんな読み方があっていいんですよ、光栄です」が、正解だと思うんですけど、でも、僕は若干、不本意なところもあって(笑)。自分で「ここは読者が自由に解釈してほしい」と思っている部分ならうれしい。でも、自分としては、「ここは、こう解釈してほしい」と思って書いているところで違う解釈をされると、自分の力不足を感じます。失敗したなって。

ストーリーとしてそう書いてある部分は、正確に受け取ってほしいと。

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

そう受け取ってもらえるように書いているはず……、いや、もちろん僕の力不足ということなんですけど、それで、ちょっと落ち込むことはあります。そこが難しいんですよね。説明しすぎるのもよくないし。

例えば、主人公がタクジのことを思い出して電車に乗るシーンに「あの美術の授業で、タクジは、わざと転んだわけではなかった。謝ってもくれた。」という文章がありますよね。最初は、「僕がもし彼だったら、どうしていたのか。」という文を続けていたんです。主人公の気持ちを詳しく書いていて。でも、編集部が、「ここは、想像してもらいませんか?」と言ってくれたので、削りました。そう言ってもらえたことで、削る判断ができたので、とてもありがたくて。主人公の気持ちをそこまで詳しく書かなくても、読者が想像して気づいてくれるのが理想ですもんね。そこで、僕の意図とは違う感想を抱く人が出てきたら、ちょっと寂しいかもしれません。書き方がよくなかったな……って思う気がします。

最後の一文の解釈をめぐって

じゃあ、最後の一文も、ただ「怒っている」と取られたら不本意ですか?

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

あ、そこは難しいところですね(笑)。あれはちょっと、自分でも賭けに出ているところだから、伝わらなくても不本意ではないかもしれない。本当にわかってほしければ、説明をもっと足せばいいんでしょうけど、それをやりたくないから、しかたない。どちらかというと、楽しみですね。どれくらい伝わるのか、伝わらないのか。もちろん何の疑問も抱かず理解してくれる人も多いと思うんですが、言葉どおり取る人もいるでしょうし、そもそも「聞いていた話と違うじゃないか」の意味がわからない人もいるでしょうね。でもここが伝わらなくても、直前の場面で満足感は得られるはずなので、いいかな、とも思います。

最後の一文はこう、いろんな感情が入り混じった複雑な気持ちですよね。

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

そうなんですよ。「謝んなきゃ! 謝りたいんだ!」という気持ちと、うれしさと、「ごめん」っていう気持ち。「聞いていた話と違うよ」と指摘しているのは、照れ隠しも入っている。単純な喜怒哀楽じゃないんです、あのあたりはたぶん。それがリアルな感情だと思うんですよ。読んだ人が、「ああ、そうだな」って思ってくれたらいいなと思います。

人間は、言葉どおりじゃない

そういう意味で、私、この作品の「自分でも意外なほど、冷たい声が出ていた。」とか、「笑顔のできそこない」とかの表現が、大好きなんです。今まで、思いつきもしなかったのに、そう表現されてしまうと、確かに「笑顔のできそこない」でしかないものを見たことがある。声を出してみたら、自分で思っていたより怒っていたこともあるんですよね。すごくリアルです。伊坂さんには、普段から、こう表現されるような世界が見えているんですか?

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

いや、そんなことはないです(笑)。でも、読者に納得してもらえたら、うれしいですね。凝りすぎた表現もダメだし、だからといって、よくある定型表現も使いたくない。その「あいだ」を探るのに、作家の人たちは苦労しているんだろうと思いますよ。あとは、難しい言葉は使いたくないとか、いろんな僕のこだわりの中から選んで、書いているだけです。

どれも日常語の組み合わせなのに、「あるある」と思います。感情の動きが、自分の観測よりも、ちょこっとずれるのがリアルだなと思って。

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

なるほど。「自分でも意外なほど、冷たい声」はそうですね。一人称だから、そうなるのかもしれないですね。

タクジが転倒したシーンの「僕」は、表面的には怒っていますが……。

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

そうなんですよ。自分だったらと考えると、タクジの顔を見られなかったのは、わかります。「タクジと友達なのが恥ずかしい」という思いもあれば、「タクジが恥ずかしがっているのを見たくない」という思いもあるでしょうね。複雑なんです、たぶん。いろんな感情が入り乱れる場面は、僕の小説にはよくあります。ラストの方もそうですしね。「探すの、疲れちゃった」みたいな場面。最後までがんばって探しそうなものなのに、つい、明日の仕事のことを考えちゃったり……。そういうのが好きなんですよね。つい、書きたくなっちゃうんです。人間は、言葉どおりじゃないというか。

ちょっと解釈が分かれそうな感じ、正解が一つに決まらないっていうのが魅力的です。

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

そうできていたら、本当にうれしいですね。

小説家・伊坂幸太郎のルール

角度でいえば、ほんの3度。読んだ人が上を向ける話が書きたい

伊坂さんが小説を書くときに、大事にしていることは、何ですか?

