漢字のギモン Q&A
2026年8月3日 更新
菊地 恵太 東北大学大学院 准教授
漢字に関する素朴な疑問、目からうろこの豆知識など、日々の授業にも参考になる情報をQ&A形式で解説します。
旅行をしていると、見たことのない漢字の地名があります。地域限定の漢字があるのですか?
同じ日本語でも「方言」としてさまざまな地域差が存在することは皆さんもご存じかと思います。実は漢字も一般的な方言と同じように、さまざまな面で地域差が存在することが知られており、用法や字形(字体)に地域差のある漢字のことを「方言漢字」と呼びます(笹原宏之『方言漢字』角川選書・2013年)。
特に地名の漢字というのは、もともとその地に地名が存在したところに、文書に書き残すために後から漢字を当てるようになったことが想定されます。そのため各地で独自の漢字(国字、日本製漢字)が作られたり、漢字が変形したりするケースも多く、非常に珍しい漢字が地名に用いられることが少なくないのです。
例えばタイトルに掲載した写真は名古屋市で撮った「杁中(いりなか)」バス停(名古屋市昭和区隼人町)の写真ですが、この「杁」は主に愛知県西部を中心に用いられる珍しい字です。この字は江戸時代初期の尾張国で、川から農地に水を引き入れる樋(とい)や水門を意味する「いり」を表す漢字として造られたようで、樋が木製だったので木へんに「入(いり)」を組み合わせたものです。なお、その後土へんの「圦」も造られ、幕府は文書で「圦」の方を使ったため他の地域では「圦」の漢字が見られます。
私の住んでいる宮城県での例を一部挙げると、名取市の「閖上(ゆりあげ)」、石巻市桃生町(ものうちょう)の「閖前(ゆりまえ)」「閖谷地(ゆりやち)」に見られる「閖」は宮城県の地名独特の漢字です。これについては仙台藩主の伊達綱村が、寺の山門から「ゆりあげ」の浜の景色が見えたので「閖」(門+水)という字を造らせたという伝承もありますが、史実ではないようです(※)。
その他にも、全国的に地名で用いられることが多い「そね」という語は、古く「石の多い痩せ地」の意味を表すほか、地名としては川沿いによく見られ、各地でさまざまな文字が当てられます。全国的には1文字ずつ当て字で「曽根」と書かれることが多いのですが、宮城県北部(大崎市・登米市・栗原市・遠田郡など)では「埣」の字がよく使われ、こちらも江戸時代に仙台藩領で広まった漢字のようです(より稀少ではありますが、略字の「𡉻」が使われることもあります)。
「埣」は中国の古い字書や韻書(漢字の発音を示すための辞書)では「土が崩れ落ちる」や「粘り気のない土」という意味で載っていますが、日本語の「そね」とうまく意味が一致しないので、地名に当てられた「埣」とはおそらく関係がなさそうです。「痩せ衰える」意味の「悴」を土へんに替えたか、「卒」の「ソツ」(ソ)という音を「そね」に当てた可能性もあります。
一方高知県では「埇(そね)」という字が地名に用いられ(高知市高埇、南国市大埇など)、こちらは痩せ地を意味する中国漢字の「埆」が変形したものと考えられています。沖縄県では「宗根」、石川県では「曽祢」を用いる地名があり、これも地域差と見てよいでしょう。
このような珍しい漢字は全国各地にあり、ここではとても紹介しきれませんので、ぜひ参考文献やリンクを参照いただき、皆さんの地元の方言漢字を発見していただければと思います。
※ 伊達綱村の命により編纂された仙台藩の地誌『奥羽観蹟聞老志』(おううかんせきもんろうし)(1719年)では「閖上」の地名について、「閖の字は字書には見られないが俗間で使われてきた」というような説明があり、伝承にあるような話は載っていません。本当に綱村が造らせた字だとすれば、その功績を載せないのは不自然です。
【参考文献・リンク】
笹原宏之(2013)『方言漢字』角川選書(再版:角川ソフィア文庫 2020年)
笹原宏之編(2023)『方言漢字事典』研究社
西嶋佑太郎(2008)「「杁」という字について」(日本漢字能力検定協会 平成19年度(第2回)漢検漢字文化研究奨励賞)https://www.kanken.or.jp/project/investigation/incentive_award/2007.html
国立国語研究所 ことば研究館 よくあることばの質問
「漢字にも方言のような地域による違いがありますか」(笹原宏之)
https://kotoba.ninjal.ac.jp/qa/yokuaru/qa-70/
稀少地名漢字リスト http://pyrite.s54.xrea.com/timei/
菊地 恵太(きくち・けいた)
東北大学大学院 准教授
1991年生まれ。東北大学大学院文学研究科博士後期課程修了。主な研究は、文字・表記史。特に、日本における漢字字体・異体字の変遷、漢字の部首分類・部首配属など。著書に、『日本略字体史論考』(武蔵野書院)など。
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