
生成AIがひらく国語教室の未来
2024年10月7日 更新
渡邉 光輝 お茶の水女子大学附属中学校 教諭
開発が進む生成AIの技術。これからの国語の授業にどのような変化をもたらしうるのか、実践を交えながら考えます。
第1回 国語科AI活用の鍵、それは「自分軸」
2023年からの1年半の間、生成AI(以下、AI)をさまざまな方法で国語科の授業に取り入れてきた。その中で、だんだんと私の中で浮かび上がり、そして確信に変わったことがある。それは、国語科AI活用のキモは「自分軸」にあるということだ。
生徒がAIを利用する際にもっとも大切なのは、自分自身が何をどう感じ、考え、何をしたいのかという明確な意識や意図をもつこと。これを「自分軸」とよぶとすれば、その「自分軸」をもってAIと向き合うことで初めて、生徒はそこから何かを学び取ることができるようになる。いっぽう、「自分軸」がない課題でAIを使うと、生徒には何の思い入れもないので、AIの回答をただ受け入れるだけになり、簡単にコピペしたくなってしまう。
だから、AIを絡めた授業をデザインする際、私は、この「自分軸」を生徒にどうやってもたせ、AIと向き合わせることができるのかをまず考えたい。例えば、「AIはこう言っているけれど、自分はこう感じる、考える」といった「自分軸」が生きる課題を、授業で設定するということだ。
今回は、2023〜2024年に私が取り組んできた国語科でのAI実践について、「自分軸」というキーワードから振り返ってみる。
中学2年生の最初に取り組んだのは、松任谷由実さんによる歌詞「春よ、来い」を解釈するという学習だった。私の教室では、春になると「春よ、来い」を生徒とともに読むことが多い。この時期にぴったりな春のイメージが歌と歌詞にあふれていること、ちょっと古風な語彙が使われていること、そして謎めいた内容であることがこの作品の魅力だ。いつもの授業では、この歌詞に登場する「君」がどんな人物か話し合い、文脈から突き止めていく活動を行っている。今回はその学習活動の中でAIによる解釈も紹介することにした。AIが詩をどう解釈するか、その方法から私たちも学べるものがあるのではないかと考えたわけだ。
まず生徒が自分なりの解釈を行った後に、教師がAIに同じ問いを投げかけた。そして、生徒は、AIと自分の解釈を比較し、どこが同じで、どこが異なり、どの部分が参考になり、どこに少し違和感があるかなどを考えた(2023年4月当時は、まだAIの性能がそれほど高くなく、時にはトンチンカンな解釈を生成することもあった)。
ここで興味深かったのは、AIと人間の、詩の解釈のしかたの違いだ。
人間は、これまでの経験や感性に基づいて詩を理解しようとする。いっぽう、AIには「人生経験」や「感性」などがいっさいないにもかかわらず、解釈らしきものを生成することができる。それはなぜなのか。
AIと人間の解釈のしかたには根本的な違いがある。人間は、これまでの経験や感性、時には感情を頼りに歌詞を理解しようとするが、AIは膨大なデータベースを基に、パターンや文脈の関連性を分析して解釈を導き出す。だからこそ、センスや経験がないAIでも、ある程度、妥当な解釈を導くことができる。
このことは、「自分には詩を理解するセンスがない」と感じている生徒にとっては、希望のメッセージとなるかもしれないと感じた。「センスがなくたって、AIが機械的・客観的にここまで読み取れるのなら、自分にだって詩を理解できるようになるかもしれない」と。
この学習で「自分軸」の観点から考えて重要なのは、まず自分で解釈してみるということだろう。最初からAIに頼ってしまうと、それがあたかも正解のように見えてしまう。まずは自分自身でしっかりと考え、そのうえでAIの解釈と向き合うことで、その違いから何かを学び取ることができる。
『枕草子』の学習の中で、清少納言が書いた「うつくしきもの」を読んだ後、生徒は、自分自身でも同じテーマで随筆を書いた。ここまでは、よくある普通の授業実践だ。
しかし、今回はその後にAIを登場させた。AIにも同じ課題を与え、「うつくしきもの(かわいらしいもの)」の随筆を書かせたのだ。そして、生徒は、自分たちが書いた「かわいらしいもの」と、AIが書いた「かわいらしいもの」の随筆を比較し、その違いについて話し合った。なぜ、そしてどうやって、AIは「かわいらしいもの」の随筆を書くことができるのか――。この学習でAIを登場させたのは、随筆というジャンルにおいて大切なのは何なのか(もっと大きなくくりでいえば、表現において大切なのは何なのか)を感じ取らせようとしたからである。