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

まず、「嫌な話」か「いい話」かの二択なら、「いい話」にしたいということです。なぜかというと、嫌な話って、意外に難しくない気がするんですよ。嫌なことを書いて、かつ、嫌な気持ちにさせることは、それほど難しくない。

でも、フィクションなんだから、読んだ後に下を向くよりは、前を向けたほうがいいなっていうのがあって。ただ、いい話って白けるんですよね。角度でいうと、45度ぐらい上を向く話だと白けちゃう。ほんの3度ぐらいがちょうどいい。それぐらいなら、嘘っぽくないかな、と。笑えるっていうのが、大事なんですよね。「ちょっと笑える」着地点をいつも考えている気がします。もちろん、できないこともあるし、そうじゃないときもあるけど、大事にしていますし、できればそうしたいなって。

3度ぐらいだと、こう、伸ばしていくと、未来、30年後ぐらいには、すごく高くなるじゃないですか。読んだ人が、3度ぐらい上を向ければ。逆に、3度下を向いていると、ずっと下がっていっちゃう。だから、3度上がっているぐらいがちょうどいいなと思って書いています。ハッピーエンドじゃなくてもいいんです。「ああ、楽しかったね」と思ってもらえたら、それで。

特に、子供が生まれてからですかね。それまでは結構、そうじゃない話も書いていたんですけど、子供が生まれると、未来が長くなるじゃないですか。子供の未来も平和だといいなと考える。もし、僕の小説を読んだ人が、みんな下を向いてしまったら、どんどん未来が下がっていっちゃうじゃないですか。ちょっと上がっているぐらいが、ちょうどいいかなって。

子供が生まれると未来が長くなる。すてきな視点ですね。

「僕の読者」より「読者の僕」をワクワクさせたい

伊坂さんが小説を書くときに、何か自分に課しているルールはありますか。

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

読者に、「どうせ、こうなるんでしょ」って思われたくないんです。これは、ずっとそうで。今回の「ヒューマノイド」は比較的オーソドックスな展開でしたけど、それでも、「こうなったら、こうなるんでしょ」って、読者に先読みされたくないんですよ。「驚かせたい」とは違うんだけど、物語の「定型」というか、「レール」にあまり乗っかりたくない、というのはありますね。読者の2歩前ぐらいを行きたいんです。読者の2歩後っていうのは、すごく屈辱的じゃないですか。そのほうが安心はできるんですけど。それは、ずっと、昔からそうですね。

それは、常に読者を意識して書かれているということですか?

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

「これ、どうなるの?」って思ってほしいし、自分がそう思いたかったんですよ。ずっと。映画を見ているときも、小説を読んでいるときも、「これ、どうなるの?」というワクワク感がいちばん幸せだったので、読者にも、それを味わってほしい。自分が書くときもそうなんです。

読み手としての体験が、書くときにもつながっているんですね。

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

本当にそうなんです。「僕の読者」というより、「読者の僕」をワクワクさせたい、というのは、昔から変わらないですね。

なるほど。読み手として、「これは、やられたくない」ということはしない、というのが、伊坂さんのルールなんですね。

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

そうですね。だから、「正解」でもないんです。あくまでも僕の好み。最近の若い人は、あらすじを全部知ってから映画を見に行くというじゃないですか。初めは、「そんなこと考えられない」と思いましたけど、最近、わかるなあとも思う。疲れていると、あらすじを知っている話のほうが楽なんですよね、本当に。だから今は、定型のよさもわかってきたんですが、でも、自分でお話を作るときには、それができないんです。

小説とは何か

個人の小さな出来事にも寄り添える

最後に改めてお伺いします。小説とは、何でしょうか。小説でしか表現できないこと、小説を読むことでしか得られないものがあるとすれば、それは何だと思いますか。

伊坂幸太郎さんの画像

伊坂

何か特別なことがなければ、ニュースにはならない気がするんですよね。でも、ニュースにもならないような小さな出来事が、その人にとっては大事件、ということもある。ニュース、マスメディアは大きな事件を取り上げますし、インターネットで話題になるのも、やっぱり、特別な出来事が多い気がします。それに比べて小説は、地味な出来事を描いて、優れた作品を作ることができる。個人的でこぢんまりしたことを書くことができる。できる、というか、そういう小さな出来事を取り上げるのが、得意なんだろうな、とよく思います。

イラスト:秋葉あきこ

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