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子どもの頃に出来なかったこと 第1回

子どもの頃に出来なかったこと

2015年3月31日 更新

森 絵都 作家

子ども時代のあの頃に出来なかったことを綴っていきます。

森 絵都(もり・えと)

1968年東京都生まれ。90年『リズム』で講談社児童文学新人賞を受賞しデビュー、同作品で椋鳩十児童文学賞を受賞。その後、『宇宙のみなしご』で野間児童文芸新人賞、産経児童出版文化賞ニッポン放送賞を受賞。『アーモンド入りチョコレートのワルツ』で路傍の石文学賞、『つきのふね』で野間児童文芸賞、『カラフル』で産経児童出版文化賞、『DIVE!!』で小学館児童出版文化賞、『風に舞いあがるビニールシート』で第135回直木賞を受賞。絵本テキストに『ぼくだけのこと』(偕成社)、『おどるカツオブシ』(金の星社)、『オニたいじ』(金の星社)、『希望の牧場』(岩崎書店)、近作に『クラスメイツ』(偕成社)など幅広く活躍。

第1回 大人との対話

子どもの頃に私が出来なかったことの一つに、大人と話をする、というのがある。親にしろ教師にしろ、いまいち気心の知れない相手と対話することへの抗いがたい億劫さが、少女時代の私には絶えずつきまとっていた。できれば万事ナアナアで済ませたかった。

どのくらい億劫だったかというと、醤油が大好きで何にでもしこたまかける母に、「私は醤油が嫌い」と告げずにいたほどだ。結果、我が家ではしばしば冷や奴やほうれん草をめぐる不毛な衝突が起こった。豆腐もほうれん草も体にいいのにと母は言う。問題はあなたがその上にどぼどぼかける醤油なのにと私は思うが、億劫なので言わない。
学校からの連絡事項もしばしば伝言を怠った。お楽しみ会の衣裳が要る。ベルマークを募集する。どんな知らせも私の口から速やかに伝わることはなく、友達のお母さん経由で母の耳に入るのが常だった。

無論、そんな私でも時には「話さなきゃ」と気力を奮わせることもある。慣れない長話をスムーズに全うすべく、その際には事前に筋書きを練りさえもする。例えば、学校にうさぎがいる→今は自分が世話係→餌の野菜くずが足りない→家に余っていたらくれ、という具合に。が、いざ母と向き合い「あのね、学校にうさぎが……」と流れに添って話しだしたとたん、瞳を光らせた母が言う。「あら、なんて名前?」「何匹?」「かわいい?」。母はノリノリで話を膨らませようとするのだが、彼女がのればのるほどに、私は筋書きから引き離され、オールをなくした小船のように迷走することになるのである。

そんな苦い過去をふと思いだすのは、読書会などで現役の小中学生と話をする機会を得たときだ。『カラフル』を読みました、などと彼らはまず読んだ本のタイトルを挙げてくれる。そして、固まる。沈黙に焦れた私が「どの登場人物が気になる?」などとうながすと、大抵の子はホッとするのではなく、ハッと打たれたような顔をするのだ。彼らが用意していた筋書きを、もしや私は奪ってしまったのではないか。
語らうだけでなく、沈黙につきあうのも重要なことだと、いつもあとから反省する次第である。

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