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子どもの頃に出来なかったこと 第2回

子どもの頃に出来なかったこと

2015年5月8日 更新

森 絵都 作家

子ども時代のあの頃に出来なかったことを綴っていきます。

森 絵都(もり・えと)

1968年東京都生まれ。90年『リズム』で講談社児童文学新人賞を受賞しデビュー、同作品で椋鳩十児童文学賞を受賞。その後、『宇宙のみなしご』で野間児童文芸新人賞、産経児童出版文化賞ニッポン放送賞を受賞。『アーモンド入りチョコレートのワルツ』で路傍の石文学賞、『つきのふね』で野間児童文芸賞、『カラフル』で産経児童出版文化賞、『DIVE!!』で小学館児童出版文化賞、『風に舞いあがるビニールシート』で第135回直木賞を受賞。絵本テキストに『ぼくだけのこと』(偕成社)、『おどるカツオブシ』(金の星社)、『オニたいじ』(金の星社)、『希望の牧場』(岩崎書店)、近作に『クラスメイツ』(偕成社)など幅広く活躍。

第2回 とび箱

運動能力において、大方の子どもは「鉄棒が出来ない派」か「とび箱が出来ない派」に分かれるという。鉄棒嫌いにはO型が、とび箱嫌いにはA型が多いとの統計もある。
というのは嘘で、大概において、鉄棒が出来る子はとび箱も出来るし、鉄棒が出来ない子はとび箱も出来ない。なんでもOKか、すべてNGか。それが体育の法則である。

かつて全NG派に属していた私は、クラスのみんながどんどん出来るようになっていく逆あがりを自分だけ出来ない屈辱と、皆がどんどん跳べるようになっていくとび箱を跳べない哀愁をダブルで経験している。
どちらかというと、とび箱のほうがキツかった。というのも、鉄棒は「これは純粋に運動神経の問題だ」と子ども心にも諦めがつくのに対し、とび箱には身体能力を鍛えるという範疇を超えた、いやな感じの精神主義がつきまとうからだ。「跳べると思えば跳べる」に代表される根性論。すなわち、跳べない生徒は根性ナシ。「勇気を出して」「思いきって」「自分を信じて」などと先生たちの鼻息も荒い。もはや敵はとび箱ではなく自分自身なのである。己が心の壁へむかって助走し、板を蹴り、さあ、輝ける未来へとはばたけ!

しかしながら、体育の授業から解放されて久しい今の私は知っている。とび箱を跳べる跳べないは、本当は精神の問題などではない。一重に指導法の問題なのだ。教える側に然るべきメソッドがあれば、誰でもとび箱を(ある程度の高さまでは)跳べるようになる。
かつて教育界に賛否両論の嵐を巻きおこした向山洋一氏の著書『すぐれた授業への疑い』(明治図書)でその実例に触れたときは、目から大量の鱗が落ちたものだった。向山氏は「とび箱の跳べない子を30人以内ならば1時間で跳ばしてみせる」と公言し、それを実践するのである。15分間で20人の跳べない子を跳ばしたこともある。

つまりはコツの問題、根性はあってもなくてもいいわけだ。
とび箱という人生の難関を前に、「跳べない私は一生、イモムシのまま……」と絶望していた子ども時代の自分に、叶うならばタイムマシンに乗って教えにいってあげたい。

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