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Story 2 「物語」を生み出す言葉

山極 寿一(人類学・霊長類学者)

2017年9月15日 更新

山極 寿一 人類学・霊長類学者

中学校『国語』教科書3年の論説「作られた『物語』を超えて」の筆者、山極寿一さんに、この文章に込めた思い、これからの教育に願うことなどについて、5回に分けてお話をうかがいました。

人間社会はなぜ「物語」を重視するのでしょうか。

それは、人間が身体よりも言葉を優先するからです。そもそも言葉が生まれたのは今からたった7万年前のことです。その頃、集団の規模が大きくなり、人間は多くの仲間と効率よくコミュニケーションを取る必要に迫られました。そこで発生したのが言葉です。

言葉とは、事象を分類して記号として示したり、異なる物事を比喩を用いて説明したり、過去の出来事を描写するのに優れた効力を発揮するツールです。「向こうの山には行くな、土砂崩れが起きていて危険だ」という情報を言葉なしに人々に伝えることは難しいものですが、言葉によって「方向」「山」「土砂崩れ」「禁止」「危険」といった概念が抽象化され、意味が共有されていれば、素早くその情報を伝達することができます。このように言葉があるからこそ人間は膨大な情報を交換することができています。自分では見ていないこと、経験していないことが理解できるのも言葉があるからです。

言葉は、ロジカルに現象の因果関係を説明することにもたけています。この因果関係が、「物語」に相当するものです。言葉は「物語」を生み、その「物語」は価値観の一元化と共有を促進します。ヨーロッパの探検家がゴリラに「物語」を与えた結果、「暴力的で恐ろしい悪魔」という価値観が共有されたのです。

画像、山極寿一

「物語」を作ることによって、社会は価値観を共有するのですね。

そうです。しかし、注意すべき点は、ヨーロッパ社会が必ずしも意図的にアフリカやゴリラの「物語」を作ったわけではないだろう、ということです。当時、彼らにとっては、それが当然の世界観だった。何の疑問もなく、その「物語」が作られていったのです。それほどに「物語」には強い力があり、いつしか常識となって人間社会に流通していきます。

言葉は「現象」の説明、つまり「物語」の創出――それがたとえ後づけの、時に真実からかけ離れた説明ではあっても――にはたけていても、「現状」の説明には向きません。

例えば私とあなたが今、同じ部屋で落ち着いてくつろいでいるとしましょう。私たちがその部屋にたどり着いた経緯を、因果関係を軸に説明することはできます。しかし、なぜ私たちが今、落ち着いていられるのか、という現状の説明を十分にすることはできません。「今、落ち着いている」という感覚をすべて論理的な言葉で表現しきることは不可能だからです。もちろん、何らかの形で理由を述べることはできるでしょうが、それは因果関係を軸にした後づけの説明となるでしょう。

画像、山極寿一

なぜ言葉が「現状」の説明に向かないかというと、言葉は根本的に身体性を欠いたツールだからです。「誰かと一緒にいて、なぜか落ち着く」という今この瞬間の身体的な感覚を言葉では十分に説明することができないのです。

Text: 濱野ちひろ Photo: 伊東俊介

画像、山極寿一

山極 寿一 [やまぎわ・じゅいち]

1952年、東京生まれ。人類学、霊長類学者。京都大学総長。京都大学理学部卒、同大学院理学研究科博士課程単位取得退学。理学博士。カリソケ研究センター客員研究員、(財)日本モンキーセンター・リサーチフェロー、京都大学霊長類研究所助手、同大学大学院理学研究科助教授、教授を経て、2014年より現職。30年以上にわたり、アフリカの各地でゴリラの野外研究に従事。ゴリラ研究の第一人者。著書に、『暴力はどこからきたか』(NHK出版)、『家族進化論』(東京大学出版会)、『ゴリラは語る』(講談社)、『「サル化」する人間社会』(集英社インターナショナル)など。

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