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Story3 絵でしか生きられない

――小さな頃から絵本をよく読み,絵本と深く関わってこられたのでしょうか。

伊勢 英子(画家・絵本作家)

小さいときは,意外にあまり多くの絵本を読んでいたわけではないんです。特別,親が絵本をたくさん買い与えてくれたという環境でもありませんでした。でも,絵は2歳ぐらいの頃から描いていたようです。なぜかはわかりませんが,「空想癖(くうそうへき)」の資質だけはあったんでしょうね。保育園に置いてあった,子ども用の月刊絵本雑誌みたいなものを見て,岩崎ちひろさん,初山 滋さんといった,すばらしい人たちの絵は見ていたので,絵本という世界があることは知っていた気がします。

小学校のときは,勉強ばかりさせられたりバイオリンを習わされたりと,忙しい日々を送っていました。そんななかでの逃げ場となったのが漫画でしたね。70人ぐらいの漫画家の画風やタッチをまねて描き分けることができるようになっていましたね。例えば,手塚治虫さんや石ノ森章太郎さん,ちばてつやさんだとか。

――クラスで間違いなく人気者になるタイプですね。

きっとね(笑)。うわさ話を聞いた上級生までもが「描いて,描いて」と言って,白紙のノートを持ってくる。私はそれをランドセルいっぱいに詰め込み,持ち帰って家で描いてくる。漫画だけに限らず,映画やテレビに出てくる人物のリクエストも受けました。宿題みたいなものです。思えばその頃から,人に注文されて絵を描いていたんですね。

高校に入っても,自分が絵の道に進むという意識はあまりもっておらず,クラブ活動は室内楽に所属していました。でも,絵を描くことは続けていました。親が教育熱心でしたから,そこから自由になるために隠れて絵を描いていたんです。

大学を受験するにあたって,いよいよ道の選択に迫られました。漫画家になるというのは,親が許してくれませんでしたから,選択肢は二つ。普通の大学へ行くか,芸術系の大学へ行くか。その時点で,私には芸術系の大学のほかに選ぶべき道はありませんでした。なぜなら,私は絵によっていちばん正直に生きられるし,絵でしか生きられないと思っていたからです。

絵本作家になりたいと明確に意識し始めたのは大学に入ってからです。絵本を作るために,3年のときにデザイン科を選択し,卒業制作ではアンデルセンの『雪の女王』を描きました。

――伊勢さんの作品と漫画,イメージがずいぶん違います。

でも,漫画のまねをしていたことが,うっすらと今につながっていると思うこともあるんですよ。例えば,『ルリユールおじさん』の女の子や『絵描き』の少年の横顔なんか,ちばてつやさんの描かれる人物にどことなく似ていませんか。自分では,そういうところがあるかもしれないなあと思います。

それから,デッサン力。大学受験の前も在学中も,デッサンの勉強や練習を一生懸命しましたが,それ以前に漫画の絵を描いていたことでずいぶん鍛えられていたような気がします。子どもの頃から,いろいろな動きを描いていたわけですから。

去年,『木の赤ちゃんズ』(平凡社)という絵本を出したのですが,これなんてまさに,漫画っぽさがあるというか,漫画の勢いのある絵だと思っています。20種類ぐらいのいろいろな木の赤ちゃんが出てきて,自由に動いたり旅に出たりする絵本なんです。

伊勢 英子(画家・絵本作家)

――赤ちゃんが出てくるというのは,お孫さんの影響もあるのでしょうか。

そうなんです。今,1歳半と生後6か月の,二人の孫がいます(2012年現在)。娘が仕事のときには,アトリエで預かることもあります。ぶつかっても危なくないように,机の角や板の間の段差にはゴムの緩衝材を付けましたよ。

