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Story 1 描くために大切な実感

――「海の命」(小学校「国語」教科書6年に掲載)は,絵本『海のいのち』を原典としています。この挿絵は,言葉と絵との関係をどのように捉えて制作されたのでしょう。

伊勢 英子(画家・絵本作家)

この当時はたいてい,作家さんからいただいた原稿を,まずはかみ砕くように読んで,取材すべきことを考えるというやり方をしていました。絵にするにあたってわからないことというのはたくさんあるものですから。
 『海のいのち』(ポプラ社)の前に出た,同じシリーズの絵本に『山のいのち』(ポプラ社)というものがあります。私は木が好きで,よく山や森を歩くので,これの制作のときは問題なくスムーズに進んだのですが,『海のいのち』のときはたいへんでした。実は,私,海が大嫌いだったんです。子どもの頃,北海道・小樽の海でおぼれて死にかけて以来,海には恐怖心しかありませんでした。『海のいのち』の冒頭には,「季節や時間の流れとともにかわる海のどんな表情でも,太一は好きだった。」という一文があるのに,私みたいな人間がどう描けるんだろうと,原稿をいただいたときに思い悩みました。なにしろ私は,どんな表情の海も知らなかったのですから——。

でも,シリーズですから,私が描くしかありません。それで,いろいろな海の写真集やビデオ・映画などを見てはみたものの,それは結局,全て映像やイメージの世界であり,自分が知らない世界でしかなかったんです。においもしなければ温度も感じないわけです。「これじゃ描けないな」と思って,スキューバ・ダイビングのライセンスを取るべくスクールに入る決意を固めました。

――それで,海に潜ることができるようになったのですか。

そう。泳ぐことはできないままですが,潜れるようにはなりました。でも,まず恐怖心を克服するのに1年かかりましたよ。初めて体験したのが台風の後でしたから,海の水が真っ黒に濁っていて,視界が1メートルぐらいしかなかったんです。だから,「怖い」という感覚しかありませんでしたね。それでも「なんとかなるだろう」と思って入ったのですが,恐怖で過呼吸になってしまって——。結局,1年目は4メートルまでしか潜れなくて,劣等生でした。おまけで合格させてもらったようなものです。でも,2年目には21 メートルまで潜れるようになりましたからね。

その間,絵本の出版は待ってもらっていました。自分が「描ける」と思うまで,自分のものにするまでは描けませんから。

――「自分のものにする」というのは,作品の中の人物が目にしていたであろう景色を,自分の目で見るということでしょうか。

「人物と自分とを同一化する」ということです。例えば,『海のいのち』なら,「太一」と自分とを同一化させないとその悲しみはわかりません。あるいは「与吉爺さ」と同一化して,その「太一」への思いを理解しなければ描けません。絵って,感情だと思うんです。感情がわかっていなければ,表情も色も描き出すことができません。

クエの取材もしたんですよ。静岡県・清水市にある海洋研究所で飼育されているクエを,編集者と見に行って,「すごい顔だな」と思いながらスケッチしました。とにかく大きくて,1メートルほどもあったんです。私は,クエを「父の命を奪った相手である海」が投影された魚だと思っていますから,それをどのように描こうかと考えました。かわいくは描けませんからね。でも,やがては,「太一」とクエは目を合わせるのだから,怖いだけじゃない。「太一」の気持ちもクエの気持ちも理解しないといけなかったので,物語後半の,モノトーンの絵のあたりは描くのがとても難しかった記憶があります。

伊勢 英子(画家・絵本作家)

――実際に描くときには,どの場面から描いていかれるのですか。

描けるページから描いていきます。いちばん好きなページというか,私にとっていちばん描きたいページから描いていくんです。そこから,次に描きたいページをどう描けばよいかが見えてきます。だから,決して順番に描いていくわけではないんですね。例えば,15 見開きあるとするでしょう。そうしたら,初めに3見開き目を描いて,次にどこかの見開きを描いたら,突然,最後の見開きが描けたといったように進んでいきます。

ずいぶん前のことだからはっきりとは覚えていないけれども,『海のいのち』(1992 年発刊)のときは,4・5ページ,10・11 ページ,20・21 ページあたりにあるようなきれいな絵から描き始めたような気がします。自分の目で見た,海の「表側」の怖くない景色を忘れないうちに描いたんじゃないかしらね。

――最後の場面,「太一」がふっとほほ笑み,口から銀のあぶくを出したところの絵は,ほかと比べると人物の表情がよく見えるように描かれていると思うのですが,どのような思いがあったのでしょう。

伊勢 英子(画家・絵本作家)

