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子どもの頃に出来なかったこと 第6回

子どもの頃に出来なかったこと

2015年8月25日 更新

森 絵都 作家

子ども時代のあの頃に出来なかったことを綴っていきます。

第6回 プールのあと

手先が不器用なのか、要領が悪いのか。私は、なにかと「もたつく」人間である。
さっとスイカをかざして駅の改札をすりぬける。お店のレジでさっとお金を払う。なんでもない動作のはずなのに、この「さっ」ができない。
おろおろと財布をさがしたり、小銭をうまくつかめなかったり、なにかしら無駄な動きが加わり、人より時間がかかってしまう。

子どもの頃から不器用だった。
給食を食べるのも、もたもた。
帰りの支度も、もたもた。
そして誰もいなくなった、と遠い目で辺りを見まわした経験のなんと多かったことか。

「もたつく」子どもにとって、学校における一番の恐怖は、なんといってもプールである。
泳げる泳げないはさておき、それ以前に、まずは水に入るまでがひと苦労なのだ。
押しあいへしあいの更衣室で、洋服から水着へ着がえる難度たるや、体操服の非ではない。

今はいい既製品もあるようだが、私が子どもの頃は母がバスタオルにゴムを通してくれて、着がえの際はそれを腰に巻きつけ、目隠しにしていた。
このバスタオルが、結構、ごわごわとして扱いづらい。ゴムもすぐにゆるくなり、ややもするとずり落ちそうになる。
器用な子たちがすーいすーいと着がえをすませていく傍らで、私は毎度、必死の形相で悪戦苦闘をくりひろげていた。

とりわけ、水着から洋服へもどるのがむずかしい。
濡れた水着の脱ぎづらさたるや! 焦れば焦るほど手が動かなくなる私を尻目に、一人、また一人と教室へ帰っていく。
気がつくと、いつも、最後の一人。
キーンコーンカーン。つぎの授業の開始を告げるチャイムを聞きながら、私は半べそで水着と格闘しつづける。
みんなが残した人いきれと、コンクリートにこもった熱と、足もとをぬるっとさせる生あたたかい水と――今でもあの更衣室を思いだすと頭のなかがしんとなる。
小学校生活6年間を通じて、「とりのこされた更衣室」ほどさびしい場所はなかった。

早く、早く秋になれ。切実な願いを胸に、ようやく教室へたどりついたときには、みんなはすでに教科書を開いて先生の話を聞いている。
遅れて入った私を、ちらちらと視線が刺す。非難するような、哀れむような、あきらめきっているような。
今でも、もたついている自分へ注がれる視線のなかに同じ色を見るたび、私は肌をべとつかせた子どもの頃から何も変わっていない気がするのである。

本連載は、今回が最終回です。ご愛読、ありがとうございました。

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