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道徳授業で哲学鍋を
2024年6月28日 更新
苫野 一徳 熊本大学大学院准教授
教育情報誌「道徳科通信」の連載のウェブ版です。「哲学鍋」とは、みんなの考えをもち寄りぐつぐつ煮込みながら、みんながおいしいと思える味(より本質的な考え)に仕上げていく営みをイメージしたものです。
小・中学生と、定期的に続けている「本質観取」。今回のテーマは、「くやしさ」とは何か?
この本質があるから、私たちはそれを「くやしさ」とよんでいる、という、この感情のいちばん根っこを探り当てる対話の始まりです。
「くやしさ」の本質がわかれば、 どんないいことがあるだろう?
苫野:
まずはいつものように、「くやしさ」の本質がわかったら、いったいどんないいことがありそうか、ちょっと考えてみようか。
にき(小5):
サッカーの試合で負けた時、どうすればくやしさから立ち直れるようになるか、考えたいです。
みんな:
うん、やっぱりそれをいちばん考えたい。
りく(小5):
僕は、嫌な気持ちになった時、その自分の感情が何なのか、よくわからないことがあるんです。だから、そもそもくやしさって何なのか、考えたい。
苫野:
なるほど、感情の正体がわかれば、それにどう対処すればいいかも見えてくるかもしれないよね。
どんな時に「くやしさ」を感じる?
苫野:
じゃあ、みんなが「くやしい」と感じた時の事例を挙げていこうか。たくさん事例が集まると、その全てに共通するキーワードが見えてくるはず。
ようた(中2):
僕はカーリングをやってるんですけど、にき君と同じで、試合に負けた時はとてもくやしいです。
さゆ(中1):
私も、100メートル走で負けた時はくやしい。
とし(中3):
僕には弟がいるんですけど、ケンカした時、よく僕だけ怒られるんです。すごくくやしいです。
ようた:
めっちゃわかる!! あと、テストでケアレスミスした時もくやしい。
苫野:
なぁるほど。できたはずなのにできなかったって、確かにくやしいね。
ようた:
逆に、もともとできるはずがないってわかってたら、あんまりくやしくないかも。
みんな:
確かに!
にき:
人に誤解された時も、くやしいことがあります。
とし:
僕も、趣味で俳句を作るんですけど、近所に住んでる有名な俳句の先生に見せたら、僕の人間性も含めて否定されたことがあって。それはとってもくやしかったです。
苫野:
なんということだ。人間性もなんて、それはひどすぎる!
キーワードを見つけてみよう!
苫野:
じゃあ、いま挙げてくれた、全ての事例に共通するキーワードを見つけていこうか。
にき:
期待が否定された時、という感じかなぁ。
とし:
しかも、自分に自信があったのに、それを否定された時。
ようた:
否定っていうより、報われなかった時、っていうのはどうですか?
苫野:
なるほど、いい言葉な気がする。くやしさとは、期待が報われない時の感情である。どうだろうみんな、言えてそう?
ようた:
とし君が言ったように、その期待や自信が大きければ大きいほど、報われない時はくやしくなる気がしますね。
苫野:
そっか、くやしさって度合いがあるもんね。ひと口に期待といっても、ささやかな願望から確信まで、幅がある。その幅に比例して、くやしさの度合いも決まってくるのかもね。
「悲しさ」との違いは?
ようた:
ちょっと思ったんですけど、期待が報われなかった時は、くやしい時もあるけど悲しい時もありますよね。くやしさと悲しさって、何が違うんだろう。
苫野:
それはいい問いだなぁ。本質観取をする時は、そうやって近い言葉との違いを考えると、より本質が浮かび上がってくる。じゃあちょっと「悲しさ」についても考えてみようか。僕は……この前、飼っていたペットが死んじゃった時、とても悲しかったなぁ。
ようた:
あれ、でも考えたら、それも、ずっといっしょにいられるという期待が裏切られたってことですね。
さゆ:
確かに。となるとますます、くやしさとの違いがわからなくなるなぁ。
とし:
くやしいのは、自分ではなんとかなったのに、それができなかった時なんじゃないかな。逆に、そもそも自分ではどうしようもない時は、悲しくなるんじゃないかな。
みんな:
お、おおーっ、確かに! 言えてる!
りく:
でも僕は、悲しさとくやしさと、どちらも同時に感じることがあるんですけど。
みんな:
あー、あるある。
りく:
でもその時は、悲しいのか、くやしいのか、自分でも訳がわからなくなってるだけなのかも。
苫野:
なるほどね。じゃあ逆にいうと、悲しさとくやしさの違いがある程度はっきりわかれば、自分の感情を理解して受け止めることもできるようになるってことだね。もちろん、「期待が裏切られる」という点は同じだから、同時に感じるのは不思議じゃないけど。
りく:
とし君の話で、くやしさと悲しさの違いはよく理解できた気がします。
本質を言葉にしてみよう!
苫野:
ここまでの対話を通して、「くやしさ」とは何か、言葉にできそうかな?
今日のまとめ
くやしさとは、自分の力でなんとかなったかもしれないのに、それができなくて期待が裏切られた時の感情。
苫野:
いいね。すごく言えてると思う! 例外や違和感はなさそう?
みんな:
うん、納得です!
くやしさから立ち直るには?
苫野:
じゃあ最後に、にき君が初めに言ってくれた、どうすれば「くやしさ」から立ち直れるかという問いを考えてみようか。……まあ、まずは、くやしさは、「なんとかできたのに」と思うからくやしいわけだから……、「いや、あれはどうにもならなかったんだ」って思うことかな。あきらめの境地(笑)。
ようた:
もう一方で、「なんとかできた」のにできなかったのはなぜか、その理由をちゃんと考えて、次につなげることもできますね。
苫野:
げ、げげ。僕が言ったのより全然前向きな、いいアイデアだ(笑)。
ようた:
「くやしさ」は、僕たちの人生にとって、自分を前向きに振り返り、次に向けて成長させてくれる意義をもっているのかなと思いました。
みんな:
おおーっ、確かに!
タイトルイラスト: 霜田あゆ美
苫野 一徳(とまの・いっとく)
熊本大学大学院准教授
1980年兵庫県生まれ。熊本大学大学院教育学研究科准教授。専門は哲学、教育学。著書に『親子で哲学対話―10分からはじめる「本質を考える」レッスン』(大和書房)、『愛』(講談社)、『学問としての教育学』(日本評論社)など多数。光村図書 小・中学校「道徳」教科書編集委員。