「よりよく生きる」って、なんだろう。
2026年8月3日 更新
光村図書 道徳課
道徳教科書編集部が、いろいろな分野で活躍している方々に、情熱を傾けていることを伺いながら、「よりよく生きること」について考えていきます。今回は、バスケットボール選手の馬瓜エブリンさんにお話を伺いました。
馬瓜エブリンさんは、現役のバスケットボール選手としてご活躍されています。2021年には、日本代表として東京オリンピックに出場し、銀メダルを獲得されました。また、ご自身で会社を立ち上げ、経営者としてもご活動されています。前編では、バスケットボール選手としてのご経験についておききしました。
バスケットボールとの出会い
馬瓜さんがバスケットボールを始めたきっかけについて、教えてください。
両親がテレビでNBA*1 を見るのが好きだったということもあり、小さい頃からバスケを見ていました。その中でも、特にドウェイン・ウェイド*2 選手のプレーに憧れました。ウェイド選手の活躍を見ながら、徐々に「バスケ選手になりたい」、「オリンピックに出てみたい」と思うようになりました。
ただ、その後すぐにバスケを始めたというわけではありませんでした。地元のミニバスケットボールチームに入ったのも小学校4年生からです。もっと早くから始めている子もいたので、スタートが早いわけではなかったです。所属していたチームは勝利を追い求めるのではなく、どちらかというと楽しむことや、コート内外での礼節を大切にするようなチームでした。
*1 NBA…アメリカ合衆国とカナダの30チームで構成されるプロバスケットボールリーグ。
*2 ドウェイン・ウェイド…アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。現役時代には3度のNBAチャンピオンに輝く。2008年の北京オリンピックでは、アメリカ合衆国代表として金メダルを獲得。
バスケを始めた時期に、印象に残っている出来事はありますか。
私自身、日本生まれ、日本育ちではありますが、どうしても見た目の違いで、他の子からいろいろと言われてしまうことがありました。今であれば、「子どもだから、思ったことをすぐに口に出してしまったんだな」と納得ができますが、小さい頃はそうは思えず、他の子からの言葉で悩んだり、苦しんだりしていました。
そんなときに、母親から言われたのが、「自分の魅力を最大限に生かしなさい」という言葉です。初めはすんなりと受け入れることができなかったのですが、バスケを始めたことで、自分のもともともっている素質、例えば身長や身体能力が魅力かもしれないと感じるようになりました。また、バスケを通して、いろいろな子たちとコミュニケーションを取ることが苦ではないことにも気がつきました。母親からの言葉をきっかけに、自分自身の魅力に気づけましたし、悩みから抜け出すこともできました。この言葉は、自分の人生を形作る軸の一つとして、今でも大切にしています。
必死だった桜花学園時代
その後、14歳の頃にユースの日本代表に選出されました。代表入りをきっかけに、それまでと比べ、何か意識の変化はありましたか。
そのときは意識の変化はなかったですね。中学生の頃の部活動は本当に緩かったので。日本代表に選ばれたのも理由がよくわからず、「選ばれちゃった」って感じでした。「日本代表でがんばらなきゃ!」という気持ちはなかったです。
後に桜花学園高等学校*3 で指導を受ける井上眞一先生*4 とは、その頃に出会われたのですか。
はい。私は当時、井上先生のことは全く知らなかったのですが、「一度エブリンを見てみたい」と言っていただけていたみたいで、試合会場で初めてお会いしました。それがきっかけで、桜花学園の練習にお邪魔するようになりました。ただ、当時はふらっと見に行ったり、軽い練習に参加させてもらったりと、遊びに行く感覚でした。
*3 桜花学園高等学校…愛知県名古屋市にある高等学校。女子バスケットボールの強豪校として知られている。
*4 井上眞一…バスケットボール指導者。桜花学園高等学校女子バスケットボール部の監督として、全国大会で計71回優勝しただけでなく、馬瓜さんをはじめ、数多くの教え子を日本代表に送り出した。