実は,東日本大震災が起きたあの日,このアトリエで,当時生後6か月だった孫を預かっていたんです。あの大地震が起こったとき,「ああ,この子を守んなきゃいけないな」と強く思いました。そして,その後の被災地の惨状を知るにつれ,「自分の孫だけを守ればいいっていう話じゃない」という気持ちもわいてきました。「絵描きとして,自分に何ができるんだろう」と自問自答した末,東京にいる私が,自分の目の前のこととして描けるのは,「赤ん坊」と「命」の話しかないという考えに至りました。それで,そのとき抱えていた他の仕事に優先して,「赤ん坊」と「命」の絵本を緊急出版してもらうことに踏み切ったんです。

制作当初は,木の赤ちゃんではなく,人間の赤ちゃんを動かしていこうとしていました。でも,人間の赤ちゃんだと,寝返りを打ったり這ったりしたところで,動ける距離は限られています。物語が展開していかず,すぐに行き詰まってしまいました。「赤ん坊」と「命」を描いていながら,これではちっともはるかかなたの未来までつながっていきません。それで,木の種,つまり木の赤ちゃんたちがすっ飛んでいく旅にすることを思いついたんです。そうしたら,話はどんどん動き始めましたよ。

描いていて感じたのは,「知恵を使って生き延びる」ことが,どんな植物の種にもDNAとして組み込まれているということ。人間も同じです。生きるように生まれついているんですね。そんな人間の可能性みたいなものを,この木の赤ちゃんたちを通して感じ取ってもらえたらうれしいです。

――「自分ができることは何か」と考えるなかで,だんだんと伝えたいことが膨らんできたような感じですね。

伊勢 英子(画家・絵本作家)

私は,何かを伝えたいという気持ちのあまりに取材に行くというタイプではないんですね。自分が気になって必要とするものを寄せ集めているうちに,そこから自然とテーマが浮かび上がってくる,そういうタイプなんだと思います。

例えば,『ルリユールおじさん』だったら,「ああ,私は手仕事を通して,つながりや絆みたいなものを描こうとしてたんだ」とか「本が大好きってことを描こうとしてたんだ」というように。本当に不思議なことですが,手繰り寄せたものの中に絶対にテーマが潜んでいて,作品を作っていくなかでじわじわと出てくるんです。それが私の作り方です。

ですから,もし,出版社さんのほうから,「伊勢さん,こんな時代だから,『命を大切に』っていう本を描いてください」と言われても,私は絶対に描けないんです。そういうものじゃないと思っているからです。テーマって,必要なものなら,必ず自然と染み出してくるものなのではないかしらね。

――近年のお仕事で印象深いものはありますか。

どの仕事にもみんな思い入れがありますが,2009年に出た『あの路(みち)』(平凡社)という絵本を作ったときの話をしましょうか。これは,山本けんぞうさんという方の文章に私が絵を描いたものです。他の人が書いたものに絵をつける仕事は久々でした。

山本さんとは親しくて,『ルリユールおじさん』の取材のときに,パリ在住の彼に通訳をしてもらったこともあります。パリで,私は私で,一人で歩いて回っていたときがあったのですが,そのとき,街の中を走り回る,前足の一つを失った犬に出会ったんですね。そして,不思議なことに,彼も彼でその犬に出会っていました。二人とも,その犬にひかれたんですね。

実は,彼の弟さんは,みずから命を絶たれているんです。私は,彼が,弟さんという片割れを失った「欠けた自分」みたいなものを,その犬に投影しているのをとても感じていました。それで,そのことを絵本にできないかと,私のほうから彼にお願いしたんです。

――伊勢さんが依頼をされるというのは珍しいことなのではないでしょうか。

そう。珍しいというより初めてのことでした。とにかく「絵本にしたい」と思ったんです。そうしたら,本当にすばらしい原稿が届きました。私は,泣き泣き絵を描きました。

制作中は,「人に見せない,人を入れない」と,アトリエを聖域化していましたね。俗世間との余分な関わりを絶って没頭しました。流す曲は二つだけ。キース・ジャレットの『ケルン・コンサート』とレオン・フライシャーの『羊たちは安らかに草を食(は)み』です。ちょっと感受性がおかしくなってしまっているんじゃないかと思うほどでした。

