みつむら web magazine

[番外編]「友達」って、何だろう?

道徳授業で哲学鍋を

2024年5月30日 更新

苫野 一徳 熊本大学大学院准教授

教育情報誌「道徳科通信」の連載のウェブ版です。「哲学鍋」とは、みんなの考えをもち寄りぐつぐつ煮込みながら、みんながおいしいと思える味(より本質的な考え)に仕上げていく営みをイメージしたものです。

子どもたちと定期的に続けている「本質観取」。今回のテーマは「友達」とは何か?
私たちは、いったい何をもってその人を「友達」と思うんだろう? そんな「本質」を探り出す哲学対話の始まりです。

「友達」の事例を挙げていこう!

苫野:

じゃあまず、この人は「友達」と言える、っていう人の事例を挙げていこうか。

りさ(中3):

私、半年前に転校したんですけど、転校前の友達とは今も連絡を取り合っていて、その子は友達と言えると思います。それから、まったく別のもう一人は、今までほとんど会ったことがなくて、オンラインで時々話をしてるだけなんですけど、友達ですね。

苫野:

それはおもしろいね。ほとんど会ったことがないのに友達と思える理由は何なんだろう?

りさ:

やっぱり話が合うんですよね。

ちはや(小4):

同じクラスに不登校の子がいるんですけど、同じマンションに住んでるんです。これまではあまりしゃべらなかったんですけど、最近、週末に遊ぶようになったりして、なんか友達になった感じがしてます。

にき(中2):

イライラしてる時って、友達以外といると余計イライラするんですけど、友達といると気が楽だったりしますよね。あと、思うんですけど、友達ってひと言で言っても、一緒に遊びたいタイプとか、相談したいタイプとか、いろんなタイプの友達がいる気がします。

苫野:

なるほどなるほど。それは確かに言えてるね。

キーワードを見つけていこう!

苫野:

じゃあ次に、どんな友達にも共通しているキーワードを見つけていこうか。この人は友達、でもこの人は友達とは言えない、っていう境目なんかも考えてみるといいかもしれないね。

りさ:

私、週に2回、柔道をやってるんですけど、同じ道場の子は、友達というよりは知り合いっていうか、道場仲間って感じですね。

苫野:

なるほど。その差って何なんだろう?

りさ:

なんか壁があるんですよね。柔道の話以外はあんまりできないし……。

苫野:

さっき「話が合う」って言葉を出してくれたけど、その意味で、友達とはいろんな方面で「話が合う」のかもしれないね。

にき:

相手のことをある程度知っていて、こっちのことも知ってもらってる、というのはポイントかなと思います。

りさ:

確かに。私、転校してすぐの時に、ある子から「うちら、友達だよね?」って言われて、「あれ、(まだよく知らないのに)友達なのかな?」って思ったことがありました。

全員:

あ〜わかる(笑)。

ちはや:

「頼れる」っていうのもキーワードかなと思います。あと「絆」とか。けんかして仲直りした相手と友達になるってあるじゃないですか。それって絆が深まったってことじゃないかな。

苫野:

な〜るほど。

ちはや:

あ、でもそれだと、いとことか、どうなのかな。絆はあるっていうか血はつながってるけど、友達とは言わないんじゃないかな。

苫野:

そっか。でも「友達のような親子」みたいな言い方はできる気もするけど、どうだろう?

にき:

やっぱり話が合えば、親子とか親戚でも友達みたいだって言えるんじゃないかな。

苫野:

その場合の「話が合う」って、どういうことなんだろう?

りさ:

「価値観が合う」ってことじゃないですか?

苫野:

なるほど、確かに。

りさ:

あ、でも、価値観が合うから友達になるっていうより、友達になったから価値観が似てくるっていうこともあるかも。

苫野:

く〜なるほど。

にき:

だからやっぱり先に「知る」「知り合う」があるんじゃないですか?

りさ:

私、前の学校ではとことん友達ができなかったんです。こっちが知り合いたいって思っても、相手がそう思ってくれなかったら友達にはなれないですよね。

苫野:

そっか。「お互い」っていうのもキーワードなのかもね。

にき:

あとは「信頼」とか?

ちはや:

信頼、いいね。

りさ:

う〜ん、なんか私、皆さんが言うような、すてきな友達がいたことないんじゃないかって気がしてきました。友達と会えなくて寂しいって思ったこともないし……。

苫野:

そっか、うん。実はね、僕もそうだったんだよ。高校3年生までずっと。りささんも、その出会いはこれからやって来るのかもしれないね。

りさ:

ですかね。あの、「信頼」はいい言葉だと思うんですけど、でも、そもそも信頼って何なんですかね?

にき:

自分のことをわかってくれるっていう安心感じゃないですか?

りさ:

もっと最低限の、自分を裏切らないと信じられるってこともあるかな。

苫野:

確かに。「もうお前なんか友達じゃない」って言う時って、裏切られた時だよね。そこが友達とそうじゃない人とのギリギリのラインなのかな。「お互いをよく知っていて、信頼できる人」。それが友達の最低ライン?

りさ:

でも、ビジネスパートナーも、「お互いをよく知っていて、信頼できる人」って言えませんか? 家族も。

ちはや:

確かに。だからやっぱり「楽しい」っていうのがポイントなんじゃないかな。

りさ:

「お互いが楽しい」かな。

苫野:

うん、やっぱりそこは中心かもね。そして「お互い」っていうのがやっぱり大事なのかもね。一方的な友情っていうのはあるかもしれないけど、それだけだと友達関係とは言えない。

りさ:

恋愛と一緒ですね。恋愛感情は一方的にもてるけど、お互いが恋愛感情をもってないと恋人にはなれない。

苫野:

確かに。いいね。

本質を言葉にしてみよう!

苫野:

じゃあ、ここまでをまとめてみようか。

今日のまとめ

「友達とは、お互いを ①よく知っていて、②信頼できて、③一緒にいて楽しい 人のことである。」

苫野:

この3つのどれが欠けても友達とは言えない。どうだろう?

全員:

納得しました。そしてこの3つの可能性が見えた時に、「この人とは友達になれそう」って思うんだと思います。

タイトルイラスト: 霜田あゆ美

苫野 一徳(とまの・いっとく)

熊本大学大学院准教授

1980年兵庫県生まれ。熊本大学大学院教育学研究科准教授。専門は哲学、教育学。著書に『親子で哲学対話―10分からはじめる「本質を考える」レッスン』(大和書房)、『愛』(講談社)、『学問としての教育学』(日本評論社)など多数。光村図書 小・中学校「道徳」教科書編集委員。

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