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命ということ(中学校1年)

教科書 time travel

2023年8月8日 更新

「昔、たしかに教科書で読んだ気がする。ストーリーは覚えているんだけど題名を思い出せません」

過去の教科書掲載作品から、特にお問い合わせが多い作品を取り上げて、あらすじや編集にまつわるエピソードをご紹介します。

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ドイツのケルンでギムナジウムに通う「僕」は、ある日、担任のホッター先生の提案で、農場見学に出かけることになった。豚の解体を見学し、ソーセージ作りの実習を受けるのだ。

参加を希望したのは、クラス全員。ところが、農場に着くなり、豚の「世にもあわれな」悲鳴が聞こえてくる。皆、探るような目で、お互いの顔を見つめ合う。柱につられた豚を前にして、ホッター先生はそれに触れるよう促すが、誰も動かない。そのとき進み出たのは、ブリギッテ――通称“マドンナB”という女の子だった。

【作者/挿絵】
中澤晶子 作/福山小夜 絵

【掲載学年/版】
中学校1年/平成5年度版

編集にまつわるエピソード

新しい教材を探す仕事の中には、書きおろしの依頼などもありますが、担当者にとって時間・労力の大部分を占めるのは、図書館や書店にある既刊本からの教材探しです。
図書館での教材探し。七つ道具を手に、開館から閉館までひたすら本を読む作業は、かなりの本好きでも数時間で朦朧とするほどの重労働でした。

七つ道具の中でも、必須アイテムは電卓です。どんなにすばらしい作品でも、教科書に収まらない長さのものは掲載できるわけもなく、字数計算抜きに教材探しは成り立ちません。
「何年生なら何字くらい」という目安を頭に入れて本に向かう作業では、小学校の教材より中学校の教材を探すことのほうが、はるかに楽でした。
なぜなら、中学校向けの作品の多くは一般書籍の仕様の中から探すので、おおむね「〇行×〇字」で字数計算ができます。いっぽう、小学校の教材の多くは絵本から探すことになります。文字と絵の配置まで凝りに凝った斬新なレイアウトの本となると、電卓も役に立たず、ほとんど1字ずつ指で数えるしかありませんでした。
それだけでも大変な作業ですが、作品探しは長さだけよければいいというものではなく、教科書にふさわしい内容か表現かは、担当者が自分で読んで判断するしかありません。図書館にある膨大な量の本を、端から順に読むしかないのです。

それでも、何日も同じ図書館に通っていると、いろいろにわかることがあります。児童書の棚は作家別、絵本の棚は出版社別に並んでいることが多いのですが、図書館ごとに並び順は常に一定です。利用者の便利さを考えて、図書館の人たちが整理されているのでしょう。
そんな中、毎回様子が変わるのは「返却棚」です。利用者が借りた本を返す目的の棚ですから当然のことですが、児童書コーナーの返却棚には、絵本があったり図鑑があったり、判型も仕様もばらばらです。
「そうか」と、そのことに気づくまで、ずいぶんかかりました。
いつ行っても変わらない棚。前来たときときから動かされた形跡がまったくないまま、いつもそこに並んでいるというのは、その本を誰も借りていないということです。それこそ通し番号で1冊も欠けずに並んでいる「〇〇全集 全〇巻」は、どんな有名作家のものであろうと、その全集を誰も手に取っていない証でしかありません。
返却棚は、そうじゃない。行くたびに雑多に並んでいるのは、どれも誰かが借りた本、誰かが読んだ本です。感激したかどうかはともかく、手に取ったことは間違いありません。

『あしたは晴れた空の下で』という1冊を見つけたのも、返却棚でした。1986年にチェルノブイリで起こった原子力発電所の事故を背景に、ドイツの学校に通う日本人少年トオルの日常を描いたこの本の中の、ある一章が「命ということ」でした。
チェルノブイリ事故とは無縁の、学校でのある日の出来事(クラスのみんなとの農場見学)が描かれた章です。豚の解体を見たり、ソーセージ作りを体験したり。そこにあるのは、それまでの教科書からは想像もできない学校生活でした。
少し迷いながら、僕は、「命ということ」を編集会議に提出しました。
正直にいうと、僕はこのときまで、作者の中澤晶子さんのお名前を知りませんでした。
どこかの誰かがこの本を借りて、図書館の返却棚に置いておいてくれなかったら、編集担当者の自分がこの作品に出会うこともなく、「命ということ」が教科書に載ることもなかったはずです。
1冊の本との出会いは、人との出会いと同じくらい不思議なものです。
国語教科書の担当を離れて何年もたちますが、図書館に行ったら返却棚をのぞく習慣は、今も消えません。

文: 編集部

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