みつむら〝ひと〟クローズアップ
2024年8月1日 更新
光村図書 広報部
このコーナーでは、光村図書の教科書にゆかりのある人々にスポットを当て、その業績や横顔などを紹介していきます。
教科書なんてストーブに投げ込みなさい
北川民次(1894-1989)は、1920年代のメキシコで画家として出発した後、帰国後は東京・池袋や愛知・瀬戸を拠点に、民衆や労働者をテーマとした力強い作品を次々と生み出しました。
また、北川は、メキシコで美術学校の校長を務めたり、日本では女学校の教師、そして名古屋市に児童美術学校を設立したりするなど、美術教育や子ども向けの絵本などにも熱心に取り組みました。
光村図書が1955(昭和30)年に図画工作の教科書「小学生の図工」を発行した際には、岡鹿之助や今泉篤男、山形寛、菊池一雄らとともに編集委員として参画しています。
ある座談会で「絵の教科書はどう処理したらよいか」という質問に答えて、「そんな物はストーブに投げ込みなさい」といったのは私である。その舌の根も乾かぬうちに当人の私がまる1年間、小学校の図工教科書にうき身をやつすはめになった……(中略)
図工教科書の編纂というものは、かくも長時間と費用と、そして苦心があるとは、今まで気がつかなかった。こんなに手がかかるものとは知らなかったのである。
当時、北川は、教科書というものが単なる作品の鑑賞用で、それを模倣することによって児童の独創性が阻害されると考えていました。しかし、編集委員会で岡らと議論を交わすうちに、しだいに教科書への理解が深まってきました。
われわれはお互いに心底から触れ合うことができた。私は会合のあるたびに、いつも喜びにみちて、はるばる名古屋から上京し、会合をかさねるにしたがって希望を高めて帰ることができた。
私どもは全国から児童画作品を集め、 同時に世界各国の知人に手紙を出して、この目的に最もかなう児童画作品を蒐集し、その中から1枚1枚ていねいに選出していった。 たびたび真夜中を過ぎ、あかつき近くなることもあったが、みんな時間のことは忘れていたようだった。
こうして完成した教科書を手にした北川は、そこに込めた思いと、新しい造形教育の未来について次のように語っています。
いろいろと不備な点があるかもしれない。しかし少なくとも、悪い意味での模倣を或る程度不可能にさせ、子どもの精神の構造とその成長とに無理のある考えかたは極力避け、そのうえ順調な人格形成に心を配って作られたところを、私は諸君に見ていただきたいのである。そして、この教科書ならば焼き捨てなくてもいいと言っていただけたら、私は非常な喜びと激励とを与えられるのである。
北川の熱意は、同時期に梅原龍三郎を中心に編集されていた中学校美術教科書「造形」にも影響を与え、それは現在の光村図書の美術教科書にも脈々と受け継がれています。
※北川の言葉は、「造形パンフレット」 第19号(1954年・光村図書)から引用
生誕130年記念 北川民次展―メキシコから日本へ
現在、北川の生誕130年を記念した展覧会が開かれています。
名古屋市美術館
会期:開催中~2024年9月8日(日)
※詳細はこちらから
世田谷美術館
会期:2024年9月21日(土)~11月17日 (木)
※詳細はこちらから
郡山市立美術館
会期:2025年1月25日(日)〜3月23日(日)
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