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第3回 国語科教師の権威性と生成AI

生成AIがひらく国語教室の未来

2024年11月12日 更新

渡邉 光輝 お茶の水女子大学附属中学校 教諭

開発が進む生成AIの技術。これからの国語の授業にどのような変化をもたらしうるのか、実践を交えながら考えます。

第3回 国語科教師の権威性と生成AI

生成AIを教師の代わりに登場させたら

第1回で紹介した実践からもわかるように、授業で生成AI(以下、AI)を使うにはいくつかのパターンがある。一つは、AIが教師の代わりに登場するパターン。もう一つは、AIがクラスメートの一員として参加するパターン。他にもあるが、今回は、この二つのうち、前者の「AIが教師の代わりに登場する」パターンについて考えてみる。

教師による学習者への関わり方には、大別すると、指示・発問・説明・評価がある。「教師の代わりに登場する」とは、この一部をAIが担うことを指す。具体的には、AIが、授業の進行について助言する、生徒の発言を受け止める、質問(発問)を投げかける、学習内容について説明する、生徒の発言への意見や評価をする、などが考えられる。

例えばこんな感じだ。
「ここから、どんな感じで学習を進めていったらいいだろう。AIにもきいてみようか」とか、
「みんなの感想をAIで分析してみたら、こんな感じになったよ」とか、
「みんなの感想をもとに、さらに読みを深める問いをAIに提案してもらおう」とか、
「〇〇について、わかりにくいから、AIにもっとわかりやすく説明してもらおう」とか、
「みんなの解釈の中でいちばん鋭い(ユニークだ、など)と感じるものをAIに選んでもらおう」など、
このような使い方でAIを登場させるのだ。

どれも、AIが登場する前は、教師が中心となって行ってきたことだ。それをAIに肩代わりしてもらうことには、どんな利点があるのだろうか。
「教師がラクをできる」「手抜きができる」まあ確かにそういえなくもないけど、実際にやってみるとよい。AIが入ったからといって楽になるわけではない。むしろ、ややこしくなるリスクもある。
それでも、多少面倒くさくなったとしても、私が授業にAIを参加させたくなる最大のメリットは、「教師の権威性が薄まる」ことにある。

国語科教師の権威性

私は常日頃、国語科教師には独特の権威性があるように感じていた。それがすごく嫌だった。

例えば、文学作品を読む授業で、ある解釈について説明するときに、「これは大人にならないとわからないことかもね」とか「味わうにはセンスが必要」とか、「これが日本人の価値観です」や「普通はこう感じるものです」などと言ったこと、尋ねたことがないだろうか。
こんなに押しつけがましいストレートな言い方ではなくても、例えば、「〇〇って……だよね!」(例:桜が散る様子って、切なくてすてきだよね!)と、情感たっぷりに語尾に力強く「ね!」を付けて同意や共感を迫る言い方……どうだろう、身に覚えはないだろうか。これを読んでいる皆さん、やっぱり、そうしていますよね! あ、同意を求めてしまった。

この「……だよね!」は、自分が子ども時代に教師から聞いた、嫌な言葉のランキングで上位に入るくらい嫌なものだった。それが、自分が国語の教師になってから、あらためて気づかされたのだ。このなんともいえない「……だよね!」のような押しつけがましさは、国語科教師独特のものなのではないか、ということに。例えば、算数の授業では、「1足す1が2なのは、大人にならないとわからないよね。2となるのが普通だよね」なんて、まず言わない。

こういう押しつけがましさを「権威性」とよんでしまって差し支えなければ、この権威性を排除するために、AIが有効だと私は考えている。

例えば、国語の授業の一場面で、「みんなの感想をもとに、さらに読みを深める問いを出してみました」と教師が示すのと、「AIが出してみました」とするのとでは、生徒にとっての印象はどう変わるだろうか。生徒に例示する「深める問い」は結果的に同じであったとしても、教師が出すと押しつけがましさや権威性が感じられ、生徒はそれに反論しにくくなる。つまり、教師からの問いかけが誘導的に聞こえてしまう。
いっぽうで、AIの発言にはなぜ押しつけがましさを感じないか、それは、現時点ではAIの示す回答が明らかな間違いを含んでいたり、少し的外れだったりすることがあるからだ。生徒もそのことはよく承知しているので、AIの回答を、半分は「もっともだ」と思いつつも、半分は眉に唾をつけて聞いている。時には、AIの回答にツッコミを入れることもある。

「教師の権威性」のイメージ画像

また、例えば「〇〇さんの意見がすごくよかった」と教師が言うのと、AIが言うのでは、印象はどう変わるだろう。教師が言うと、「ひいきかよ……」「どうせできる子を選んでるんでしょ」「こっちの方向に授業をもっていきたいんでしょ」と、うがった見方をしてしまう生徒が出てくるかもしれない。
しかし、AIに提案してもらうことで、その「教師の誘導」が薄まり、教師にとっての「想定外」が生まれやすくなる。生徒にとっては、反論したり意見を交わしたりする余地が生まれる。AIが感情や先入観をもたずに情報を提供することで、生徒は考えを自由に表現しやすくなるのだ。

このように、「AIが教師の代わりに登場する」ことによって、偶発性が生まれ、教師の権威性が薄まり、生徒が自分で考えたり、意見を表明したりしやすくなる環境を作り出すことができる。これが、AIを活用する利点の一つだと考えている。


以下、3回にわたって国語の授業における生成AI活用について考えたことをまとめてみた。
私が生成AIに初めて触れたのは今から2年前、2022年のこと。それ以来、ほぼ毎日のように使い続けている。この連載では、その中で感じたこと、考えたこと、さらにはSNSや研究会などで他の先生たちと議論した内容をもとに、現時点での考えを整理している。

この原稿執筆の話をいただいてから約半年がたった。その間に、私の考えも変わり続け、AIの技術も驚くべき速さで進化している。特に、私より若い先生たちは、このような急激な変化と長く付き合っていくことになる。その大変さは私の想像を超えるほどだろう。
これからは、既存の授業にAIをどう活用していくかという課題だけでなく、AIによって授業がどう変わるのかという問い、さらには教師の存在意義や教室という場の価値も問われてくることだろう。私の意見を一つのたたき台として、多くの先生とともに、AIの教育活用について語り合いたいと思っている。

ぜひこれを読んでくださった皆さんからの感想をお待ちしています。

※生成AI(以下、AI)の使用上の注意点として、AIは不確かな情報やいい加減な情報を流すことがあるという点を、生徒にも理解させておく必要がある。そうしないと、AIが教師以上に権威性をもってしまう危険性がある。例えば、AIがしばしばハルシネーション(誤認や論理の矛盾のある事象、事実と異なる情報を作り出してしまうこと)を起こすことを、事前に生徒にデモンストレーションして見せるなどするとよい。
どんなときも、教師も生徒も、AIの指示にそのまま従うのではなく、これを意見の一つとして批判的に検討していくことが不可欠だ。人間との相互作用を含む、つまり「Human in the Loop」で、AIの利用に人(教師・生徒)を介在させることがAI活用のキモだ。

Illustration: ネコポンギポンギ 

渡邉 光輝(わたなべ・こうき)

お茶の水女子大学附属中学校 教諭

千葉県生まれ。千葉大学大学院修了。千葉県の公立中学校教諭、千葉大学教育学部附属中学校教諭を経て、現職。表現教育、情報活用能力育成、メディアリテラシー教育、ICT活用を中心に研究・実践に取り組む。共著書に『中学生を作文好きにする!新レシピ60&ワークシート』(明治図書出版)など。

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