桜花学園は強豪校として知られています。実際に入学した当初はどんな心境でしたか。
周囲は小中学校の全国大会でよい成績を残してきたエリート選手ばかりで、大きな実力差を感じました。練習のレベルは高く、厳しかったので、毎日ついていくのに必死でした。だから、初めは「大変だな」、「しんどいな」という気持ちが強かったです。
そうした苦しさをどのように打開していきましたか。
今振り返ると、練習を重ねる過程で、仲間とのきずなが深まる体験をたくさん積んできたことが大きかったのかもしれません。勝つために、真剣に、そして仲間とコミュニケーションをたくさん取りながら、練習をしました。時には仲間とぶつかることもありましたし、しんどい思いをすることもありました。それでも必死で練習し、勝利を積み重ねる中で、仲間とさらに団結する。そんな経験を経るたびに、もっとがんばろうと思えるようになりました。
桜花学園時代に特に印象深い出来事を教えてください。
私が誕生日のときの試合でしょうか。この日は調子がよくなくて、2得点で終わってしまいました。とても落ち込んでしまったのですが、仲間たちは私を責めるのではなく、むしろ明るく、冗談を交えながら励ましてくれました。
井上先生からは「罰として家を掃除しに来い!」と言われてしまいましたが、実際は先生のお家でご飯をごちそうになりました。先生は私といっしょにご飯を食べながら、「何か悩みがあるのか」とむしろ優しく私の心配をしてくれましたし、他にもたくさん話を聞いてくれました。先生の家で飼っていた犬の散歩もさせられましたが、それは落ち込んでいる私に気分転換をしてもらいたかったからだと思います。
今振り返っても、井上先生や仲間といっしょにバスケをやっていてよかったなと思える大切な思い出です。

Wリーグ・日本代表での経験
高校卒業後は、日本国内の女子トップリーグ・Wリーグのチームに所属し、プロ選手としてのキャリアがスタートしましたね。
あたりまえですが、プロになると、高校生の頃よりも格段に競技のレベルがアップしました。選手の年齢の幅も広いので、どのようにチームメイトとコミュニケーションを取るかなど、バスケ以外でも学ぶことが多かったです。
そしてプロとしての考え方ですね。がんばればがんばる分、報われる面もありますが、これまでとは違って、みんなが助けてくれるわけではありません。チーム内でもチーム外でも常に競争が生じています。だからこそ、自分の頭で、どうしたらバスケがうまくなれるのかを考え、実践しなければなりません。
具体的にはどのような練習をされていたのですか。
とにかくウェイトトレーニングをがんばりました。先輩の設定した目標の重量に追いつけるように、筋肉痛を気にせずにチャレンジしていましたね。先輩についていくのに必死でした。そのおかげでプロの世界でも負けない体を作ることができました。
Wリーグでキャリアを築きながら、日本代表としてもご活躍し、東京オリンピックでは銀メダルを獲得しました。普段の所属チームと日本代表では、求められる役割は異なりますか。
ポジションも、所属チームと代表では違いますし、それぞれで全く違う役割を求められます。私はスリーポイントが得意ではなかったのですが、日本代表では積極的に打つことを求められたので、しっかりと練習をするようになりました。代表では、各選手がそれぞれの役割を極め、結果を出すことが求められます。
異なる役割を求められるとのことですが、気持ちの切り替えなどで意識していることはありましたか。
その場で求められる役割を、きちんと確認することを大切にしていました。それぞれのグループに合流する前に、これまでの練習内容を振り返ったり、戦術などについて監督やチームメイトとコミュニケーションを取ったりするようにしていました。
東京オリンピックのときは、コロナ禍で自由な外出が難しい状況だったので、オリンピック期間の2、3か月は、代表メンバーといっしょにいる時間が長かったです。家族みたいに同じ時間を過ごし、普段よりもコミュニケーションが取れていたことがプラスになったと思います。
2022年からの1年間は、どこのチームにも所属せず、休養に充てられていました。アスリートが長期間休むことは勇気がいる決断だったと思います。休むことのメリットを教えてください。
