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ガラスの小びん

画像,ガラスの小びん

小学校6年生のときから,「わたし」が体の一部のように持っているガラスの小びん。何も入っていないそれは,かつて「父」のものだった。高校野球の選手として甲子園に出場した「父」は,その小びんに入れた甲子園の土をずっと大切にしていた。「父」にとって,その土は自慢の種であり,何物にも代えがたい誇りだったのだ。
「父」に叱られたある日,「わたし」は小びんの中の甲子園の土,父の宝物を捨ててしまう。自分のしたことを詫びる「わたし」に,「父」はこう言った。「おこらない。その代わり,おまえがこれに何かをつめるんだ。お父さんの甲子園の土に代わるものをつめてみせてくれ」。

【作者】

阿久 悠

【掲載巻/版】

6年下巻/平成4年度版

編集にまつわるエピソード

作詞活動をはじめ,超多忙を極めていた阿久 悠さんに教科書作品の書きおろしをお願いしたら,「お会いしましょう」の電話。駆け出しの編集者だった僕が,青山の事務所で全身ガチガチになって待っていると,ご本人が現れました。

「あなた,野球は好き? 高校野球とか」

阿久さんが,当時スポーツ紙に『甲子園の詩』というエッセイを連載していたことを知っていた僕は,うわずった声で即座に「はい」と答えました。もちろん本心からです。

「そう,よかった。実はね」

阿久さんの話はこうでした。最近何人ものプロ野球選手にインタビューする機会があって,その中には甲子園に出た選手も大勢いた。プロになった彼らの中には,甲子園から持ち帰った土を今も大事にしている選手もいて,それは,どちらかというプロでは大成しなかった選手たちだ。逆に,大成した選手の多くは,「甲子園の土ですか? どこにいったかな」と気にもかけていない様子だった。

「おかしなものでしょう? この話,いつか書いてみたいなと思って」

阿久さんが言い終わるより先に,僕は「ぜひ教科書に書いてください」とお願いしました。

本当を言うと,阿久さんの原作で当時大ヒットした映画「瀬戸内少年野球団」にあるような,戦時下であろうと元気いっぱいに生きる子ども像を書いてもらいたいと思って出かけたのですが,そんな思いはどこかに消し飛んでいました。

「ガラスの小びん」。一字一字,力強い万年筆の文字で書かれた原稿でした。「ここは,こうしてはどうでしょう」と小さな提案をするたびに,「なるほどな」と呟かれると,どんな些細な直しでも,全文清書し直した原稿を送ってくださいました。タイトル部分は,いつも太字でした。

阿久さん,ありがとうございました。編集者の自分にとって,あの思い出は今も宝物です。

文: 編集部

掲載教科書の内容については,こちらから。

『光村ライブラリー 小学校編 第15巻』

過去の教科書掲載作品を収録したアンソロジー。
「赤い実はじけた」をお読みいただけます。