「太一」がほほ笑み,口から銀のあぶくを出した場面の挿絵

理屈で考えているわけじゃないから難しいのですが——。ダイビングで海の中に潜ったとき,自分の呼吸が泡になって上っていくのを見て,そのボコボコという音を聞いたこと。それに感動したんです。「ああ,生きるっていうことは,自分の呼吸が形になって音を出しているのを,海の中で感じることなんだな」と思ったんです。

立松さんのお考えはわかりませんが,私は自分の思う「海の命」を描けばいいわけですからね。私にとっての「海の命」は,上に向かっての光と,音と,泡の形。だから,あのとき私はきっと,それを見つめている「太一」の顔を描いたんだと思います。はっきりとは覚えていないんだけれど,「命の形を確認する耳と目」としての「太一」を描きたかったんじゃないかな。

――ファンタジー作品などにあるように,実在しないようなものや場所の取材はどのようにされるんですか。

自分の中でなんとなく見当をつけた場所に行ってみて,「きっとここだ」と思えるところを探すんです。例えば,『よだかの星』(講談社)という絵本。私は宮沢賢治が好きで,奥羽山脈・岩手山のあたりには何度も通ってスケッチをしていましたから,山並みや自然の感じなんかはわかっていました。でも,「よだか」が「かわせみ」にお別れのあいさつをする場面の夕日の色は,どう見えるのかがわからなかったんです。自分が「これだ」と思う夕日を見ないと絶対に描けないと思いました。それで,西を目ざし,東京から信州に向かう電車に飛び乗って,夕日を探しに行ったんです。もう,本能的に動くしかありませんよね。

伊勢 英子(画家・絵本作家)

それから,2003 年に出版された『はくちょう』(講談社)という絵本があります。ロマンチックな詩みたいな物語で,白鳥と池が出てきます。このときは,白鳥が越冬に来る11月の北海道,北へ帰っていく3月の福島県・猪苗代湖を取材して,白鳥はもちろん,枯れ草や春の色をしっかり見てスケッチしてきました。

それから,舞台となる池も取材しました。作者の内田麟太郎さんから「この池が舞台」という指定を受けたわけではなかったので,自分が「これだ」と思う池を探したんです。北海道・摩周湖の裏の方に,現地の人しか知らないような,湧き水だけの池があって,そこに行き着いたときに直感でわかりました。「あ,白鳥に恋する池はこれだ」と。物語の舞台であり,主人公である池が自分なりに決まると,描けるのです。

自分以外の人が書いた文章は,どんなものや場所をイメージしているのかが初めにわかっていない分,絵を描くときに苦労しますね。「これだ」って思えるものを見つけて取材するのが本当に難しいし,とても時間がかかります。自分の書いたものならいくらでもわかるんですけどね——。

――本当に,その作品の世界の中に没入されるのですね。

こんなことがありました。『山のいのち』の取材のため,この物語に出てくるイタチ漁が残っている四万十川へ行ったんです。源流から河口まで200 キロ,川に沿って車と徒歩で下りながら,景色をどんどんスケッチしていきました。夜,河口の町に着いたときに,なぜか足がカブほどの大きさに腫れていることに気づいてびっくりしました。どうやら,途中,毒虫か何かに刺されたらしいのですが,描くことに夢中になるあまり,全く気づかなかったんです。いつもそうですが,描き始めたら周りが見えなくなってしまうみたいです。

若い頃には,絵を描くときに当てていた電気ストーブで低温やけどをしたこともありました。描いているうちに入り込んでしまって,その最高潮の気分をずっと持続しながら描こうとするからこうなってしまうんですね。きっと,何をされても気づかないと思います。われながら恐ろしいですね。ともかく,描くときはいつも夢中なんです。

Photo: Shunsuke Suzuki


伊勢 英子 [いせ・ひでこ]

画家・絵本作家。1949年,北海道札幌市に生まれる。東京藝術大学デザイン科卒業。大学を卒業して,1年間フランスに留学。帰国後,児童書の挿絵や絵本の制作を手がけるようになる。絵本『むぎわらぼうし』による絵本にっぽん賞受賞をはじめ,野間児童文芸新人賞,産経児童出版文化賞美術賞,講談社出版文化賞絵本賞など受賞作多数。代表作「ルリユールおじさん」「1000の風 1000のチェロ」「にいさん」ほか,フランスなど海外で翻訳・出版されている絵本も多い。絵本制作と並行して絵本原画展,アクリル画の個展を各地で開催。光村図書小学校「国語」教科書6年には「海の命」(挿絵),中学校「国語」教科書2年には「旅する絵描き」が掲載されている。