道徳授業で哲学鍋を
2026年2月13日 更新
苫野 一徳 熊本大学大学院准教授
「哲学鍋」とは、みんなの考えをもち寄りぐつぐつ煮込みながら、みんながおいしいと思える味(より本質的な考え)に仕上げていく営みをイメージしたものです。
今回はいつもと趣向を変え、大人の本質観取の会です。「子ども本質観取の会」の卒業生、ようた君、にき君と、「一般社団法人ホンシツカンシュ」の理事の二人(はたさん、つばささん)、そして、光村図書の編集者さん(あいださん)で行った本質観取の模様をお届けします。
「一般社団法人ホンシツカンシュ」は、本質観取の楽しさを、日本、さらには世界に広げるために、2025年10月1日(問いの日)に立ち上げた団体です。図書館や古民家、田んぼ、バーなど、さまざまなところで本質観取の対話の会を企画しています。企業や学校などで、本質観取にチャレンジしてみたいという方たちのために、ファシリテーターの派遣などもしています。ご興味のある方がいらっしゃれば、ぜひホームページをチェックしてみてください。
今回のテーマは、「友達」って、何だろう?
実は、「友達」は、2024年の5月にも番外編として、子ども本質観取の会で取り組んだテーマです。
2年を経て、年代も、立場も異なるメンバーで見いだした「友達」の本質とは?
前回の番外編と合わせて読んでいただければ、「友達」の本質がいっそう深く見えてくるかもしれません。
「友達」の本質がわかると、どんないいことがあるだろう?
苫野:
では、まずは「友達」の本質がわかればどんないいことがありそうか、考えてみたいと思います。皆さんは今日、どんな問題意識をもって参加してくれていますか?
ようた(高3):
僕は、誰とでもすぐに友達になれる特技があるんです。でも、そういえば、どこからどこまでが友達なんだろうって考えることがあって。それがわかれば、自分の交友関係の内実が見えてくるかなと思います。
つばさ(20代):
大学を卒業してから、友達ってそう簡単にできないなと思っていて。どうしたら友達ができるか、考えたいと思っています。あと、ようた君の話を聞いていて思い出したんですが、中高生のときって、友達の数がステイタスだったりして、自分もすごく気にしていたんですけど、最近はあまり気にしなくなったんです。一人いればいい、みたいな。その心境の変化はなんでかな、というのも気になりました。
にき(高1):
部活が同じ人は、友達というより「仲間」って感じがするんです。「友達」と「仲間」の違いが気になります。
はた(50代):
私も、いつの頃からか「友達って別にいらなくない?」と思うようになっちゃったんですよね。にき君が言った「仲間」はたくさんいると思っているんですけど。友達って本当に必要なのかな、ということを、今日は考えたいと思っています。
あいだ(40代):
私も、大人になってから、友達って何なのか本当にわからなくなっちゃったんですよね。特に大人になると、ただいっしょにわちゃわちゃ過ごすってことが少なくなりますよね。仕事も含めて、目的をもって集まることが多くなるので。だから友達ができにくいのかなと。そう考えると、特に意味や目的もなく集まれる人が友達なのかなとも思います。
苫野:
いや~、大人はみんな同じ悩みというか問題意識をもっていておもしろいですね。そして早速、あいださんがキーワードを出してくださいました。「意味や目的なく集まれる」。うん、すでにいい言葉が見つかった気がします。
ちなみに僕は、はたさんと違って、最近、もっと友達が欲しいなって思ってるんです。仲間じゃなくて、友達。それってなんでなのかな、そもそも友達って何なのかな、どうしたら友達ができるかなということを、改めて考えたいなと思っています。
どんな人を友達と思ってる?
苫野:
じゃあここからは、具体的な体験例をどんどん挙げていきましょう。皆さんは、どういう人を友達だなぁって思っていますか?
ようた:
学校にY君という友達がいるんですけど、彼とは毎日、話したくて話すというより、何も考えずに自然と話をしているという感じなんです。あと、価値観が似ていて、空気を読む必要がないですね。
にき:
ひと言で友達と言っても、いろんなタイプがいるなと思います。休日にいっしょに遊ぶ友達とか、そこまではしないけど休み時間に話をする友達とか。でもどの友達でも、いっしょにいると楽しいというのは共通しているかなと思います。
苫野:
いいですね。「楽しい」も、大事なキーワードな気がするね。
つばさ:
僕は、妻の妹、つまり義理の妹が友達っぽいなって思っていて。気軽に遊びに誘えるんですよね。バーベキューに行こうとか。たぶんあっちも気軽に思っていると思います。この気軽さが、友達らしさかなという気がします。
はた:
友達と思えるのは、高校時代の友達3人くらいですかねぇ。無駄な時間を共有できるのが、友達という感じがします。苫野さんやつばさ君は、友達というより哲学仲間かなぁ。さっきあいださんが言われていましたが、目的を共有していると、「友達」というより「仲間」って感じがします。
苫野:
いいですね。体験例を出し合うフェーズで、すでにキーワードがたくさん挙がりましたね。「気軽さ」「無駄な時間」「目的を共有していない」……いい言葉がたくさん見えてきました。
あいだ:
友達か友達じゃないか、ギリギリのラインの人なんですけど、音楽の趣味仲間がいるんですね。その人が、いろいろとプライベートなことを相談してきてくれたことがあって。それ以来、ただの趣味仲間というよりは、友達に近づいたのかなという気がしています。すごく年上の、親くらいの年齢の方なんですけど。
苫野:
なるほど、おもしろいですね。そのギリギリのラインというのはとてもいい例だと思います。どこからは友達と言えて、どこからは友達とは言えないのか、という“キワ”を考えると、友達の本質が浮かび上がってきますね。
はた:
皆さんに質問なんですけど、今みたいに異年齢の友達がいるって人はいますか?
