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Story 5 身体性を刺激する授業を

――教える側はどのようにして生徒の身体性を刺激することができますか。

これはかつての京都大学でのエピソードなのですが,ある数学の先生は教室に入ってくるなり黒板に向かい,学生の方を一度も振り返らずずっと数式を書いていました。しかたがないから学生はひたすら板書を眺めつつ,たまに先生が書き淀むのを見ながら一緒に無言で考える。数式を見ながら「この先生,何を考えてるんだ? ああ,ここで詰まっているのか。俺だったらこういうふうに考えるな……」と思考を巡らす。

先生は一言もしゃべらないのですが,十分,学生にメッセージを送っています。数式を前に考える,身体としての自分自身を学生の前にさらけ出していて,身体の同調を呼び覚ましているわけです。

画像,山極寿一

また,もう一つおもしろいエピソードがあります。生物学者の川那部浩哉先生が京大理学部で教授をされていた頃,学生に「クジラは哺乳類か,魚類か」というレポートの課題を出したそうです。川那部先生は,「教科書どおりに哺乳類だって書いたら落とすよ」とも言われた。私はこのエピソードを松原始さんの『カラスと京都』というエッセイで読んだのですが,松原さんは川那部先生からの課題に真剣に取り組み,クジラに首がない点に着眼してレポートを書き上げたそうです。

とんでもない発想で嘘を作って証明してみせなさい,という川那部先生の仕掛けは非常におもしろい。学生は四苦八苦して「分類とは何か」を考えたでしょう。それはウォレスやダーウィンがかつて実践したことを,ミニチュアではあるが身をもって体験することなのです。単にこれまでの学説をなぞる勉強だけをしていたら,与えられた常識を疑うことはできません。川那部先生もまた,考える際に必要となる身体性を刺激し,学生の発想を促したのです。

画像,山極寿一

京都大学の教員は,自分の体験や既存の知識を利用し,新しい常識を共同作業のもとに作り上げる,ということを一つの理念として共有しています。そのときに重要なのは,知ったかぶりをしないこと。わかっている人からわかっていない人へ知識が流れるのではなく,教員も含め,わからないことがあるという事実をむしろよいこととし,わからなさを根拠にして,議論する。そういう姿勢が,教える側には必要だと思っています。

Text: 濱野ちひろ Photo: 伊東俊介


画像,山極寿一

山極 寿一 [やまぎわ・じゅいち]

1952年,東京生まれ。人類学,霊長類学者。京都大学総長。京都大学理学部卒,同大学院理学研究科博士課程単位取得退学。理学博士。カリソケ研究センター客員研究員,(財)日本モンキーセンター・リサーチフェロー,京都大学霊長類研究所助手,同大学大学院理学研究科助教授、教授を経て,2014年より現職。30年以上にわたり,アフリカの各地でゴリラの野外研究に従事。ゴリラ研究の第一人者。著書に,『暴力はどこからきたか』(NHK出版),『家族進化論』(東京大学出版会),『ゴリラは語る』(講談社),『「サル化」する人間社会』(集英社インターナショナル)など。