みつむら〝ひと〟クローズアップ
2024年12月9日 更新
光村図書 広報部
このコーナーでは、光村図書の教科書にゆかりのある人々にスポットを当て、その業績や横顔などを紹介していきます。
教科書に使われているフォント「教科書体」
光村図書の小学校国語をはじめ、ほとんどの発行会社の小学校教科書の本文では「教科書体」という書体を使っています。
教科書体にもデザインはさまざまありますが、一般的に、書籍や新聞などで使われている明朝体やゴシック体と違って、下の画像のように、手書きの文字に近い形をしています。
これは、小学生が鉛筆を使って文字を書くときのお手本にするためです。さらに、読むときにも自然に認識でき、似た文字どうしでもはっきり区別ができるようなデザインで作られています。
教科書体という言葉が初めて公的に使われたのは、1958(昭和33)年に文部省が出した「小学校用教科書に使用される教科書体活字について」という通達です。この通達で、教科書発行会社に対して小学校で学習する文字の形を統一するように示されました。
ただ、すべての教科書会社が同一の書体を使うのではなく、それぞれの会社が教育的意味やデザイン性を考えて独自の教科書体を作りました。
光村図書でも、この通達に基づき、硬筆の手書きに近い書体を開発し、1968(昭和43)年から「光村教科書体」を使った教科書を発行しています。
教科書体の歴史
光村図書が小学校国語の教科書を初めて発行したのは、1950(昭和25)年のこと。当時は、鉛の活字を使った活版印刷という方法で印刷されていました。1960年代には、写真植字とオフセット印刷という方法に変わっていきましたが、書体は、活字と似たような毛筆風のデザインが基本でした。
毛筆風の書体は、起筆に特徴があり、線も太いところと細いところがあります。しかし、子どもたちが鉛筆を使って書く文字のお手本にはしにくく、先生方からも教えにくいという声が多くなってきたため、1970年代から硬筆風の書体の開発に着手することになりました。
オリジナルの書体「光村教科書体」の開発
書体の見直しにあたって最初に手がけたのは、文字の基本となる仮名文字のデザインです。当時、株式会社写研で文字デザインを担当していた書体設計士の橋本和夫さんが担当することになりました。
まったくのゼロからのデザインでした。教科書のことはほとんど知らなかったので、教育の背景や現場のニーズなどを理解するところからのスタートで、苦労したことを覚えています。
橋本さんは、文字の下書きができるたび、光村図書に足を運び、当時、書写の編集委員を務めていた書家の続木湖山先生の校閲を受けます。そこで一文字一文字に書写教育のうえから細かい指示がびっしり書き込まれますが、次の日には、それを修正してすぐに提出するという日々が続いたそうです。
光村図書としては、一刻も早く新しい書体を子どもたちに届けたいという気持ちが大きかったのだと思いますが、「光村図書って、ずいぶんせっかちだなと思いました」と、橋本さんは当時を振り返ります。
橋本さんが光村教科書体をデザインするうえで特に心がけたこととして、次のようなポイントを挙げていただきました。
- 起筆部分は、筆文字のような打ち込みを避ける。
- 終筆部分も、細くとがるのではなく、やや丸みをもたせる。
- できるだけ太いところと細いところがないようにする。
- 文字の構成がはっきり見えるように点画を置く。
- 微妙な曲がりなどはなるべくなくし、直線に近くする。
仮名文字は、元になる漢字があります。「め」は「女」からきているので比較的横長の書体になるように、それぞれの文字を形づくる「枠」にも特徴があり、それを生かすことで美しさが生まれます。それは一般的な書体をデザインするときには常識的なことなのですが、教科書体ではどんな文字も「枠」はできる限り正方形になるように工夫しました。低学年の子どもたちは、四角い ます目のノートを使いますからね。教科書に使われる文字は、読みやすさと書くお手本との両方を兼ね備えることが必要です。そのうえで、美しさも追求していく。それが多少なりとも実現できたことが、これまでもずっと使い続けてもらっている理由なのではないでしょうか。
橋本さんは、光村教科書体のよさをこう語ってくださいました。
完全に鉛筆で書いたような文字なのではなく、毛筆体にあった柔らかみや美しさも残す。そして、筆順指導にも有効なように、筆脈を考え、次画への続きがわかるような小さな「はね」も残して書くときのリズムも失わない。そんな細部まで心血を注いでデザインされたからこそ、50年以上も光村教科書体が使い続けられているのでしょう。
空気か水のような書体を
光村教科書体は、子どもたちが小学校で最初に出会う文字として大切な役目を担っています。
50年以上も前にデザインされた文字ですが、最近注目されているユニバーサルデザインにも配慮した先進的な書体でした。
橋本さんは、米寿を過ぎた今でも現役で書体デザインのお仕事を続けていらっしゃいます。
この仕事を習いたての頃は、師匠から「空気か水のような書体を作りなさい」と言われたのを今でも覚えています。
その言葉のとおり、光村教科書体は、これからも子どもたちにとって親しみやすく、いつもさりげなくそばにいる文字として存在し続けます。
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