文章があまりにもすばらしいと,それをどうやって絵に描けばいいのかわからなくなってしまうものです。「しゃがんだ。/水たまりに空をみつけた。」という文章。どうやって描けばいいのか,ずっとずっと悩んだところです。できあがったものを見れば,ぴったり合っているように感じるかもしれませんが——この絵を生み出すのは,本当に本当に大変だったんです。けれども,このうえなく幸せな仕事でした。

伊勢 英子(画家・絵本作家)

――最近のお仕事についてお聞かせください。

絵本『ルリユールおじさん』,『大きな木のような人』(講談社),『まつり』(講談社)が「木の三部作」と呼べるなら,今はそれに続く4作目の制作に入っています。3年前からずっと手がけているものですが,大震災を経て気持ちが変わってきたこともあり,もう少し時間がかかりそうです(2012年現在)。「木がもう一度生きる」ということの意味を,もう一度考え直さなければいけないなと思っています。だんだん哲学者みたいになってきていますね。

それから,原画展の開催で忙しくしていました。2012年6月2日~7月16日の会期で,北海道・札幌の北海道立文学館で私の原画展を開いたんです。ちらしやチケット,ポスターは,私の絵本の全ての装幀をやってくださっている岡本 明さんの手によるものでした。私の色の原点が北海道にあることを,みごとにポスターで表現してくれました。キャプションは,私も書いたんですよ。「これは『ルリユールおじさん』のエスキース(下絵)です。」とか「実在の木です。」とか,私なりのキャプションが必要ですから。

――伊勢さんは,原画展を大切にされているという印象がありますが。

デジタル化の時代になり,絵本の原画そのものがデジタルで制作された本も増えてきました。それでは原画展は開けません。描き手の息づかいや手の感触が忘れ去られていってしまうのではないでしょうか。私は,新作が出版されるたびに,各地で原画展を催しています。

伊勢 英子(画家・絵本作家)

実物を見ればわかりますが,原画って,絵本とはぜんぜん違うんですよね。まず,絵本よりもずっと大きい。そして,文字が載っていない。印刷されて文字が載ったものを見るのと,額に入って1枚のタブロー(絵画)として見るのとでは,全く印象が違います。それから,私は作品世界の違いによって,画材を変えています。キャンバスだったり和紙だったり,アクリル絵の具や透明水彩,それらの質感のおもしろさは原画でしか味わえません。つまり,原画を見ることで,絵本の世界に2回浸ることができるわけです。原画を見て,そこからまた絵本に戻ったときにも違った味わいが見えてくる。そういう体験ができるのが原画展なんです。多くの子どもたちにそういうことを楽しんでもらいたいと思っています。

子どもたちは必ず親といっしょに来てくれるので,今言ったような楽しみを親子で共有できるのも原画展の醍醐味だと思います。原画を前にして,「こんなに大きい絵だったんだね」「こんな質感だったんだ」「こんな色だったんだ」と,自分たちの目による気づきを話し合える,親子の交流の場にしてもらえたらとてもうれしいですね。


伊勢 英子 [いせ・ひでこ]

画家・絵本作家。1949年,北海道札幌市に生まれる。東京藝術大学デザイン科卒業。大学を卒業して,1年間フランスに留学。帰国後,児童書の挿絵や絵本の制作を手がけるようになる。絵本『むぎわらぼうし』による絵本にっぽん賞受賞をはじめ,野間児童文芸新人賞,産経児童出版文化賞美術賞,講談社出版文化賞絵本賞など受賞作多数。代表作「ルリユールおじさん」「1000の風 1000のチェロ」「にいさん」ほか,フランスなど海外で翻訳・出版されている絵本も多い。絵本制作と並行して絵本原画展,アクリル画の個展を各地で開催。光村図書小学校「国語」教科書6年には「海の命」(挿絵),中学校「国語」教科書2年には「旅する絵描き」が掲載されている。

Photo: Shunsuke Suzuki