みつむら web magazine

Story 3 自分を作ってくれたもの

長倉 洋海(フォト・ジャーナリスト)

2016年3月31日 更新

長倉 洋海 フォト・ジャーナリスト

このコーナーでは、教科書教材の作者や筆者をゲストに迎え、お話を伺います。教材にまつわるお話や日頃から感じておられることなどを、先生方や子どもたちへのメッセージとして、語っていただきます。

長倉さんの洋海(ひろみ)というお名前は、本名だと伺いました。

祖父がつけてくれた名前だそうです。いつだったか、親父に尋ねたら、「日本は戦争に負けて、これからは広く世界の人と海を越えて付き合っていかなければならない。だから、おじいさんがこの名前をつけたんだ」と聞かされました。子どもの頃は、周りから音読みで「ヨウカイ」と言われると、「妖怪」みたいで嫌だったんですけど、今思うと、僕を導いてくれた、とてもいい名前だったという気がします。

長倉 洋海(フォト・ジャーナリスト)

ご自分を作ってくれたものの一つだったわけですね。

ええ。自分を作ってくれた目に見えないものが、他にもたくさんあったなと、最近になって思います。僕が生まれた北海道の釧路は、日本地図で見ても端っこのほうにあって、辺境とは言わないけど、本当に何もない場所のように思えました。高台に上ると、港と堤防、そして遠くに、阿寒の山々の連なりと湿原が見えます。それが、自分はこの国の中心ではなく、外れにいるんだというコンプレックスにもなっていたんです。

長倉 洋海(フォト・ジャーナリスト)

小さな、いや大きな転機かもしれませんが、一つの出来事が忘れられません。中学3年生のとき、東京から来た鈴木君という転校生と出会ったことです。当時、誰も持っていない変速付き自転車を持っていて。彼も「釣りが好きだ」と言うんで一緒に行ったら、コンパスと5万図の地図(※)を見ながら、「こっちにある川がいいんじゃないか。そこに行こうよ」と。4時間も自転車をこいで湿原の奥深くに入りました。
コンパスなんて見たこともなかった僕にとって、それは外界に飛び出す大きな刺激となりました。釧路という狭い空間から、僕を遠くの世界に連れ出してくれたんです。
その後、僕はカメラを手に世界に飛び出すことになりますが、その最初のきっかけを与えてくれたのは、もしかしたらあの頃の鈴木君だったのかもしれません。

※5万図の地図……5万分の1の縮小地図。
 

なるほど。他にも、そんな思い出はありますか。

高校生のとき、井上靖の『楼蘭』や『敦煌』と出会ったことも大きかったです。ページをめくってみると、中央アジアとか王国とか王妃とか砂漠とか、そういう言葉が出てきて、思わず引き込まれました。

長倉 洋海(フォト・ジャーナリスト)

『敦煌』や『楼蘭』に描かれる世界は、自分が暮らしていた世界とは、まるで違う。何千年という中で、砂漠の砂が動いて王国が飲み込まれたり、戦乱で一つの国がなくなったり。人々は故国をも逃れていく。それでも、その地はあり続ける。そんな大きな時空間とか広がりとか、そういうものを感じたんです。
大学で探検部に入って、アフガニスタンの遊牧民と旅したいと考えるようになったのも、シルクロードの地に生きるような人々に出会いたいという気持ちが、どこかにあったからだと思います。

お話を聞いていると、これまでに出会った人や出来事が、今の長倉さんにつながっている気がします。

過去と現在という意味だけじゃあない。今、僕がしていることにしても、シルクロードとか、アフガニスタンとかいろいろあるけれど、それらは別のものじゃなくて、すべてがつながっていて、大きな川の流れのように続いているんです。真っすぐな川の流れじゃなくて、蛇行したりうねったりしながらです。

つながりということでは、長倉さんは現在、アフガニスタンの「山の学校」を支援する活動(※1)をされておられますね。

はい。1982年以来、アフガニスタンの抵抗運動の指導者であるマスード(※2)をずっと撮り続けてきたのですが、それまでアフガニスタンという国は、マスードを通して見てきたものでした。彼が愛する国土、そして人々だったのです。だから、マスードが倒れたとき、もう自分とアフガニスタンとの関わりは終わったとさえ思った。

長倉 洋海(フォト・ジャーナリスト)

でも、一周忌で伺った彼の故郷で、机も椅子もなく、窓ガラスもない中で震えて勉強している山の学校の子どもたちを見たとき、何か手助けできないかと思ったのです。「教育こそが大切だ」というマスードの言葉を思い出し、その思いを共有したいと。そこから始まった支援でしたが、ジャーナリストとして見てきたアフガニスタンとは違うアフガニスタンが見えてきた。
山の学校を巣立った彼らが、この国の再建に力を発揮してくれる。それが、今の僕の夢です。子どもたちと接することで、アフガニスタンの現在や未来を見続けていくという新しいつながりをもらった気がします。

※1 山の学校……2004年2月、長倉さんを中心に、バンシール渓谷ポーランデ地区の子どもたちを支援する非営利団体「アフガニスタン山の学校支援の会」が設立された。
※2 マスード……侵攻したソ連軍と戦ったアフガニスタン解放運動の指導者。長倉さんとは長年にわたって行動を共にしてきたが、2001年、自爆テロで命を落とした。

Photo: Shunsuke Suzuki

 

長倉 洋海[ながくら・ひろみ]

1952年、北海道釧路市生まれ。大学時代は探検部に所属し、通信社勤務を経て、1980年にフリーの写真家になる。精力的な取材には定評があり、なかでも、アフガニスタンの抵抗指導者マスードやエルサルバドル難民キャンプの少女へスースを、幾年にもわたり撮影し続ける。写真集に『地を駆ける』(平凡社)、『お~い、雲よ』(岩崎書店)など。著書に『私のフォト・ジャーナリズム 戦争から人間へ』(平凡社新書)、『ヘスースとフランシスコ エル・サルバドル内戦を生きぬいて』(福音館書店)、『アフガニスタン ぼくと山の学校』(かもがわ出版)などがある。

関連記事

記事を探す

カテゴリ別

学校区分

教科別

対象

特集