
道徳授業で哲学鍋を
2024年6月18日 更新
苫野 一徳 熊本大学大学院准教授
教育情報誌「道徳科通信」の連載のウェブ版です。「哲学鍋」とは、みんなの考えをもち寄りぐつぐつ煮込みながら、みんながおいしいと思える味(より本質的な考え)に仕上げていく営みをイメージしたものです。
これからの連載では、私が実際に子どもたちと行った本質観取の模様をお伝えします。
本質観取とは、例えば、幸せとは何か、よい教育とは何か、恋とは何か、など、さまざまな事柄の「本質」を、言葉にして編み上げていく営みです。もちろん、絶対に正しい「本質」などはありません。でも、「なぁるほど、それは確かに言えてる! 本質的だ!」という考え(言葉)を、みんなで見いだし(つくり)合うことはできます。
今回のテーマは、「自由って、何だろう?」。対話に参加してくれたのは、なか(小4)、ニキ(小6)、サユ(中1)、マツ(中2)、とし(中3)、まさ(中3)。
紙幅の都合上、全ての対話内容を書き起こすことはできませんが、大きな流れはつかんでいただけるよう書いていきたいと思います。
まずひと言。最高に、楽しかった! こんなに深いところまで思考と言葉を届かせることができるなんて、子どもたち、やっぱりすごい!
「自由」の本質がわかれば、どんないいことがあるだろう?
苫野:
本質観取の最大の意義は、物事の本質がわかると、それにまつわるいろんな疑問が解けたり、問題が解決したりすることなんです。今回は、「自由」の本質観取をするわけだけど、その本質がわかったら、みんなにとってどんないいことがあると思う?
マツ:
今日は一日カヌーを漕(こ)いでたんですけど、すごく自由だった。自由の本質がわかれば、もっと自由を感じるにはどうすればいいのかがわかると思う。
とし:
学校でいろいろあって、行ってない時期がありました。最初は自由だと思ったけど、今度は暇すぎて、自由じゃなくなった。だから、自由っていったい何なんだろうって……。
苫野:
(全員の問題意識を聞いて)いや~。どれもすごくいいな~。今回の本質観取を通して、ぜひ、みんなのギモンが解けたらいいなと思います。
どんな時に「自由」を感じる?
苫野:
じゃあこれから、みんなが「自由だー」って感じる時の具体的な例を、たくさん挙げていってもらえるかな。そうすると、その全ての例に当てはまる「キーワード」がきっと見えてくる。
なか:
出かける用事が何もない時!
ニキ:
自転車でめっちゃ飛ばしている時!
まさ:
海で思い切り泳いでる時!
とし:
一人になれる時。でも、寂しい時は家族がいてくれたほうがいい。
サユ:
何かに没頭してる時!
なか:
夜ふかししている時!
苫野:
なるほどね。そういえば、普段は禁止されているような、ちょっと悪いことをする時も、自由だなぁって感じることがあるよね。おもしろい!
キーワードを見つけてみよう!
苫野:
これまでに出てきた例の、全てに共通しそうなキーワードはありそうかな?
なか:
親とかに制限されていないこと。
苫野:
おお、いきなり本質的なキーワードが出たね。
ニキ:
普段できないことができること。
苫野:
それも言えてる!
とし:
だからといって、人を傷つけないことが大事ですよね。
マツ:
うん、自己中心的すぎると、逆に自由を感じられないかも。
苫野:
うんうん、すごいぞ。言えてるぞ!
まさ:
したいことができている時が自由なんじゃないかな。
苫野:
おっ、それはとってもしっくりくるな。みんなどう? ピンと来る?
みんな:
うん、それはどんな自由にも共通してると思う!
ニキ:
趣味を爆発させること、っていうのはどうですか?
苫野:
爆発! それはおもしろい言い方だ。
マツ:
爆発しない時もあるから、自由には程度があるってことじゃないかな。ちょっと気持ちいいって感じから、好きなことを爆発させるってことまで。
苫野:
おお~なるほど、それは言えてる!
マツ:
あと、さっき、普段できないことっていう話があったけど、一人になれるとか、海で思い切り泳ぐとか、夜ふかしとかも、その気になれば全然普段できると思うんですけど、どうですか?
とし:
でももしそれを毎日やってたら、新鮮味がなくなってあんまり自由を感じないんじゃないかなぁ。
サユ:
確かに、日頃できないことで鬱憤を晴らすと、すごく自由って感じる。
マツ:
言われてみれば、自由にとってそういう非日常性って大事かも。
本質を言葉にしてみよう!
苫野:
そろそろ、「自由とは○○○○○○○○である」みたいな言葉にしてみようか。その時のポイントは、まず簡潔な言葉にしてみる。で、さらにその言葉を補う言葉も置いていく、って感じ。すでにいいキーワードがたくさん出てるから、まとめていけばいいと思う。例えば、「自由とはしたいことができることである」って、けっこう言えてると思うんだけど、どう? 「ありたい自分であれることである」なんてのもいいかもね。
みんな:
納得。
とし:
でもそれが人に害を加えないっていうのが大事でしたよね。
苫野:
そう、まさに! なので、そんな言葉を補っていく。「自由とは、したいことができることである。ただし、人に害を加えない範囲内で」みたいな感じ。そんなふうにさらに言葉を紡いでいくと、どんなふうに言えるだろう?
なか:
気持ちよさとか楽しさがある。
苫野:
いいね。「自由には必ず、気持ちよさや楽しさ、また解放感がある」という言葉も補っておこう。
マツ:
その解放感は、ちょっとした気持ちよさから爆発まで、幅がある。
苫野:
それもいただき!
ニキ:
普段できない。非日常。
苫野:
それも重要だね。「日常にない感じが必ずある」なんて言い方はどう?
みんな:
いいと思います!
苫野:
いいね。いい本質観取ができた。あとは、いま言葉にしたことが、どんな「自由」にも当てはまるか、みんなで確認しよう。そして、最初にみんなが出してくれた問題意識に、十分応えるものになっているかも確かめよう。それらがうまくいけば、今日の本質観取は大成功! みんなありがとう。とっても楽しかった!
今日のまとめ
自由とは、したいことができることである。ただし、人に害を加えない範囲で。自由には、気持ちよさや楽しさ、解放感が伴う。その解放感には、幅がある。そして、日常にない感じが、必ずある。
最後にこんな感想をご紹介。
「学校では決められた答えを覚えるのがメインだけど、今日は自分たちで答えを見つけ合っていくのがとても楽しかったです。自分の考えが広がっていくのも感じました」。
まさに、これこそ哲学対話の醍醐味(だいごみ)ですね!
タイトルイラスト: 霜田あゆ美
苫野 一徳(とまの・いっとく)
熊本大学大学院准教授
1980年兵庫県生まれ。熊本大学大学院教育学研究科准教授。専門は哲学、教育学。著書に『親子で哲学対話―10分からはじめる「本質を考える」レッスン』(大和書房)、『愛』(講談社)、『学問としての教育学』(日本評論社)など多数。光村図書 小・中学校「道徳」教科書編集委員。