ようた:
1歳上ではあるんですけど、短期留学先で知り合った先輩は、今では友達とよべるなぁと思っています。お互い信念が似ていて、すぐにタメ語で話すようになって、冗談も言い合えるようになりました。そこまで来ると、さすがにもう友達と言いたいなと思いますね。
あいだ:
タメ語かタメ語じゃないかで言うと、さっきの年上の方とは、そういえばタメ語じゃないですね。そう考えると、もしタメ語になっていたら、確実に友達と言える気もします。
はた:
「対等性」がキーワードかもしれませんね。
苫野:
対等性。確かに。対等な関係じゃない友達はありえないですね。
はた:
ここに「家族」との違いもあるんじゃないでしょうか。親子関係と友達関係の違いは、この「対等性」にあるんじゃないかと思います。親子だとどうしても扶養関係があるから、対等とはなかなか言えませんよね。
つばさ:
夫婦だと対等の場合が多いと思いますけど、その場合は、友達のような夫婦、と言えるかもしれませんね。
全員:
なるほど、確かに!
キーワードを見つけていこう
苫野:
ここからは、出された事例に共通するキーワードを見つけていきましょう。すでに「気軽さ」「無駄な時間」「目的を共有していない」「対等性」といった言葉が出てきたけど……他にもありそうですか?
ようた:
いっしょにいて「快適」じゃない人は、友達とは言えないですよね。
あいだ:
私は「不快じゃない」くらいで十分かも(笑)。
ようた:
なるほど。じゃあ「許容できる」はどうですか?
苫野:
いっしょにいることを許容できる関係の人! ははは、めっちゃハードルが下がったね!
全員:
爆笑
苫野:
でも確かに、最低ラインはそうかもね。友達ってひと言で言っても、浅い深いがありますよね。浅い友達なら、「いっしょにいることを許容できる」くらいでいいのかも。
はた:
こっちも許容してるけど、あっちも許容してくれてるって感じもありますよね。
苫野:
なるほど、「相互性」もキーワードかもしれませんね。一方的に友達と思う場合もあるでしょうけど、基本は、相手も友達と思ってくれているという確信がないと、その人を友達とはあまりよばないかもしれませんね。
つばさ:
「歴史性」はどうでしょう? 初めて会った人を、いきなり友達とはよばないですよね。何度か会う中で、この人は友達と思うんじゃないかなと。
苫野:
確かに。会って間もない人に、「俺たち友達だよな」とか言われると、「えっ、いつ友達になったんだっけ」と思いますよね(笑)。歴史性と相互性は、やっぱり友達の本質的な条件な気がする。
にき:
ゲーム友達とかネッ友とかって、要するに「共通点」があるってことですよね。友達にはやっぱり、何かしらの共通点があるんじゃないかなと思います。
苫野:
なるほどぉ。共通点が全くない友達っていないかな?
つばさ:
クラスの友達って、そんなに仲がよくなくても、親とかには「クラスの友達」って言ったりしますよね。それって、同じクラスという共通点があるからじゃないかと、話を聞いていて思いました。
苫野:
う~ん、そう考えると、友達を作るのがうまい人って、自らいろんな共通点を見つけにいってるのかもしれないなぁ。どうだろう、ようた君は?
ようた:
僕、初対面の人にめっちゃ質問するんですよ。出身とか、趣味とか。そうすると、やっぱり共通点が見つかったりするんですよね。そしたらすぐ友達になれるなって思います。
にき:
共通点って、友達の種みたいなもので、そこから育てていくと友達になれるって感じがします。
ようた:
さっき、「特に目的なく集まれる」ってあったじゃないですか。それってつまり、特に話題設定しなくても気軽にいられるってことですよね。友達じゃない人だと、話題見つけなきゃ、って思って疲れることもありますけど、友達にはそんなことを思わなくてもいいんですよね。それってつまり、もともと「共通点」があるからとも言えますね。
つばさ:
でも気を遣う友達もいませんか?