AIが書いた随筆を読み、それを自分たちの表現と比較して考えた生徒の発想は興味深かった。「人間は、思い入れがあって『かわいらしい』と感じるけど、AIは『人間って、こういうのが好きなんでしょ?』と、共感を求めるような感じ」という意見や、「AIには愛(A・I)がない」といった気の利いたコメントもあった。
この学習から、生徒は、AIが平均的で平凡なものを生み出すいっぽうで、人間はそれぞれの感情や経験、視点や価値観から「かわいらしい」ものを見いだすということに気づいた。そして、自分が随筆を書くときには、AIにはできない、自分にしか書けない、個性的で個人的な視点や感情を大切にしたいという思いが強くなっていったようだった。
「自分軸」の観点からこの実践を振り返ると、何よりも、「『自分にとってかわいらしいと感じるもの』を書く」という題材設定が決定的に重要だと感じた。これが中学生にとって個人的な経験や思い入れがないテーマだったとしたら、AIにさっと書かせてそれをコピペするということも可能だったろう。しかし、自分が感じていることを書きたい、伝えたいと思えるような課題だった場合、それをAIに代行させるのはかえって難しいのだ。
画像生成AIにも挑戦した。詩を味わう学習では、詩から読み取った情景をイラストなどに描いて表す活動がよく行われている。今回はそれを、AIを使って画像化させた。絵が得意かどうかに関係なく、頭の中のイメージを視覚的に表現する活動につなげることができると考えたからである。
AIに漢詩のイメージを画像化させる際は、漢詩の情景をどのように切り取り、それをAIにどう描かせるかを工夫する必要がある。漠然とした指示では思いどおりの結果は得られない。「川があります」といっても、それが小川なのか雄大な大河なのか、さらに船や人物の位置や姿勢、表情など、細部を一つ一つ的確に言語化しなければ、AIは思い描いたとおりの絵を描いてくれない。それぞれの生徒がAIとやり取りしている姿を見て、もうすでに「詩の情景を言語化する」というよい学習ができていると感じた。授業が終わるチャイムにも気づかないほど、生徒は夢中になって、何度も画像生成を繰り返していた。この学習活動は、まるでゲームのように、中学生を強く引きつけるものだったようだ。
しかし、ここからがこの学習の本番だ。
その後、自分にとってベストだと思える画像を選び、「自分のイメージどおりに画像化がうまくいったところと、自分のイメージとは違っていた、AIがうまく画像化できなかったところについて説明する」という課題に取り組んだ。生徒は、「本当はこう表現したかったけど、ここがうまく生成されなかった」とか「自分のイメージでは、この部分はこうなっているはずだったが、実際にはこうなった」といった振り返りを述べていた。
この学習で大切なのは、画像化がゴールではないということだ。画像化は、その後に生まれるこの振り返りの言葉を引き出すための手段なのだ。言葉から離れたら、必ず言葉に戻ることが必要だ。AIを使って漢詩の情景を画像化する活動を通じて、生徒は「AIには、ここがうまく表現できなかったな」と感じながら、自分の頭の中にあるイメージを具体化し、それを客観的に捉えていくことになる。つまり、漢詩から受け取った自己の読みを再認識する機会を得ることができる。AIが生成した画像と向き合うことで、自分が本当は何を感じ、どう表現したかったのかを検証することが求められるということだ。
これは、AIが生成した画像という「鏡」を通して、自分の読み、つまり「自分軸」がどこにあるのかをくっきりとさせる作業であるともいえる。AIが絵を生成するのは、そのきっかけを与えるおまけにすぎない。
ディベートの学習で、事前に考えをまとめて準備する活動の中でAIを活用した。これまでのディベートの授業では学校図書館やインターネットを使って調べることが多かったが、そのリサーチのツールとしてAIも加えることにした。AIを使うことで、情報収集を効率化させるとともに、いわゆる「壁打ち」として、自分たちの意見に対して直接アドバイスをもらうこともできると思ったからだ。
