
道徳授業で哲学鍋を
2025年6月9日 更新
苫野 一徳 熊本大学大学院准教授
教育情報誌「道徳科通信」の連載のウェブ版です。「哲学鍋」とは、みんなの考えをもち寄りぐつぐつ煮込みながら、みんながおいしいと思える味(より本質的な考え)に仕上げていく営みをイメージしたものです。
子どもたちと定期的に続けている「子ども本質観取の会」。今回のテーマは、「感動」って、何だろう? 初めはとても順調に進んでいた今回の本質観取だったのですが……。
「感動」の本質がわかれば、どんないいことがあるだろう?
苫野:
まずは「感動」の本質がわかれば、僕たちにとってどんないいことがありそうか、いつものように考えてみようか。
ちはや(小5):
なんで自分が感動するのか、その理由が今回の本質観取でわかるといいなと思います。
こうき(小4):
感動の本質がわかると、年を取っても、感動の記憶をもっていられるんじゃないかなと思います。
りゅう(小4):
友達と、感動をもっと共有できるようになればいいなと思います。
苫野:
ありがとう。全部とてもすてきな問題意識だね。
「感動」の事例を挙げていこう
苫野:
じゃあ、自分はこんな時に感動したなという経験を、できるだけたくさん挙げていこうか。そうすれば、それら全てに共通するキーワードが見えてくるはず。
ちはや:
小説とかアニメのラストには、よく感動します。別れとか悲しいシーンでも。
こうき:
朝起きて雪が積もってると感動します。
りゅう:
歌舞伎でかっこいいシーンを見ると、心が動かされます。
ちはや:
僕は魚が好きなんですけど、水族館でイワシの大群が音楽に合わせて泳いでいるのを見た時は感動しました。
こうき:
それで思い出したんですけど、魚釣りに行って、大きな魚が釣れた時は感動しました。
ちはや:
僕は電車も好きなんですが、レアな電車を見に行った時は感動しました。
りゅう:
きれいな花火とかにも感動するよね。
ちはや:
サッカーのワールドカップで、強い国に日本代表が勝った時は感動しました。
りゅう:
そういえば、負けた時も感動することってありますよね。あれは何なんだろう。
苫野:
確かに。感動にもいろんな種類があるね。
こうき:
それでいうと、僕はハエ取り草を育ててるんですけど、それがハエを食べた時は感動しました。
全員:
うわー。
こうき:
もっときれいな例だと、学校帰りに虹を見た時も。
全員:
うんうん。
キーワードを見つけていこう
苫野:
ひと言で「感動」と言っても、いろんな種類の感動があることが見えてきたけど……何か共通するキーワードはありそうかな? 僕たちは、どんな本質をもってそれを感動ってよんでいるんだろう?
りゅう:
最初にもっていた「感情」が、大きく変わって膨らんだって感じがします。
ちはや:
見たり聞いたりという「体験」もキーワードかな。
こうき:
「期待や予想を上回っていた体験」って感じ?
苫野:
おおー、いいキーワードがどんどん出るね。なんだか今日はすごく順調だぞ。
ちはや:
でもそう簡単にはいかないのが本質観取なんですよねー(笑)。
りゅう:
そうそう、新たな疑問が生まれてきたりね。
ちはや:
「うれしい」はキーワードじゃないかな。小説とかアニメの寂しいシーンで感動するのを、どう考えたらいいかはちょっと難しいけど。
りゅう:
「驚き」があるんじゃないかな。予想を超えた驚きがあれば、うれしくても寂しくても感動するんじゃないですか?
全員:
なるほど、言えてる!
苫野:
「感動とは、予想を超えた驚きである」。すごい。もう言語化されちゃったね。どうだろう、これでいけそうかな?
ここからが本番! 試練のまとめへ
りゅう:
でも、さっき ちはや君が言った、レアな電車を見に行った時って、もともと予想してたんじゃないですか? 何時にどこにどんな電車が来るか、わかってたんじゃ?
ちはや:
確かに。
苫野:
その予想さえも超えた驚きの体験をしてしまった、ということじゃないかな。
りゅう:
なるほど。それはそうかも。でも、自分で言っておいて何なんですが、感動に「驚き」って必ずあるのかなあ。きれいな花を見て感動する時、驚きはあるのかなあ。
ちはや:
そうかあ、じゃあ「驚き」は本質じゃないかも。やっぱり感情全般なんじゃ?
苫野:
それに、考えてみたら、「予想を超えた驚き」って、必ず感動するわけでもないね。突然地震が来た時って、予想を超えた驚きではあるけど、感動はしないよね。
りゅう:
感動って、驚きだけじゃなく、うれしいのも楽しいのもあるから、「予想を超えた感情」にしたらどうですか。「感情」ならみんな入るし。
全員:
確かに。
こうき:
そうしたら、「予想を超えた」も、全部に当てはまるのかな。
ちはや:
予想してないこともある。突然襲われる感じもありますよね。
全員:
そうだね~。
こうき:
予想を超えるより、それを求めていた、っていう感じじゃないかな。
りゅう:
予想を超えて求めていた体験ってこと?
全員:
おーなるほど。
こうき:
「予想を超えて求めていた体験によって生まれた感情」ってどうですか?
ちはや:
あー「生まれた」っていいね! でもなんだかまだ十分には納得しきれないなぁ。
苫野:
うーん、ごめん。ここで時間が来てしまった。今回は、最後の最後まで言葉にし切ることができなかったかもしれないけど……でもどうかな、それなりに的の中心に矢を当てられた感じはするかな?
全員:
はい。
今日のまとめ
感動とは、予想を超えて求めていた体験によって生まれた感情である。
苫野:
うーん、やっぱり、それがどんな感情なのかというのを、もっと突き詰めたかった気はするね。
ちはや:
どんな感情でも、感動ってあるんじゃないかなとは思います。うれしい感動もあれば、悲しい感動もあるから。
苫野:
確かに。悲しい小説の結末でも、そんな結末に出会う体験を、僕たちはどこかで求めていた。だからその物語に悲しい感動を味わうのかもしれないね。
タイトルイラスト: 霜田あゆ美
苫野 一徳(とまの・いっとく)
熊本大学大学院准教授
1980年兵庫県生まれ。熊本大学大学院教育学研究科准教授。専門は哲学、教育学。著書に『親子で哲学対話―10分からはじめる「本質を考える」レッスン』(大和書房)、『愛』(講談社)、『学問としての教育学』(日本評論社)など多数。光村図書 小・中学校「道徳」教科書編集委員。
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