ようた:
うーん、気を遣う友達は友達と言えるのか、という気もしますが……。
つばさ:
一応、友達とはよぶんだけど、あんまり好きじゃない友達というか……。
全員:
笑
ようた:
難しいなぁ(笑)。友達って、けっこう細かく階層が分かれてるんですね。
にき:
いちばん最低ラインは、例えば、クラスという共通点はあるけど、別に好きじゃないし気も遣う友達、ですかね。
ようた:
クラスって、人に決められたもので、内発的なものじゃないじゃないですか。これが、例えば趣味が共通しているとか、内発的なものになると、友達の階層が上がる感じがしますね。
苫野:
なるほどぉ。「共通点」は、やっぱり友達に不可欠の本質と言えそうですね。
本質を言葉にしてみよう
苫野:
ここまでを通して、友達の本質、言葉になりそうでしょうか。普段は、「友達とは~~~~である」って言葉にすることが多いけど、今回は、これとこれとこれを欠いてはもはや友達とはよべない、という形で言葉にしてもいいかもしれません。
つばさ:
「共通点」はやっぱり不可欠だと思えてきました。それに加えて、「歴史性」もやっぱり外せない気がしますね。
ようた:
「歴史性」だとちょっとオーバーな気もするので、「関わりの持続」と言い換えるのってどうですか?
つばさ:
いいですね。
にき:
同感なんですけど、例えば職場の人って、同じ職場という「共通点」もあるし、「関わりの持続」もあるのに、友達って思わないじゃないですか。だからまだ何か足りない気がするんですよね。やっぱり「楽しい」とか「気楽」とかが必要なんじゃないかなぁ。
苫野:
うん、そのピースをしっかり埋めたいですね。
あいだ:
「共通点」は確かにあるんですけど、「違い」もまた認め合ってるって感じがありませんか? 自分のおすすめの映画を、相手がおもしろくないと思っても、それはそれとして認められるというか。
全員:
なるほど、確かに!
苫野:
いいですね。これまでの話は、友達ができるプロセスとしても考えられるかもしれませんね。僕たちは、まず何らかの「共通点」を通して友達の種を見つけ、「関わりの持続」を通して、やがて「違い」を認め合えるようになる。そうなると、もう「友達」とよんでいい。こういうプロセスを通して、僕たちは誰かと友達になっていくんですね。
つばさ:
ただ、それだとまだ会社の同僚にも当てはまっちゃいますよね。
全員:
う~ん、確かに……。
つばさ:
やっぱり「目的を必要とせず関わり合える」というのもポイントじゃないでしょうか。会社だと、どうしても目的を通した関わりになってしまうことが多いですよね。
全員:
納得!
苫野:
いいですね。これで言葉にできたかな。いったんまとめてみましょうか。
今日のまとめ
「友達」には5つの本質がある。
①共通点
②関わりの持続
③違いの認め合い
④対等性と相互性
⑤目的を必要とせず関わり合える
苫野:
以上の5つがそろっていれば、僕たちはその人を疑いなく「友達」とよべる。どうでしょうか?
つばさ:
さっき、友達のような夫婦、って話をしましたけど、夫婦って、考えてみたら基本的に「目的」を共有した関係ですよね。共に生きていくとか、子育てするとか。その意味では、⑤があまりない点において、夫婦は友達と区別できる気がしますね。
全員:
確かに。
はた:
あと、最初は目的を共有した「仲間」から始まったんだけど、やがてその目的を必ずしも必要としなくなると、「友達」と言えるようになる、というのも見えてきましたね。
苫野:
なるほど、なんだか友達の作り方がわかっちゃった気がしますね。ちょっとでも共通点が見つかったら、まずは食いつく(笑)。そして関わりを持続させ、やがて違いを認め合い、目的を必要とせず関わり合えるようになったら、もう友達である、ってことですね。
ようた:
わあ、すごい!
はた:
この構造がわかると、短期的に友達を作ろうとガムシャラにならなくてよくなりますね。
あいだ:
社会人は⑤の「目的を必要とせず関わり合える」というハードルが高いんだなと気づきました。みんな忙しいから、目的をもたずに会うのは失礼だなと思ってしまうし。でも逆にいうと、この⑤を意識すれば、友達って作れるんだなとも思いました。
苫野:
いや~、本当に発見の多い、いい本質観取ができました。皆さん、ありがとうございました。
全員:
ありがとうございました!
タイトルイラスト: 霜田あゆ美
苫野 一徳(とまの・いっとく)
熊本大学大学院准教授
1980年兵庫県生まれ。熊本大学大学院教育学研究科准教授。専門は哲学、教育学。著書に『親子で哲学対話―10分からはじめる「本質を考える」レッスン』(大和書房)、『愛』(講談社)、『学問としての教育学』(日本評論社)など多数。光村図書 小・中学校「道徳」教科書編集委員。
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