その中で興味深い姿が見られた。生徒は、AIが生成した内容を必ずしもそのまま使ってはいなかったのだ。AIの生成した主張がどんなに論理的であっても、それだけではジャッジ役の聞き手(中学生)を説得できるとは限らない。各グループは、聞き手の心を動かすことができるよう、より共感を呼ぶことができる表現にするために工夫をしていた。
例えば、あるグループでは、AIが提示した「資金が不足する」というデータをそのまま使うのではなく、「冷暖房施設にお金がかけられなくなると困る」というような具体的な例に置き換えて説得しようと試みていた。さらには、本校の生徒にとって身近で誰もが知っている「スマートミールのように栄養バランスのよい……」という言い回しを使って説明することで、聞き手にとって理解しやすく、納得しやすい言葉に言い換えていた。
このような工夫が引き出された要因として、書き言葉ではなく、話し言葉の学習の中でAIを使ったのがよかったのではないかと推察している。ディベートという「人対人」の話し言葉のやり取りでは、AIが生成するような「借り物」の言葉では十分に気持ちが伝わりにくい。「自分の言葉」で、実感や思いを込めて伝えることによって初めて、聞き手の心を動かすことができる。借り物ではない、自分の言葉、自分の思いは何なのだろうという「自分軸」が発揮されることによって、AIの効果的な活用が引き出されたのだろう。
小説創作の学習においてもAIを活用した。小説のテーマは、「自分が住んでいる地域で大地震が起きたと想定し、自分が主人公となって必ず生き残る物語を創作する」というものだ。この単元は、修学旅行で訪れた岩手県の被災地や、東京にある防災体験学習施設「そなエリア」で学んだ総合的な防災学習と関連して実施した。
この学習で、国語科の「書くこと」のねらいは、さまざまな手段で集めた情報の客観性や信頼性を確かめながら、伝えたいことを明確にしてリアリティーを追求した物語を創ることにある。そのため、被災状況を的確にシミュレーションするためのツールとして、教師が自作したGPTs「いのちまもる君」を提供した。
GPTs「いのちまもる君」は、この小説創作の学習に特化したデータで訓練されており、防災小説を書く際に不正確な情報が提供されないよう設計されている。AIには、東京都防災会議の被害想定や防災計画、防災関係のハンドブック、さらに過去の大震災の体験談と被害報告、他校の生徒が書いた防災小説のサンプルも読み込ませている。このデータを基に答えるので、いわゆるハルシネーション(幻覚)のような不正確な回答は起きない。
生徒はこのGPTs「いのちまもる君」を活用し、自分が作成した小説のプロットの評価を行った。AIは、生徒のプロットの中で不正確な被害想定を指摘し、訂正していた。このAIの支援により、現実的で具体的な被災状況を再現し、物語にリアリティーをもたせることができた。地震発生時の具体的な被害状況や心理状態などについて、GPTsからの提案を参考にしながら、生徒は各自の小説を書いていった。
この取り組みにおける「自分軸」とは、「大地震が起きたときに、自分ならどう行動するか」という問いにある。自分がこう行動したいという意志があるからこそ、AIの助言を求めたいという気持ちが生まれる。そしてその助言を生かして、さらに望ましい行動について考えを深めようとするのだ。
これらの実践を通じて、AIを国語科の授業に取り入れる際にもっとも重要なのは、やはり「自分軸」をもつことだと確信した。生徒が自分自身の考えや感情をしっかりともつことで、AIのサポートを受けつつも、それをうのみにせず、主体的かつ批判的に捉えて考える学びが生まれる。いっぽうで、「自分軸」を欠いた状態でAIを使うと、それはただの受動的な作業に終わり、コピペを誘発したり、学びの質が高まらなくなったりする危険性がある。
生徒がAIとともに学ぶ学習をデザインするうえで、教師の役割は、生徒に「自分軸」をもたせ、その軸に基づいてAIを活用する道筋を示すことにある。これが、2024年9月時点での、私が考える国語教育における生成AI活用の鍵である。
Illustration: ネコポンギポンギ
渡邉 光輝(わたなべ・こうき)
お茶の水女子大学附属中学校 教諭
千葉県生まれ。千葉大学大学院修了。千葉県の公立中学校教諭、千葉大学教育学部附属中学校教諭を経て、現職。表現教育、情報活用能力育成、メディアリテラシー教育、ICT活用を中心に研究・実践に取り組む。共著書に『中学生を作文好きにする!新レシピ60&ワークシート』(明治図書出版)など。
- このシリーズの目次へ
-
前の記事
- 次の記事