心身ともに休んだことで、またバスケをやりたいという気持ちになった1年でした。休んでいる間は、バスケ関係者以外の方々ともお話しする機会が増えました。その中で、自分の考えをブラッシュアップしたり、人とどうコミュニケーションを取るかについて考えたりできました。
スポーツの世界だけでなく、ビジネスの世界でも、どのようにして自分のチームをまとめるかという課題は共通しています。組織というのはいろいろな考えをもつ人がいるので、みんなで協力して一つの物事を成し遂げる方法について多方面から学ぶことができました。
「失敗」すること
最近の試合で印象に残っているものはありますか。
うれしかったのは、昨季ENEOS サンフラワーズの一員として皇后杯を優勝できたことです。引退を表明した宮崎早織*5 選手とチームメイトとして活動できる最後の年でした。彼女を胴上げすることができて、本当によかったです。
逆に苦しかったのは、2024年のパリオリンピック出場を懸けた最終予選です。ここで負けて、オリンピックの出場権を得ることができなければ、女子日本代表の連続出場記録が途絶えてしまうという大きな重圧がありました。二度とやりたくないような試合ですね。逃げてしまいたいという思いもありました。でも、それに立ち向かうために自分自身の準備を徹底しましたし、チームメイトともたくさんミーティングをしました。今振り返ると、選手として非常に成長できた大会だったと思っています。
*5 宮崎早織…元女子バスケットボール選手。2021年の東京オリンピック日本代表として、馬瓜さんとともに戦い、銀メダルを獲得。
とてつもないプレッシャーがかかる場面だったと思います。馬瓜さんがメンタルを保つために心がけていることはありますか。
アスリートは、誰よりも多く失敗することで成長する職業だと考えています。競技の前後では、例えば、負けた試合を振り返って何がいけなかったのかを分析しつつ、次の試合にどう生かすかを考えることで、失敗に引っ張られないようにしています。過去の失敗をしっかりと頭に入れて、それに対してどのように反応するかを考え続けることで、常に安定したパフォーマンスを発揮できるようにしています。
馬瓜さんの「失敗」に対する考え方は、アスリートだけでなく、どんな人にも響く内容ではないでしょうか。
後輩選手や主催するバスケ教室で出会う子どもたちには、失敗することの意義、チャレンジすることの大切さを伝えるようにしています。失敗をすることは怖いし、恥ずかしいものではあるけれど、その中から得られるもののほうがやっぱり大きいのです。「失敗から目を背けないようにしよう」、「どれくらい失敗したかを自分の勲章にしよう」と声をかけています。
私自身、今でも失敗したら恥ずかしいし、穴があったら入りたいと思うことはたくさんあります。ただ、自分の人生のコントロールは他人に任せてはいけない、大事なところの判断を委ねてはいけないと考えています。一生懸命考えた結果、失敗をして指摘されたとしても、自分自身が自分のことをいちばん大切に思っているのであれば、恥ずかしいという気持ちをクリアできるのではないでしょうか。
今後のバスケットボール選手としての目標を教えてください。
できる限り長くバスケットボールを続けたいです。そして、応援してくださる皆さんに力を与えるようなプレーを、引き続きしていきたいと思っています。

取材日:2026年6月19日
馬瓜 エブリン(まうり・えぶりん)
1995年、愛知県生まれ。桜花学園高等学校在学時にインターハイ、国体(現・国スポ)、ウインターカップで優勝し、高校三冠を達成。2014年に日本代表入り。2021年の東京オリンピックでは、女子バスケットボール史上初の銀メダルを獲得。アイシン・エィ・ダブリュ ウィングス(現アイシン ウィングス)、トヨタ自動車 アンテロープス、デンソー アイリスを経て、2026年8月現在ENEOS サンフラワーズに所属。現役バスケットボール選手としての活動と並行して、2020年1月に「LAUNDRY JAPAN」、同年4月に「Circle Of Life」を起業。その後、3社目となる「Back Dooor」を設立した。